室町武将史 山椒のような文化人
幕間 石田正継 伝 望外の出世
近江之湖。
山々。幾ばくかの平地。
近江国
近江之湖の北西部に位置する。そこは、いくらか開けた土地がある。
そのほんの少しの土地を領するのが石田家である。
我が石田家は、代々身体に肉が付きにくく、槍働きを得意としない者が多い。
何とか石田庄に土地を賜ったのが幾代も前の話。
それ以来、土地を守るために汲々としながらも、相手を調べ、策を用い、縁戚を結び、思惑を読み、生き延びてきた。
石田の家に生まれたが故に要らぬ苦労を背負ってきたように思う。
若かりし頃は、自分が家を大きくしてやろうと足掻いてみたが、現状維持が精いっぱいだった。もしかしたら足掻かなければ、土地を失い余計な苦労をしなくても良かったのかもしれない。つい、そう考えてしまう。
まだ見ぬ息子に同じような苦労を負わせるのは心苦しい。
そういう風に考えてしまったのがいけないのかもしれない。
我が石田家にはまだ子を授かっていない。
私は既に若くない。早く子を成さねば、石田本家の血筋が途絶える。
それに武芸に自信がないので、戦となれば身を守ることさえ危うい。
戦のたびに言葉通り命懸けである。
腕に自信がないのであれば、強き者を家臣にすれば良いと考えた。しかし、私のような頼りない主君に名だたる猛者が家臣になる訳もない。
そもそも半士半農のような小さな国人領主に仕官してくるような武士などいるはずもなく、数少ない領民の中から利発そうな子を若党にもらい受けるくらいがせいぜいだ。
槍を教える師が悪いせいで、若党の腕前も推して知るべしである。
全ては領主が悪いのである。
頭を使い、生き延びてきても周囲の信頼を得られない。
小さな国人領主であればあるほど武芸の腕前が貴ばれる。
私のような子供にも負けそうな男は最底辺の評価となるのは必然のこと。
連歌や和歌などを好むこともあって、文弱の徒と蔑まれ、異物視されている。
必然、狩られる側に回りやすい。だからこそ、頭を使い、情報を集め、勝ち馬に乗るためにどんな手も使ってきた。
顔色を伺い、余人が嫌がる雑役を買って出る。周りからは風変わりながらも便利な奴と思われていることだろう。
潰すより、こき使った方がマシと思われるためにちょこまかと動くのが私の生き方だった。
そうやって生き延びてきたのは、幸いだったのかどうか。余計な苦労ばかりを背負いこむ人間になってしまった気がする。
転機が訪れたのは、私が三十歳を過ぎたばかりのころであった。
険しい表情を浮かべる男が
その男を比較的マシな部屋に通し、私はその男の対面に座る。
いつものように、その男の心情を読もうとするが何もわからなかった。
怒るでもなく、興奮するでもなく、初対面の人間と出会ったことで沸き起こる感情の波が全く見受けられなかった。
「和田殿とおっしゃったか。このような何もない里に何の御用ですかな?」
「和田惟政と申す。将軍家に仕えておる武士である。此度は上様の御用命で参った次第」
将軍とな!? 京極の殿様どころかにもお会いできぬ木っ端侍に将軍直々の御用命だと!?
一体どのような無理難題を押し付けるつもりであろうか。
もしや汚れ仕事を押し付けられてしまうのか。私は武士らしくないとは言え、それは武士であることを否定するものではない。
意地汚く生きてきたが後ろ暗い生き方はしていない。
将軍家の依頼であれば断れぬ。しかし武士の矜持を貫くことは諦めない。
そこだけは命を賭してでも守り切らねばならぬ道である。
将軍様からすれば、私のような地侍の命など塵芥のようなものだろう。
いや。もしかすると塵芥ほどにも存在を認識されないかもしれぬ。
小さくとも命懸けで守ってきた石田庄を守るためには何を差し出せば良いのであろう。
せめて、こんな領主についてきてくれる気の良い領民には危害を加えないでもらいたい。
――どうにかして私の命だけで済んでくれれば良いのだが。
「……将軍様の御用命と申されましたか。この石田庄に? 何か不手際でもございましたか?」
「まあ、落ち着かれよ。悪い話ではござらん」
仕えている京極家にすら認識されているか怪しい石田家に、将軍家から悪くない話が持ち掛けられる?
何かとんでもないことが起きると予想するのは当然のことだろう。
「そうはおっしゃられても、石田家は小さな国人領主。お話を持ちかけられるだけでも驚天動地と言えるほど。幕臣である和田様とお会いしていることすら信じられませぬ」
私の言葉を聞くと、厳しい顔付きが和らぎ、悪戯小僧のような表情をされた。
「そんなことでは、これから身が持たぬぞ?」
「えっ? それはどういうことでしょう?」
「上様は文官をお探しだ。朽木稙綱殿のご推挙で貴殿を幕臣に迎えたい」
「ご冗談を。朽木様とは面識がございませぬし、幕臣の皆様は、長年幕府の運営に携わってきた由緒正しい家柄の方々ばかりではありませんか。わざわざ外から文官を招かずとも、手は足りましょう」
一騎当千の武者と違い、文官仕事は多少の差はあれど、誰でも同じ程度の出来になる。
仮に私がいくらか優れていようとも、招かれるようなことがある訳がない。
「その質問は尤もである。これは儂の出自に因むものであるのだがな。儂は甲賀忍びの出身。今回の文官仕事は儂の下についてもらいたい。あとは言わずとも分かろう」
なるほど。
由緒正しき幕臣であるが故に忍びのような者の下について指図されるのは耐え難きものであろう。
戦場のように一瞬の判断で命を失うような場合でない限り、そういうことを考えてしまうのが人の性。
だから私のような身分の低い者が求められているということか。
これは私の命を心配する必要はなさそうだ。念のため、話の裏を押さえておきたい。
「私のような者が横入りして、皆様方のお顔を潰してしまわぬか心配にございます」
「そうか? その割に自信に溢れた顔をしているぞ? 既に乗り気なのであろう?」
これはこれは。年甲斐もなく気が高ぶってしまったようだ。齢三十を過ぎ、人生の半ばを越してから、このような心踊ることにめぐり逢うとは。
私が幕臣か。
いつか生まれてくる息子たちに譲る道として悪くない。
いや、違う。息子のためだけではない。
塵芥の中から拾い上げてくださった将軍家のために働きたくて仕方ないのが正直な気持ちだ。
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