第35話 エレンの希望

 男は聖獣のことを誰にも知られまいと女を切り捨てた。

 魔力を得て、国を作り面白いように人生が変わっていった男の心にはかつて愛した女への思いは消えていた。聖獣を奪い返されるわけにはいかない。すでに妻と決めた別の女性の存在もあった。


 男は捕らえた女を、この国を害さんと送り込まれた魔族だと嘯き、国王である自分を殺害せんとする罪人だと国民に知らしめた。

 為政者としては優秀で国民に慕われていた国王の命を狙った魔族の女は国民から恨まれ、皆から罵声を浴びるなか処刑された。


 女は男を恨んで恨んで死んでいった。


 そして、その記憶を持ったエレンという女が遠い未来に生まれた。


「私と・・・同じだったんだ。」

 エレンの前世を聞き、アリスは胸を痛めた。

 彼女も信じていた人に裏切られ、むごい目にあっていた。もうその男はいなくても子孫である王族が治めるルーナ国、聖獣のおかげで魔力を持つに至った国民すべてが憎しみの対象だったのだろう。滅ぼすために禍根のある聖獣を利用する、それが彼女の憎しみの深さを示していた。


 そして、王族の始祖が卑怯で許しがたい罪人であったという事実。国の根幹が崩壊するほどの醜聞だった。その場にいたものには箝口令が敷かれた。


 再び特別謁見室に国王やアリス達が集った。

 まずは国王が沈痛な面持ちで皆に頭を下げた。

「陛下、陛下のせいではございません。哀れだとは思いますが逆恨みというものです。」

 宰相が国王を労わる。

「あの者の処分を決めねばならん。」

「これだけのことを引き起こした重罪人です。処刑しか考えられません」

 アリスとルイスを傷つけられ、クリストフにあのようなことをさせたエレンを憎むエルネストは死罪を強く求める。


 それでもその原因が原因だけに国王はためらいを見せている。

 エルネストはアリスに聞いた。

「アリスは・・・どう思う?」

 今回はこのような結果になったが、前回はエレンの策略に嵌まり絶望を味わっている。そのアリスがエレンに何を思うのか知りたかった。

 そしてエレンと同様に、記憶がよみがえった時、エルネストたちに復讐しようとは思わなかったのか気になり、胸が押しつぶされそうな重苦しい思いに苛まれた。


「私は・・・それに至るいきさつはともかく、彼女が大勢の命を奪おうとした事実のみを拾い上げることが肝要だと思います。事実、命を落とした者がおります、いまだ家がない大勢の被災者がいます、そして戦争も引き起こされました。この事実だけをみて、感情を巻き込む必要ないと考えます。」


 当事者であるはずのアリスの、そしてこの部屋にいる最年少の子供の発言とは思えない合理的で冷静な意見に雁首をそろえた大人たちははっとした。

「・・・そうか」

 エルネストはうなずいた。


 一番エレンを憎んでいるのはアリスだと思っていたから、死罪を望むだろうとは思っていた。しかし半面、闇に落ちるほどの恨みを抱いたエレンの心中を理解できるのもアリスだけだと思っていた。まさかここまで冷静に、俯瞰的に見ているとは思わなかった。

 アリスの発言にみんな納得し、過去の経緯は過去の事として扱い、今回のことは今回のこととして裁くことになった。


 エレンは死罪と決まった。


 本来ならあれだけのことをした重罪人として断頭台で公開処刑になるところだが、毒杯を賜ることとなった。異例中の異例なことに立ち会った国王はじめ、王族が死を前にした罪人に頭を下げた。


 アリスは国王に許可を得てからエレンのそばに近寄った。魔法は封じられもう抵抗する力もないエレンはそれでも視線だけは鋭く憎々しげにアリス達をにらんだ。

「貴方が今度生まれてくるときは、どうか何の記憶も持たずに、ただあなたの幸せのためだけに生まれてくるように願うわ。」

 エレンの耳元でアリスはささやくと、エレンの両手を握り光を放った。ケルンもこっそりとポケットの中から聖なる癒しの魔法とその魂が憎しみから解放されるよう加護を与えた。


 エレンはツーっと涙を落すと、何かささやいて毒杯をあおった。

 とても小さく、しかし確かにありがとうという言葉を残してエレンは逝った。


 王宮でのごたごたはまだまだ続いているようだが、それこそもうアリスには関係のない話だ。

 これで過去からの因縁はすべて払拭された、もうアリスの心を苦しめるものはない。記憶を取り戻してから約10年、ようやく解放された。これ以上ないさわやかな明るい気持ちを味わった。


 それはシルヴェストル公爵家の人々も同様だった。何の憂いもなくなった今、やっとアリスと暮らせるのだ。

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