第百話 打ち手の差
昂る気持ちを抑えるべく、茶を点てる。
松永久秀のように優雅な作法とは言えないが、自分なりの拘りがあってやっている。
茶を人に供するのは好きではない。
挙措、味、湯の温度に至るまで自らを晒すようで落ち着かぬのだ。
あくまで自分が満足するものであれば、それで良かった。
五年前の記憶の男とは違う顔を見せる若き将軍。
記憶を思い返しても今の実像とは全く違う。
その実像も想像の産物でしかないのだが、明確な実像として自分の中に描かれている。
その行いに、まるで恋に焦がれる
このような昂ぶりを感じるのはいつ以来であろうか。
熱くなればなるほど失敗する。それはこれまでの人生で学んだことだ。
点てた茶の熱さで、胸に込み上げた熱を上書きするように嚥下する。
口から喉、喉から胃の腑へ。
茶の熱が胸に籠る熱を巻き込み、腹へと落ちていく。
腹へと落とし込んだ熱は燻ぶりながらも表面上は落ち着き始めた。
これで問題ない。
いつもの自分に戻るための儀式。
三好長慶という男と畿内を取り仕切る執政者を切り替えるための儀式。
即ち、本来の自分と仮初の自分を切り分ける儀式。
この儀式を以て、我は三好家の当主となる。
三好家の当主として取るべき手立て。
この戦の戦果を最大限に獲得し、敵である六角家に最も損害を与える手立てを思案する。
三好家にとって最大の利益、六角家の最大の不利益。
数多の人間が存在する世では、抜き出した二者間で利益が奇麗に相反することは少ない。損の中に利があり、利の中に損がある。
しかし、この度は、とある特異点によって我らの利益は相反する。
その特異点。我らになく、六角家だけが有するモノ。
「将軍殿を引き込むか……」
時間をかければ六角家を立ち枯れさせるのは容易い。
というより、既にそれは確定路線となりつつある。
ただ、その方向で話が進むと、再び大きな戦を迎えざるを得ない。
戦には勝つだろうが、こちらも損をする。
今回、大規模な軍事行動をした以上、それはよろしくない。
いずれ立ち上がる六角家に力を持たせない手。
それは将軍である足利義輝を担がせないこと。
六角家単独の力であれば、さしたる脅威はない。
六角の子倅に、単独で儂には向かう胆力も無かろう。
「ふぅむ……」
もう少し手を打っておきたいところだ。
六角家が最後の悪足掻きで歯向かってくることは目に見えている。
であれば、弱体化させる手を打っておくべきである。
そう思い至り、六角家の所領と有力国人衆を思い出す。
あそこは六宿老と呼ばれる重臣たちが家政を取り仕切っていた。
しかし、当主の
もう一手。
将軍殿を庇護していた朽木家は、六角家に臣従していながらも、将軍家を優先している節がある。武士の棟梁である将軍家を支える。それは建て前の世界では正しいが、六角家からすれば面白い訳はない。
これも使えそうだな。
もう一捻りしておこうか。
江北に根を張る浅井《あざい》家。
六角家と袂を分かつ。勢いと感情に任せた無謀とも思える動き。
風聞から思い描く、当主の
おそらく武断派の家臣が発端となり、浅井の息子を担ぎ上げて気炎を上げておるのだろう。そやつらに金や武具などを流しておくのも良いな。
成功しようとしまいと六角家の力は落ちるだろう。
――この辺りで許してやろうか。
ここまで手を打っておけば、万が一の際にも脅威にならんだろう。
あとは掌中の珠をこちらに取り返せば、六角家に用はない。
そうなれば、今まで通り、近江国だけ見ておれば良いのだぞ。
問題はどう取り返すかということ。
力技では、禍根を残す。大軍で城を取り囲んだところで、討死されても厄介だ。
まだ六角家領内に逃げ込まれるのも、問題を長引かせるのみ。
となれば自発的に戻らせるに限るな。
まずは将軍殿ご本人。
これは読みにくい。反応は素直だが、今までのようにはいかないのは今回の合戦で分かった。ここを無理押ししても予想外の方向に動きそうだ。
次点で六角義賢。
ここまで来て、総攻めをしてこれないほどに先を見れぬ男。
将来の利益より、目先の利益を優先するだろう。
おそらく将軍殿を神輿にしたのは自分たちの発言権のため。
我らと血みどろの戦いをしたいわけではなく、分け前が欲しいといったところだろうか。――まあ、そういう所が物足らんのだよ。
この戦国乱世において、程々などは存在せん。
全てを得るか全てを失うか。そこまでしてやっと五分の勝利を得られるのだ。
それが分からんうちは、儂の相手になるまい。
――やはりここが狙い目か。
あとは管領殿。
あやつは、管領であることに拘りを持っている。
管領たるためには、室町幕府が健在でなければならない。
室町幕府は京にある。京の都で運営されてこそ幕府は健全な姿になる。
つまりは、あやつも京に戻りたいということ。
これも使えそうだな。
あやつを唆せば、幕府軍を京に戻るという意識誘導に使えるだろう。
……お前自身が京に戻れるかは知らぬがな。
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