第百六話 変化

 息子の慶興くんと松永さんを下がらせた長慶さんは、やれやれと言わんばかりの態度で口を開く。


「やっと腹を割って話せそうですな」


 何それ。怖いんですけど。

 さっきも結構好き勝手言ってなかった?

 まだ上乗せしてくるの?


 先ほどと打って変わってカジュアルな感じを出してくる長慶さん。

 最初の怖い感じはどこ行った?


「そうか? 随分腹を割って話せていたと思うがな」

「上様は変わられましたな」


 俺の返しはスルーしてません?

 変わったも何も、俺としては初対面だから何が違うか分かんないんだよな。

 ……どうやって返そうか。


 朽木谷に籠る前に三好長慶さんと面識はあるのだし、下手なことは言えない。意識が入れ替わりましたなんて言ったら、信じてもらえないだろうな。

 いや、むしろ驚かせて一矢報いれる気もして楽しそうだけど……。そのあとの反撃も怖いし、やめておこう。


 理由、理由。何か納得させられる理由はないか。


「そうだな。朽木谷では塚原卜伝という高名な兵法家がお見えになってな。師事していたのだよ」

「ほう。上様が剣術修行を。それは随分変わられるわけですな。その優れた兵法家殿は、今も麾下に?」


 お、この流れでいけるか。


「いや、塚原師とは朽木谷で別れた。もう教えることはないと言われてな」

「それは素晴らしい。免許皆伝という訳ですか」


「いやいや! 奥義は教わったけど、免許皆伝には程遠い。兄弟子に勝てたためしはないし、ここにいる細川藤孝にも劣るよ」

「……奥義とな。免許皆伝を受けずに奥義を授けられるとは、これ如何に」


 まあ、おかしいよね。その流派の免許を得てないのに、その流派の奥義を授かるなんて。俺もおかしいと思うんだけど事実なのだから仕方がない。

 正直言うと俺の奥義『一之太刀』は完成していると言い難いのだけれども。


「さて、儂にも分からん。塚原師の気まぐれではないか?」

「気まぐれ……か。見たところ、そこらの殿様剣法を習ってきたわけではなさそうだ。気まぐれで片づけるには無理があるように思うがな。それに儂が言う変わったは、もっと早い段階のことなのだがな」


 段々と話が深くなるにつれ、お互いの言葉使いが荒くなる。

 荒いというより素に近いというのかもしれない。

 ただ、こっちの方の長慶さんに好感を持ってしまっているのは否めない。


「もっと早い段階とは? 三好殿とは、六年余りお会いしていないと記憶するが?」

「直接会わずとも目と耳はどこにもあろう? 上様も沢山お持ちのようだと聞いているが?」


 和やかな雰囲気は一転、ピリピリとした空気に変わる。

 どこから話が漏れている? いや、どれだけ話が漏れているんだ?

 火縄銃製造までか直轄軍のことだけか。言い方だけを素直に受け取るなら忍者営業部の存在だけに聞こえるが。


 必死に頭を巡らし、どこまで情報を開示するか検討する。

 検討するって格好良く言ってみたけど、頭ん中パニックだよ!

 幕臣か朽木谷の人の中にスパイがいたのか。いやいや、いないと考える方がおかしいか。


 でも重要なことは主要メンバーしか知らせていないし……。

 ああ! 義弟の武田義統さんを助けに行くのに朽木谷から出陣してるや。

 となると、そっちもバレてるかもしれないぞ。


 どんどん考えが纏まらなくなってきていると、「えへん」と、とてもわざとらしい咳払いが聞こえた。

 この甲高い声は猿飛弥助だ。


 そうだ。猿飛や凄腕の忍び衆が朽木谷を守っていてくれたんだ。

 きっと彼らのお蔭で重要なことは漏れていないはず。


 となると、長慶さんが掴んでいるのは、忍び衆が優秀で数が多いくらいだろう。

 もともと、義藤は忍びを嫌っていたから、その辺りを変わったといったのではなかろうか。


「和田をはじめとして、周りには優秀な忍びが多いものでな。付き従ってくれている彼らの忠義に報いようと受け入れているに過ぎんよ」

「何ともお優しい。上様の御人徳によるものでしょうかな。おかげで朽木谷の話が中々耳に届かなくなり難儀しましたぞ」


 うーん、どこまで素直に受け取って良いのもやら。


「これからは、すぐ傍におるのだ。いつでも直接聞きに来れば良いではないか」

「左様ですな。ではお聞きすることとしましょうか。上様は今後の京の舵取りをどうなさるおつもりか」


 やはり核心に切り込んできたか。

 そうだよな。そこを話さなきゃならないところだ。

 だけど、長慶さんは京の舵取りと言ったな。


「京だけの話で良いのか?」

「畿内まで広げまするか?」


「いや、儂は室町幕府の将軍だ。幕府は日ノ本の武士を束ねる組織。語るなら日ノ本全土の舵取りを話すべきだろう」

「はっはっは! 大きく出ましたな。いやしかし、至極真っ当なご意見。将軍たるもの日ノ本全土をすべからく安寧に導くべき存在。それは尤もなれど、頼朝公や尊氏公に並ぶような大業を成し遂げねばなりませぬぞ。上様にその覚悟がおありですかな?」


「覚悟はある」

「……ほう」


 間髪入れずに答えたのが気に障ったのか、覚悟がある宣言を受けて長慶さんの目が怪しく光る。

 それは最初の対面よりも暗く冷たい。


 どうやら特大の地雷を踏んだらしい。

 お尻の穴がきゅっとなってしまった。


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