招かれざる客と……
第二十一話 年上の義弟というものは
平穏な日々とは不思議なもので、失って初めてその価値が分かる。
朽木谷に籠って数週間。俺はこの朽木谷の落ち着いた生活にすっかり馴染んでいたようだ。
そう気が付けたのは、今日訪ねてきた
俺も朽木の爺さんに同じようなことをしようとしたけど、アポ無しは良くなかった。藤孝くん、止めてくれてありがとう。
仲が良いからって気軽に行こうとしたけど、突然の来訪は迷惑に思う時もあるんだよね。
もうしないよ。親しき仲にも礼儀ありだ。
さて、その闖入者であるが、先日手紙を送っていた若狭武田家の嫡男で、俺の義理の弟にあたる
彼には、妹が嫁いでいるので義弟となるわけだが、十歳ほど年上のお兄さん。
由緒ある若狭守護の家柄で、系図を辿ると甲斐武田の分家になるらしい。
なんだけどなぁ。
武田信玄の髭モジャのイメージとはかけ離れていて、中性的で色白。少しばかり、なよっとした感じだった。
全然、武将っぽくなくて、研究者か大学の教授のような風貌という印象を受けた。
そんな優しげな顔を見て、気を抜いてしまったのがいけなかった。もしくは、頼んでいた若狭の港の蔵を貸してもらう話が順調に進んだからかもしれない。
それは本題が終わって、世間話の時間になった時に起きた。
―――――――
「若狭小浜港にある蔵の貸与を許可してくださって、ありがとうございます。幕府としても重要な地として認識していますので、何かあれば協力を惜しみません。いつでも頼ってください」
「上様、おやめください。我が武田家は、上様より若狭守護を賜いし家柄。上様のお頼みであれば是非もなし。何より我が義兄ではありませぬか。お気遣いなさいますな」
優しいなぁ。なんとなく幕臣のみんなと雰囲気が似ている気がする。
戦国大名の嫡男が来たって聞いて身構えていたけど、こういう雰囲気の人なら緊張しないで済みそうだ。
最初に話を聞いた時は驚いた。
なぜか蔵の使用許可の手紙を託したら、返事を渡さないで嫡男である武田義統さんが一緒についてきたって言うんだもの。
お使いに出した幕臣のやつ、気を利かせて先に誰か朽木谷に走らせて、連絡をくれれば良いのに。今朝、帰着の挨拶の時についてきちゃったんですがどうしましょうって言われてもね。
来ちゃった以上は会わずに帰すわけにもいかず、先方もすぐ会いたいって言うもんだから、楓さんと藤孝くんでドタバタ準備して、今回のご対面と相成ったわけだ。
しかしまあ、ここまで乗り気になってくれたことは感謝しかない。
ましてや義兄弟の間柄とはいえ、嫡男が直接挨拶に来てくれるのだから、これほど安心なこともない。
武田義統さんの様子から、騙すような雰囲気は感じられないし、言葉通り受け取って良さそうだ。
厳密にはまだ当主じゃないから違うけど、周辺国の大名との会談は初めてで緊張していた。
ひとまず会談はうまく進んでいる。この良い雰囲気のまま終わらせてしまおう。
「京の近くに心強い味方がいてくれて何よりです。これからも末永くよろしくお願いします」
「そんな他人行儀な。こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。さて本題は終わりましたかな。話は変わりますが、実は……」
えっ? 今、会談が終わる感じだったよね。
初対面での会談は緊張したし、そろそろ終わりにしたかったのに……。
このタイミングで何をぶちこんでくる気なんだ。
ちょっとモジモジしている様子に何とも言えない気持ちになる。三十歳近いオジ……お兄さんのモジモジする様子を見せられて誰得なんだろうか。
待たされている方も、何が飛び出してくるのかヒヤヒヤしているので、早く告げて欲しいものである。
「実は……お恥ずかしながら、私は上様のような雄々しくて勇壮な兄が欲しくて欲しくて堪らなかったのです。つきましては……私的な場では兄貴と呼んでもよろしいでしょうか?!」
最後の方は、一気にまくしたてるように。
余りの勢いに、そのまま頷いてしまいそうになった。
「えっ……いや、ちょっと。兄貴って。武田義統さんは、確か私より十歳ほど年上ですし……ねぇ?」
「そんなご無体をおっしゃらずに! 是非とも! 是非とも~!!」
なんだ、この人……。あ、圧が強い。十歳も年上なオジ……お兄さんに兄貴と呼ばせてくれって……。
一歩譲って、兄貴と呼んでもらうのは良いんだけど、この圧に押し負けると、取り返しのつかない約束までしてしまいそうで嫌な予感がする。
でも武田義統さんの純粋な目。すごい真剣だってわかってしまう。
蔵の賃貸の話との温度差は一体何なんだ。
「わ、わかりました、武田義統さん。慕ってくださることは私としても嬉しいですし――」
「あ、兄貴! ありがとうございます! それと私めに、さん付けなど不要! 義統と呼び捨てになさってください」
感情溢れちゃって、兄貴呼びしちゃってますよ、武田義統さん。
一応、この会談は将軍と若狭武田家の公式な場ですから。いつもは、そういう所きちんとしている藤孝くんも、武田義統さんの勢いについていけず、スルー。
「よ、義統」
「はい! 兄貴! あっ! そうでした! もう一つ兄貴にお願いが!」
……何でしょうか。もうこの際、早く終わるなら何でもOKしてしまいたいところだ。
テンションの違う人と会話するのってすごく疲れる。
「どんな事でしょうか?」
「こちらに控えられている細川藤孝殿に。私めは連歌や和歌が殊更目がありませんで、是非とも幕府内でも特に秀でると有名な細川殿と文芸談義をしたいのです!」
良かった。俺じゃないのね。
それなら良いや。ごめん、藤孝くん。俺もう限界。今度埋め合わせするね。
「良いんじゃないかな。藤孝くんも、そういうの好きだからね」
「ちょっ、上様!」
「ありがとうございまする! では細川殿、後ほど! 今日は朽木谷に泊まらせていただくことになっておりますから、いくらでも話ができそうですな!」
お泊り男子会だそうですよ。
俺は和歌とかの文化的なものに縁がないから、近寄らないよ。
今晩はぐっすり眠れそうだ。
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