第四十七話 足利将軍たるもの

 俺は武田義統たけだよしずみさんを助ける。そう決めた。


 けど怖い。朽木谷から出ることが。そして戦場に出ることが。

 もし抜け出したことを三好家が問題視したら……。人を殺すことを躊躇ためらわない人間が大挙して押し寄せたら……。


 映画でもあるまいし、都合の良い話が転がっている訳じゃない。俺が死ぬかもしれないし、ここにいるみんなが死ぬことだってある。出ていったところで、義統さんを助けられるって保証はどこにもない。


 それに……間違いなく、連れていく兵の誰かは死んでしまうだろう。俺が義弟殿を助けると決めたせいで。

 彼らにも家族がいて仲間がいる。明日を楽しみにしているだろうし、将来の夢があるかもしれない。

 それを失わせるかもしれない決断をする。

 それも怖い……。誰かが引き留めてくれたら、それにすがれるのに。


 座敷にいる皆を見回す。和田さん、藤孝くん、服部くんに楓さん。

 俺の発言を待っている。誰も口を開かない。


 この時ほど将軍という立場が恨めしいと思ったことはない。

 武家の棟梁、幕府の頂。他の誰でもない。俺が決めなければ許されないんだ。

 その視線は、俺に立場に見合う責任と義務を背負えるのかと、問うているように感じてしまった。


 でもきっと違う。皆の視線は期待しているんだ。俺の言葉を。俺の決断を。


「…………我ら幕府は、義弟である武田義統たけだよしずみを支援する! 和田惟政わだこれまさ! 今動かせる兵はどれほどか?」

「はっ! 幕府歩兵隊五十、銃兵隊二十、幕府忍び五十。総勢百二十にございまする」


 朽木谷に逼塞して二年と少々。当初は兵も無く金も無い。幕府という形すら維持できなかった。

 それが直轄軍を百二十人も抱えるほどになったのか。


 兵数としては決して多くない。それでも、みんなのおかげで金を集められた。そしてその資金があったからこそ直轄軍が組織できたのだ。みんなの頑張りの成果だ。そして俺の意に応じてくれる仲間なのだ。


「良し! 率いる将は?」

「幕府歩兵隊は滝川益重たきがわますしげ、銃兵隊を滝川一益たきがわかずます、幕府忍びは某、和田惟政わだこれまさが率いまする。近衛には、服部正成はっとりまさしげ、猿飛弥助」

「私も近衛として御伴を! 必ずや上様をお守りいたします」


 心強い。皆一緒だ。さあ、くと決めたら、やるべきことが山積みだ。

 まず、滝川さんたちと直轄軍を呼び寄せなくては。彼らは甲賀の清家の里にいる。

 残念ながら小笠原さんは呼べないな。彼は遠すぎる。


「清家の里へ知らせを。先に今いる者たちで軍議を開く」

「上様、我らの足を見くびられますな。滝川殿であれば明朝にはここへ辿り着きまする。軍議はそれからでも遅くはありますまい。兵らも日が暮れるまでには到着するはず。まずは各所への武具と糧食の手配。情報の取りまとめが肝要かと」


 まだこちらの準備が何も出来ていなかった。情報も第一報だけだ。少し焦りすぎたか。


 滝川さんたちは明日の朝に来るとは。早いな。将は馬に乗れるから可能かもしれないが、凄いのは兵たちだ。二年間走りに走っていた幕府歩兵隊と銃兵隊。全国各地を飛び回っていた忍者営業部。恐ろしい機動力である。


「わかった。こちらでも軍備を進めるよう動いてくれ。後はどうする?」

「承知致しました。上様はお休みになり英気を養って頂きたく。おそらく動き出せば足を止める暇が無いやもしれませぬ。後のことは我らを信用くださいませ」


 そう言われてしまえば、何も言い返せないじゃないか。それに、イケ渋の和田さんの笑顔は反則だ。思わずこちらも微笑んでしまう。


「余がいれば邪魔になるな。後は頼む」

「お任せを。楓。上様をお連れしてくれ」


 その一言で、会議は一旦お開きとなる。俺は楓さんに先導され自室へと戻ることになった。

 残ったメンバーは各員に指示したりと忙しそうである。



 自室に戻った俺は気が高ぶっているからか、どうにも落ち着けなかった。

 座ったところですぐに立ち、ウロウロ歩いては、また座る。頼もしい仲間と比べて、なんとも情けないものだ。

 そんな鬱陶しい行動を取る俺を楓さんは静かに見守ってくれていた。とてもじゃないが見ていられない態度だったと思う。それでも咎めることもなく静かに側にいてくれる。


 多分、今の状態では声をかけられても、頭ごなしに否定するか、声を荒げてしまうか。どちらにしても良いことはない。


 ただ側にいてくれるだけで良かった。それだけで少しずつ気持ちが落ち着いてきたのだから。


 俺が座り込み、ふーっと息を吐くと、楓さんが口を開いた。


「お茶を点てましょうか。薄く点てますから。お茶には気分を落ち着ける効果があるのです」


 すごく気を遣ってくれているのが微笑ましい。とんでもない濃茶事件で俺は白湯しか飲まなくなったのだが、気持ちを落ち着かせるためにお茶を飲まないかと提案してくれたのだ。胸がじんわりと暖かくなる。


「ありがとう。じゃあ本当の本当に薄目でお願いね」

「私を信じてください! ちゃんと薄茶にしますから!」


 信じてるさ。楓さんも大事な仲間だもの。

 いつも傍にいてくれる大切な人だ。

 中々面と向かって言えないんだけどね。

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