熊本で宮本武蔵を体験する V.1.3

@MasatoHiraguri

第1話 この本を書いた目的

  自分の目で読む「五輪書」、自分の頭で知る宮本武蔵


  従来の「剣豪・剣聖宮本武蔵」とか「二刀流の達人宮本武蔵」といった、小説家や評論家によって「作られた武蔵像」から暫し離れ、


○ 彼の著書「五輪書」を

「明と暗、ミクロとマクロ、心と身体といった、裏表の関係にありながら別々に作用する2つを武器にする(うまく運用する)ことで人生を楽しんだ、一人の日本人」   という観点で、読み直し、


○ 武蔵という人物を

「自分の目で見直し、自分の頭で再評価」されては如何でしょうか。

ということです。


  これは、たまたま私が2時間ほど独りで霊巌洞のなかで佇んでいた為「おれの真の姿を世に知らせよ」と、武蔵から頼まれたのかもしれません(なんて考えて楽しんでいます)。


◎ 宮本武蔵に対する誤解(ステレオタイプの武蔵像)

  宮本武蔵という人物は、決して「世渡り上手」ではありませんでしたが、剣の達人とか芸術家によく見られるような、無口で口下手で、人とのコミュニケーションがうまく取れない、偏執(偏った精神)的な性向(気質)の人間ではなかった。

  むしろ、今回(2023年1月31日)の旅行で、私が体験したような「行き当たりばったり」の出会いや遭遇といった場面で、一瞬の緊張感を楽しむことのできる人間であった。

  日々の生活の中に起こる様々な出来事を緻密・厳密(科学的)に見て、そこに物理的・心理的な再現性を追求する理性を持ちながら、(ロングレンジの)人生という一瞬を楽しむことのできる、心豊か(文学的)な感性をも合わせ持っていた。


  ですから、「剣豪宮本武蔵」というフィルターを通して見るだけでは、彼の実像のほんの一部を見ているにすぎません。

  むしろ、武士を好きでもなければ剣道もやらないような人間や、老若男女誰でもが宮本武蔵の真の姿というか別の面を「五輪書」から知ることで、誰もが「宮本武蔵」になれる。「剣豪宮本武蔵」には誰もなれませんが、「宮本武蔵的人生の楽しみ方」なら誰でもできるのです。

  早い話が、武蔵「五輪書」にある数々の教え・アドバイスを、毎日の生活に応用すれば、生活が楽しくなり、豊かな人生にすることができる(のではないか)ということです。

  実際、宮本武蔵という男は、徳川幕府指南役で旗本となった柳生宗矩のような家柄でも育ちでもなく、一匹狼・アウトローという、当時の日本社会(徳川幕府体制)において幕府(という政府)から見れば「無用物」でした。

  というのも、武蔵は(公式試合で)日本全国の藩に配置された柳生宗矩の弟子(柳生流免許皆伝者)たちを3人も打ち負かし、柳生流ではないが徳川幕府公認の剣術指南役佐々木小次郎を、藩主催の公式戦で叩きのめした(殺した)からです。

  そういう話(事実)は、現代でこそ英雄譚として語られますが、当時は「徳川・柳生の顔に泥を塗った」反逆者であり、反体制派(テロリスト)の危険人物であると幕府に認識されていたわけです。

  しかしながら、反逆者だのテロリストとして常に幕府の隠密(現代の公安警察)につけ狙われながらも、武蔵という男は毎日を楽しく生き、充実した人生を生き抜いた。そして、そういう武蔵の生き方のエッセンスが、彼が臨終直前に書いた「五輪書」に述べられている。これが私平栗雅人の主張なのです。


「五輪書」=太刀の運用技術、殺し合いのノウハウ、剣の哲学といったレッテル・ラベルとは、それぞれが「仮身」という一つの看板や説明書きであり、「実身」という本体には、太刀や殺し合いとは全く別の、人生の楽しみ方がたくさん盛り込まれている。

武蔵は「五輪書」を二天一流という剣の奥義書として藩主に上程し、弟子たちに授けながら、武士以外のあらゆる日本人に「人生の楽しみ方」を教えてくれたのではないか。

そこのところを、日本人であれば誰でも読み取れるはずなのです。


  2023年2月5日

  V.1.3

  平栗雅人


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