第六十六話 抗えぬ誘い
弘治四年(1558年)
「上様。六角家からの書状には何と?」
いつものメンバーが集う執務室。
義弟殿の廃嫡騒ぎの連絡も新年早々だった。
そして今回も。
凶報というのは、年が改まってから来るのだろうか。
……そうそう、俺も手紙が読めるようになったんだよ。楓さんのマンツーマン指導のおかげだね。
そんな風に現実逃避をしたくなる内容。今回ばかりはそれも仕方のないことだと思う。
「昨年、後奈良天皇が崩御されたことにより
「なんですって?! 後奈良天皇が崩御されたことは知らされておりましたが、朝廷から改元の相談など一度もありませんでした! 改元は朝廷と幕府が相談して決めるはずです!」
皆も驚きの様子ながら、藤孝くんの言葉に頷く。改元する際には、朝廷と幕府の相談で決めると言うのは通例で、この時代の常識である。
それが朽木谷に逼塞しているとはいえ、朝廷は何の連絡も無しに改元していた。
しかし、六角家からの書状はこれを伝えるものではない。これに端を発して事態が最悪の方向へ転んだことを告げるものだった。
「そうだ。
「それは
「ああ。このまま改元のことを放置していては、三好家と朝廷の交わりが強くなりすぎる。幕府として正当な権利を主張すべし。そのためにも、三好を京より追い出し、将軍には京の主として戻っていただきたいというのが本旨だった」
執務室に静寂が訪れる。
事の重大さに部屋の空気がより冷たく感じる。
京の主として戻る。三好家を追い出す。その意味するところは一つしかない。
「……三好家との再戦ですかな」
ポツリと漏らす和田さん。皆が思い浮かべていても口にしたくなかった言葉。
それを敢えて発言してくれたように思う。
「そうだ。六角家も兵を総動員して三好家と対峙すると決めたようだ。そして余にも出陣を依頼された。各地に散って潜伏している幕府奉公衆とともに出陣し、京を窺って欲しいそうだ。あくまで三好家の目を向けさせるためで、六角家が本隊となると言っている」
「そうは言っても! 上様が一番危険な役回りではないですか!」
そうなんだ。三好家は、将軍である俺を捕らえるか殺せば勝ちが確定する。
乱戦の結果、俺が死んでしまったら仕方ないと言い張れる。むしろ暗殺より後ろ指を刺されないので都合が良いだろう。
さらに三好家には足利将軍家の血を引く傀儡が手元にいる。三好家は、以前にその人物を無理矢理に将軍位に就けようとして断念した経緯がある。
しかし、その時と違って俺がいなければ、三好家の推す将軍候補を退けられる者はいない。
六角家も支援している将軍を失えば、口を挟む余地が無くなってしまう。
しかし、俺が動かねば六角家だけでは三好に敵わない。いや、俺と六角家だけでも敵わないかもしれない。六角家も幕府も改元話が進んでいたのは寝耳に水だった。当然、合戦準備なんてできていない。逆に三好家は、こっちが動く可能性も予想しているだろう。もしかしたら、ある程度、合戦の準備をしているかもしれない。
こっちは準備が足りていないし、今回は主導権が俺にない。初陣の時のようにタイミングを計って奇襲することは難しくなる。正々堂々と出陣して、衆目を集めなければ六角家の依頼を達成できないからだ。どう考えても厳しい状況だ。
「……断る訳にはいかないのでしょうか」
藤孝くんが珍しく歯切れの悪い言い方をする。
それは彼自身、自分が言ったことが無理だと理解しているから。
そして、そう言いたくなるほどに状況が悪いということを理解しているから。
「無理でしょうな。今回はそれで終わらせたところで、三好家の勢いはそのまま。むしろ加速して盤石の体制になるのは必定。そこまで至っては、手も足も出せなくなるかと。そのような状況となれば六角家が幕府の支援を止めることもあり得ること。勝てぬのであれば、三好家に膝を屈して家を残すことを優先するのが自明の理」
「
「それは家臣一同にも言えることです。それにしても解せぬのは、朝廷の動き。上様の御母堂は、かつての関白である
「そうだな。確か稙家様は京に残った御子息殿に家督を譲られているのだったな。現関白で
「はい。それはそれとしても我らの動きは変わりませんね。そして危険度も」
「ああ。事情はどうあれ、出陣せざるを得ぬだろう。ここまで三好が京に根を張っているとなれば、我らがゆっくり力をつける時間は無くなった。幕府奉公衆がどれだけ集まるか知らんが、こちらがどう戦うか考えねばならん」
我ら幕府直轄軍は総勢三百。せいぜい馬廻衆程度の規模だ。
対して三好家の動員能力は数万。
本隊と対峙するわけではないが、別動隊でも三好家の方が兵数は多いであろう。
どれだけ奉公衆が集められるのか。それが俺の命の安全性のバロメーターとなる。
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