第19話 王の憂鬱④
国を護るために、姫をドラゴンの生贄に差し出す。
そんな使い古された古い童話のようなことが、まさか我が身に起きるとは……。童話では勇者が颯爽と姫を救うのだが、現実には勇者なんて居ない。我々にできるのは、ドラゴンの逆鱗に触れないように、必死にドラゴンのご機嫌を取ることだけだ。
いや、勇者など必要ない。聞けば、ドラゴンはまだ飛ぶこともできない赤子だと云う。討伐など容易いだろう。しかし、我々が真に恐れているのは、ドラゴンの親の存在だ。ハーゲン翁の話では、ドラゴンはとても家族想いらしい。個体数が少ないから血縁を大事にするそうだ。そんなドラゴンの赤子を殺せばどうなるか……結果は火を見るよりも明らかだ。
我々はルーを殺すこともできず、かといってルーの機嫌を損ねることもできない。我々はすでに子どもの誘拐という大罪を犯した身だ。必死に許しを請う立場にある。ルーの機嫌を取ることで、親ドラゴンへの心証を少しでも良いものにする。
これしか道は無い…!
聞けば、ルーは菓子や料理を美味しそうに食べたらしい。今必要なのは、勇者などではなく、シェフやパティシエの類だろう。
メイドの娘たちには、既に最上級にもてなせと命を出した。シェフも王宮で最も腕の立つ者にしたが……シェフはドラゴンが満足する料理を作れるか自信が無いと零していたらしい。シェフは、在野の者にも声を掛けた方が良いかもしれないな。
あとは……何だ? 何が足りない?
相手が人間ならば、話は簡単だ。富、名声、力、権力、権利、異性、同性……相手の欲しい物など容易く理解できる。だが、ドラゴンの欲するものとは何だ?
「分からんな……」
「分かっていただけませんでしたか……」
「陛下……」
私の言葉にハーゲン翁とアンブロジーニ宰相が肩を落とす。ふむ。私の言い方も悪かったが、2人とも勘違いしているな。
「違う。娘をルーに差し出すのは、良しとする……」
断腸の思いで我が子をドラゴンに差し出すことを決定する。知らず知らずのうちに手に力が入り、硬く拳を握りしめていた。差し出すとはいっても、まだ犠牲になると決まったわけではない。ハーゲン翁も言っていた通り、ルーが暴れ出すと決まったわけではない。我々がルーの機嫌を損ねなければ良いだけの話だ。そう自分に言い聞かせて、拳をゆっくりと解いていく。
「陛下……心中、察するには余りあります……」
宰相の言葉に私は頷くことしかできなかった。
「では、何がお分かりにならないのですかな?」
ハーゲン翁……。感傷に浸る時間も与えてはくれないのか……。今に始まった話ではないが、ハーゲン翁は、人の心の機微に疎いところが……いや、あえて憎まれ役をかってでたのだろう。ハーゲン翁にはそういうところがある。たしかに、我々には時間が無い。感傷に浸っている時間など無いのだ。
「ルーの欲するものが分からない。ドラゴンとは何を求めるのだ?」
「「………」」
私の問いに2人が黙ってしまう。2人にも分からないか……。
重苦しい沈黙を破ったのはハーゲン翁だった。
「……美食は有効ではないですかな? ルーも美味しそうに食べたと報告を受けとります。ドラゴンの好物など分からないので手探りになりますが、今のところ大きな問題は無いでしょう。あとは、母親役の存在も必要不可欠でしょうな。幸い、アンジェリカ姫様とルーの関係は良好。ルーもよく懐いている様子。それ以外となると……」
ここまでは離宮のメイド長から報告を受けている。問題はそれ以外だ。
「……不確かな情報ですが、伝承によるとドラゴンは金銀財宝を貯め込むものだとか。宝物を贈ってみるのはどうでしょう?」
「宝物か……」
たしかに、童話などでもドラゴンはそのように描かれていることは多いな。悪いドラゴンを討伐した勇者が、巣の奥から財宝を見つけるというのはよくある話だ。だが……。
「宝物と一口に言うがな。それこそ好みがあるのではないか? 相手はオスかメスかも分からんドラゴンだぞ」
宝物と言っても、その種類は多種多様だ。金銀宝石などが定番だが、ミスリル、オリハルコン、アダマンタイトなどの貴金属、貴重な動植物、強大な魔物のツノや牙や毛皮、最近出回り始めた磁器、アーティファクトなんかも宝物だ。
そして、指輪などの細工物や武具などの加工品を好むのか、インゴットのように質よりも量を好むのか、それすらも分からない。
「手探りで進めるしかありませんな」
そう言って肩を竦めるハーゲン翁。
「ですが、贈り物を貰って不快になるということはないでしょう。こちらがドラゴンに対して好意を持っていると伝えることもできます。やって損はないかと」
宰相もハーゲン翁の意見に賛同する。たしかに、贈り物でルーが喜べば御の字。たとえ喜ばずとも、こちらがルーに関心を持っていることを示せる。やって損はない。
「いいだろう。問題は何を贈るかだが……」
「私からは金と銀の細工物を贈りましょう」
宰相の治めるアンブロジーニ侯爵領は、鉱山を擁し、指輪やイヤリング、ネックレスなどの装飾品はじめ、置物や芸術品などの金や銀の細工物が盛んだ。その中でも選りすぐりの物を贈るつもりだろう。
「では、私はインゴットでも贈るか。質より量を尊ぶかもしれん」
宰相の意見を聞いて、私は金と銀のインゴットを贈ることに決めた。量を贈るとなれば、かなりの出費になるが……四の五の言ってられん。
「金物ばかりでは……。では、ワシは香木や磁器などを。氷漬けの海の産物も贈りましょう。あとは、息子になにか珍しい品でも贈らせますわい」
ハーゲン翁はかつて、この国一番の港湾都市スビアーノの代官を務めていた。その地位は今、息子のハーゲン公爵が継いでいる。スビアーノには、香木や磁器をはじめ、様々な珍しい交易品が集まっていると聞く。
「いったんこれで様子見だな。気に入ってもらえると良いが……」
私の言葉にハーゲン翁が苦笑いを浮かべて口を開く。
「なにやら意中の相手に贈る物を選んでいるようですな」
「言い得て妙かもしれませんぞ。相手に好きになってもらいたいという気持ちは一緒ですから」
宰相の言葉に静かな笑いが起きた。たしかに、ドラゴンに振り向いてほしい、好意を持ってほしいという気持ちは恋とも似ているな。しかし、我ら国の重鎮をこうも悩ませるとは……。
「傾国の美女とはこのようなものかもしれないな」
私の言葉にハーゲン翁と宰相が笑いながら頷く。
「メスかどうかは分かりませぬが、美しいドラゴンでしたな」
「そうですな。しかし陛下、それだと我ら3人は恋敵になってしまいますぞ」
宰相の言葉に自然と笑みが零れる。相変わらずユーモアのある奴だ。だが、たしかに誰の贈り物が一番ドラゴンの気を引けるか競っているようですらあるな。
思わず和やか雰囲気となったが、我が国の置かれている状況は悪い。気を引き締めねば。
「ドラゴンのことは贈り物で様子見とする。次にアブドルヴァリエフ王国への対応についてだが……」
私の言葉にハーゲン翁と宰相の顔つきが変わる。その切り替えの早さは、流石は我が国の重鎮。重用するに足る者たちだ。
そのことに満足する私は、我らの様子を窺う二対の青い瞳があることなど気付くどころか思いもよらなかった。
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