室町武将史 山椒のような文化人 其の三
幕間 石田正継 伝 流行の兆し
近江国甲賀 清家の里
背を丸め、机にかじりついている小男が一人。
高価な蝋燭を灯し、陽が落ちても手を止めることはない。
清家の里にて、幕府の財政を一手に担う男なのであるが、背の低さ故かどうにも風采が上がらない。ここのところ肉が付いたのが、いくらか貫禄を生んでいる。それが救いというところか。将軍義輝(当時は義藤)に招聘された時は、痩せぎすだったものの、食うに困らず、野良仕事もやらなくて良いとなれば肉が付くのも当然の結果だろう。
「火縄銃の売れ行きは変わらず好調。流通量を絞っているのが幸いしているな」
堺や紀州など火縄銃の生産拠点として名を馳せている。そこに割り込む形で清家筒というどこが産地なのか分からぬ火縄銃が流通していた。世の常であるが、供給が増えれば価格は落ちる。
これは米の生産量と同じ動きである。武士にとって切っても切れない関係で、少しでも素養があるものなら、火縄銃の流通にも同じだと気が付く。
この石田正継も多分に商才を有しており、すぐに気が付いた。
生産を始めた当初は、生産量自体が少なかったため、問題にはならずに済んでいた。しかし、里の人数が増えるに従って、生産量は増大。市場に多大な影響を与えかねないほどの生産量に至った。
そこで石田正継は
大抵の武士は煩わしくて後先を考えずに売ってしまう。そういう資質を持つ彼だからこそ、幕府の財政を任されることになるのだが、吹けば飛ぶような弱小国人衆の出身の彼からすると、任される額と目的から逃げ出したくなる気持ちを否定することが出来ないでいる。
「火縄銃の普及に伴って硝石の値段が上がっているな。これも予想の範囲だ」
カラクリ部分を除けば、比較的壊れない火縄銃と違い、硝石は火薬の原料となるので消耗品。
火縄銃が普及すればするほどに需要が増える。加えて大部分が輸入に頼っている現状では値が下がりようもない。
清家の里では忍び火薬の製法から国産化に成功して昨年から本格的に析出している。それを除くと国産の硝石は微々たるものだ。戦国大名たちが中々手に入らない硝石を得るために生産を試みていた。それは、かつて義輝が行っていた古土法といわれる方法で少量の生産に留まっていた。
つまり清家の里では品質の良い硝石が集まる特殊な場所と言える。
硝石は戦略物資として最重要であることから、備蓄優先となっていた。それを古いものから市場に流している。一種のカモフラージュを兼ねている。
輸入の硝石は、海を渡って届けられる。当然、湿気る部分も出てくる。対して清家の里製の硝石は析出したばかりで綺麗過ぎる。これを市場に流すと余計な疑念を生む。という訳で、備蓄品のうち、古くなったものを販売している。
これが飛ぶように売れた。これと火縄銃の販売だけで幕府の収入の大部分を占める。――これまでなら。
最近は硝石販売に匹敵するくらいに良く売れる品がある。それは忍者営業部の商材の中で圧倒的人気を誇る。今までの商材といえば、和歌集や四書五経のような写本、和田楓の発案の西陣織を使った巾着、米や武具の売買や各地の物産あたり。販売数なら西陣織巾着、販売額なら米か青苧。
ここに割って入る商材。恐ろしいほどの中毒性がある品は発売当初から売れた。異様なほどに。
正に今、その品を催促する連絡が入るところだ。
「石田様。またアレの在庫が尽きたので送って欲しいとの催促が」
「またか。関東方面だけでなく四国方面からも連絡があったばかりだぞ。今度はどこだ?」
すでにアレで伝わるほど繰り返されてきた受け答え。どちらに顔にもウンザリという表情が張り付いている。
「九州方面です」
「アレの中毒性は地域を選ばんのか……。アレの虜になると一から十まで揃えようとする。それではいくら用意したとて足りる訳があるまい」
「はい。購入者からは続きの物語を、未購入者からはどれでも良いからと争奪戦になっているようです」
「アレの中毒者は、どうしてか写本をしないのだな?」
「作者である綾小路まろまろ様を崇めており、写本するのではなく購入することで作者を支援したいという考えのようです」
「そのせいでこちらは皺寄せが来ているのだがな。写本する者もいるにはいるのだろう?」
「いるにはいます。しかし、ごく少数だと聞いております」
「本もトンチキだが、読者もトンチキだな。それに綾小路まろまろとは。なぜ麻呂を二つも重ねるのだ?」
「実しやかに流れる噂では、麻呂は男性を表す人称。その麻呂が二つで
「ふざけていると言いたいが、上様の御正室様となれば下手なことは言えんな」
「私としては本を書き上げてもらえれば何でも良いかと」
「それもそうだな。誰か人を遣り、書き上がったものを受け取って来てくれ」
京の二条御所では、奥の主が文机に向かって一心不乱に筆を動かしている。
彼女は迸る言の葉を紙に宿らせていく。その言の葉は更なる中毒者を生むことになることに気が付いているのだろうか。
良しと満足気な声を上げ、筆を置く。書き上げた和紙を乾かし終わると、装丁に移る。
頁の少ない本ながら雅さに溢れる豪華な表紙。
なぜか題名を表に書かず、開いた裏表紙に流麗な文字で書き込む。
まるでその題名が世に憚るもののように思える。
こうして出来上がった一冊を確めて満足気な『綾小路まろまろ』こと綾姫。
彼女は夫君よりも早く全国へ影響力を及ぼすようになったとか、ならなかったとか。
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