第百四十九話 見えてきた悪意
「さて、そろそろ本題に入らねばな。この度の六角家の動き。些か気になる。惟政よ、何か掴んでいないか?」
「はっ。六角家には焦りがあるというのが一つ。そして裏で糸を引く者の演出である可能性が一つ」
「裏で糸を引く者だと?」
「はい。やはり油断のならない御方にて」
「まさか……普門寺などとは言わないよな」
「御明察」
誰かが息を漏らす音がする。俺だって同じ気持ちだよ。嘘だろって思わずにはいられない。
だって三好家にボコボコにされて息子を失ったから諦めたんじゃなかったのか。細川のおっさんが殊勝な態度で護送されたって聞いて、一連の敗戦が身に応えたんじゃないかって気に病んでいたのに。
「しかし、あそこは城塞で囲まれていて蟻の子一匹すら出入りできないと聞くぞ」
「どうも京の協力者が手引きしているようです」
「可能なのか?」
「おそらく細川晴元は、敗戦を奇禍として京に戻ることに利用したようです。長いこと京を離れていたため、協力者との連携に齟齬が出ており、引き締める目的があったのではないかと」
「息子が死んだことすら利用するのか……」
「私の推測を含みますが。そして、旧主を不当に監禁する三好家から解放してほしいと各地の大名に書状を送っているとのこと。六角家の動きが変わったのは、この御方の差金ではないかと」
和田さんの推測は間違っていないと思う。和田さんは忍者営業部の統括でもあるし、本人も優秀な忍びだ。
推測といえど、想像で話すのではなく、諸々の情報をつなぎ合わせての結論なのだろう。
細川のおっさんは諦めて降伏したと思っていたし、三好家が厳重に監視していたから、そっちの諜報が疎かになっていた面も否めない。
もしこれが計画的な動きだったと仮定すると、動員準備の時間がしっかり取れていたということになる。そして、それは温存された六角家本隊が動くということに他ならない。
「先の反乱劇の際には間に合わなかったが、その時の準備がそのまま使えるのか。今度こそ本格的な侵攻になるな」
「はい。近江国守護としての立場があるものの、江北を失ったことで国人衆の中では旗頭として仰ぎ見ることを疑問視しておりまする」
「下手すれば六角家が自壊するか、当主の義賢の身が危ういか。焦る訳だ」
「落ち目と言えど近江国守護。六角家が本気となれば激しい戦となりますね」
「それは間違いなく。六角家では二万の動員が見込まれます」
「二万か。近江半国に近い領地になったのにそれほどまでとは。ほぼ総動員ではないのか」
「その代わり同盟を結んだ一色家が浅井家の牽制に動く模様」
「後顧の憂いは無いということですね」
「本気の六角家か。未だかつてないほどに厳しい戦になるだろう。そして長い戦になるな」
「細かな采配を繰り返し、動きの読み合いになることは間違いないでしょう。大軍同士でぶつかれば、勝負は一瞬。決断を下すには相応の胆力が必要となりそうです」
「そうなると総大将は長慶さんなのだろうが、前回同様に河内国守護の畠山高政も動くだろう。六角家にかかりきりではいられない」
「あちらも侮れませぬな。そちらの大将は順当にいけば三好実休殿。となると高屋城の守りにも不安が出てきます。そこから考えるに六角家に長慶殿が率いるのは無理があるかと」
「消去法でいけば義興殿しかいませんね。長慶殿は飯盛山城あたりで各方面の調整を含め全体の指揮を執ることになるのでしょう」
「そうだな。六角家の本気となれば、三好家に味方していた国人衆たちが日和見するかもしれん。二面作戦では三好家が兵数で劣る可能性がないか?」
「あり得ます。長きに渡り統治してきた六角家と畿内では新参者の三好家では重みが違いまする。三好家の隆盛の勢いに圧されて従っていた国人衆が逡巡してもおかしくありませぬ」
「やはり幕府直轄軍の出番となりそうだな。一益、準備はどうだ?」
「幕府歩兵隊千名、銃兵隊百五十名。いつでも出陣可能です」
「良し。長時、騎兵隊の仕上がり具合は?」
「現状、百騎。戦に耐え得るかと」
「惟政、情報収集を密に。周辺大名の動きにも気を配っておいてくれ」
「承知」
「藤孝。石田正継と輜重部隊との連携を協議しておいてくれ。若狭国の蔵に備蓄している米を使って構わん」
「ははっ」
「光秀は長慶さんへ会談を希望している旨を伝えてきてくれ。早急にな」
「畏まりました」
全員への支持を終え、顔を見渡す。
誰もがみな、疑問などを感じている様子は無さそうだ。
これで打ち合わせを終えようかと思っていたところで、和田さんが反応する。
「入れ」
その声とともに足音も気配もしない人が入室してきた。
剣術修行である程度、気配を読めるようになっているのに気が付かなかった。
ほかのメンバーも同じようだ。和田さんは何で気が付いたんだろうか。
そうこうしている間に和田さんへの報告が終わる。心なしか報告を聞いている和田さんの目が光ったような気がした。
「上様、さっそく周辺大名に動きが。紀伊国で河内国守護の畠山高政が守護代の安見、遊佐らとともに挙兵。根来衆も合流して規模一万の軍勢になる模様。……さらに越前国朝倉家に出陣の兆しあり。狙いは若狭国三方郡。若狭国東部を奪い取るつもりのようです」
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