第十七話 忍者も書類仕事をする時代

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「兄上! ちょっとよろしいですか?」

「どうした急に。上様のお世話はどうなったのだ?」


 兄である和田惟政わだこれまさの執務室に駆け込んだ楓は、書類仕事に集中している最中にもかかわらず不躾に声をかけた。


「それはちょっと……。それより緊急事態なのです!」

「なんだ藪から棒に。今、キリの良いところで終わらせるから少し待っておれ。その間に少し落ち着くのだ」


 一回りほど歳の差のある兄妹であるためか、子供をあしらうような態度で接する惟政。といっても、馬鹿にするような感じはせず、親しい関係がよく表れている。


「兄上は鷹揚過ぎます! 緊急事態と言ったではないですか」

「その気の強さは良くもあり、悪くもあるな。そのような様子では上様のご寵愛をいただけないぞ」


「もう! 兄上! いくら兄妹でも言ってはならないことがあるのですよ! それに私はあの人に抱かれたくなどありません!」

「これこれ、声を抑えよ。上様の寵愛を得ることは和田家のため、ひいては甲賀忍びの地位向上のためにも大切なことだ。それは最初に言い含めておいたはずだぞ」


「それはそうですが……。しかし、あの人は我ら忍びの者を人と思わぬお方。寵を得るなど夢のまた夢にございます」

「そうでもないぞ? 朽木谷に逼塞してからの上様は、お人が変わられたようだ。今までの態度を謝罪され、忍びの技術を貴重だと褒めて下さった。この前も、我ら忍びの者ですら大切な人だと言ってくれたではないか」


「それもそうなんですが……」

「何より、お前は上様に大切な人と言われて嬉しそうだったではないか」


「――ッ! いい加減、本題に入らせてください! 上様に忍び火薬の製法をお伝えしても良いですか?!」

「ふむ。緊急事態との言葉からして、さてはお前、すでに教えてしまったのだろう? そそっかしさは相変わらずだな。それと都合が悪くなると勢いで何とかしようとするのは止めておいた方が良いぞ」


 和田惟政は含み笑いとともに、兄らしい言い回しで忠告する。

 すべてをお見通しとばかりの言葉に楓は狼狽の色を隠せない。


「なんでそれを?! それはその……、ですが……はい。左様です。……申し訳ございません」

「まあ良かろうて。和田家は将軍家に忠誠を誓うと決めたのだ。出し惜しみをしていては上様に申し訳が立たぬ。それに甲賀の者の仕事が増えるかもしれんしな」


「良かった! では上様のお手伝いに戻ります! 失礼します!」

「おう。行ってこい。……随分嬉しそうで何よりだ」



 ――――――――――――



 ヒイヒイと汗だくになって釜をかき混ぜていると、楓さんが小走りで戻ってきた。

 もっと小分けにすれば良かったと後悔していたところで、心が折れかけていたので、心のオアシスたる楓さんの帰還は気持ちを奮い立たせてくれた。


 白い肌に少し上気した赤い頬、クールな美人さん。最高です。

 これで微笑みながら手でも振ってくれれば、デートの待ち合わせみたいで幸せな気分になれるんだけどなぁ。


 まあ、当然のことだが楓さんがそのような事をするわけもなく、離れたことの詫びに頭を下げて終わってしまった。


「兄上からも許可をいただきました。忍び火薬の製法は紙面に認めておきます」

「良かった。硝石の生産はすぐには増やせ無そうだったから助かるよ。それより和田さん屋敷にいたんだね。忙しくしてないかな?」


「はい。何やら書状を書かれていたようで、書類に囲まれておりました」


 あちゃー、やっぱり事務作業に追われているみたいだ。

 忍者が事務作業って、自分で言ってて凄いシュールで面白いけど、人員配置の面では最悪だと思う。

 なんで身体を動かす方面で特殊技能がある人が、机に向かって事務作業してるんだって話ですよ。


 適切な人員配置って難しいけど適材適所でやっていかなきゃ。


「それは問題だな。和田家には、小間使いの子とかいないの?」

「うちは家計が苦しくて、自分たちで出来ることは自分たちで行う家風ですので」


 ……ごめんなさい。

 そういう生活を強いてきたのは私のせいです。いや、厳密には、かつての義藤なんだけども。

 現状でも、さほど生活を楽にしてあげられていないから俺も同罪か。


 まずは、忍者営業部に事務方をつけて、トップの和田さんには自由に動いてもらうことにしよう。


 しかし困ったぞ。

 幕臣連中は、ザ・文官って感じの官僚タイプばかりなんだけど、家柄が良いだけじゃなく、若手でも既に幕政に参与している一人前の人たちばかり。


 今になって、和田さんの下について事務方をやって欲しいなんて言っても、承諾してくれるかどうか。

 無理言ってやらせることが出来るかもしれないけど、能率は落ちそうだし、恨まれて寝首を掻かれでもしたら目も当てられない。


 いや、寝首を掻こうとしても猿飛弥助が阻止してくれる手筈になっている。

 だから大丈夫なはず。……大丈夫だよね? 

 襲撃されても、「ちょっと寝てたよ。ごめん」とか言いそうなんだよな、弥助って。


 弥助なら、お願いすれば事務方をやってくれそうだけど、向いているかは怪しい。

 服部正成くんも同様だ。


 今の手持ちの札で、和田さんの下でも良いってノビノビ働いてくれそうな人はいないな。

 甲賀忍びの若手だったら大丈夫だろうけど、それもまたなんか違うしな。


 こうなったら朽木の爺さんに相談して、パート募集でもかけようか。

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