2-3 初めてのキスはお姉ちゃんのもの

「ああ…落ちつくさ。落ちつくとも」

「それは私のことを信頼してるからだよね」

「信頼してるとも!」

「由記くんは宝くじに当たったお金の十億円を私に預けられる?」

「え…ほしいの?」

「そういうことじゃなくて、預けられるかどうかきいてるの」

「そりゃまあ…お姉ちゃんが十億をもってどこかに消えるとは思えないから…。内緒で使わないって信頼してる」

「じゃあ、十億円を香織さんに預けられる?」


 なにが言いたいかわかった。さすが姉。だてに十年以上姉をやっているだけある。


(そうか…そうだよな)


「わかった? 愛ってそういうことなんじゃない?」


(でも、香織ちゃんはまだ会ってまもないし、これから信頼を築いていけばいいんじゃないか?)


「十億円を預けられる相手。そういう人と愛しあうべきだと思わない?」

「そうだけど…」


 由記は顔を離して立ちあがった。


「そうだけど、でも、それと恋愛は別というか…。つまり、要するに! 俺はこのチャンスを逃したくないんだっ!」


 そう言って鞄をもち、リビングを出て、廊下を歩いて玄関に向かった。するとそこには靴を履いている渚がいた。


「め、めんごめんご…」


 渚はバツが悪そうに舌をペロッと出した。


………


 翌日、由記と渚はレポートを提出したあと、キャンパスの食堂で遅い昼食をとりながら話をした。


「本当ごめん! 盗み聞きするつもりはなかったの!」

「絶対ウソだ…」

「ごめん嘘ついた! 盗み聞きするつもりで廊下に立っておりました!」

「どこまで聞いた、というか見た?」

「はい隊長。お姉ちゃんが弟を抱きしめるところは扉のガラス越しに見ました!」

「絶対、誰にも言うなよ」

「ラジャー!」


 渚はほとんど反省していないようだ。フルーツ牛乳をラッパ飲みして


「ぷはあ! うまい」


 と言い、扇子をパタパタとあおいだ。


「で、香織ちゃんとはいつ会うの?」

「今日の夜」

「おー早速ですか。展開が早いのはいいことですな。食事?」

「いや、なんか服を見たいって」

「大富豪になったんだから、服くらい買ってあげなよ」

「えー…」


 渚は苦笑した。


「えーってなに、えーって。あんた、十億円ももってるんだよ? 三万円くらいの服も買ってあげないわけ?」

「三万円もするの? えー…きっついな…」

「じゃあいくらなら買ってあげるの」

「恋人になったら、いろいろ買ってあげるのが基本なの?」

「うーん、まあ、状況によるけどさ」

「渚も服を買ってほしいタイプ?」

「あー…」


 渚は少し考えてから言った。


「私はおごられるの嫌いなんだよね。貸し借りなしにこだわるタイプ。だから自分のものは自分で買う」

「香織ちゃんはおごられるの好きかな?」

「私の見たところ…うーんそうだねえ、めっちゃおごられたいタイプ」

「ま、マジで…?」

「うん。マジで」


………


 渚の助言を思いだしながら、横でウィンドウショッピングする香織の横顔を見つめた。


『いい? あんまり高いのをねだられたら、大学生にはまだ早いって言うこと。あの子ちょっと化粧品も高級だから』


 高い化粧品と安い化粧品の違いはわからないが、渚によると香織は相当高いものを使っているらしい。香織は店に入ってフリフリの服を触り、


「由記くん由記くん。この服似合うかな」


 とたずねた。


「あーうん! 似合うと思うよ」


 と言いながら値札を見た。


(二万円か…まあギリギリセーフってところかな)


「どうしようかな〜ほしいな〜」


(買ってくれとくるか?)


「あ、そうだ。今思いだした。ねえねえ、この建物の上のほうにおいしいクレープ屋さんがあるから行こうよ。私クレープ食べたい」


(助かったー!)


 香織は店をパタパタと出ていって、くるりとふりかえり、「早く早くー」と由記に手をふった。


(くあー! かわいいぜ!)


………


 夜中、可憐はキャンパス近くの神社に行き、誰もいない狭い境内に入った。すでにその人はいた。


「ひさしぶり可憐」

「急にごめんなさい」

「いいのいいの。私も会いたかった」


 二人は小さな本殿の裏に周り、真っ暗のなか話をした。ここが二人の密会の場だった。可憐は暗い空を見上げ、


「由記くんにおじゃま虫がついた」


 と言った。


「好きと言われたから恋人になったって。どうかしてる…」

「どんな人だって?」

「よく知らない。でも確か、遅刻しても気にしない性格と言っていたような…」

「遅刻しても気にしない女の子かー。うーむ…。他には?」

「それ以外はわからない。それまでほとんど知らなかったのに、好きと言われて好きと言うなんて、あの子は…本当にいつまでたってもバカなんだから」

「年頃だからしょうがないよ」

「あの子は私のものなの。他の人には渡さない」

「ちょっと落ちついて」


 可憐は大学の名簿をその人に渡した。


「大崎香織。名前は大崎香織。住所はここからそう遠くない」

「香織さんって言うんだ。わかった。可憐の頼みだからね、やってみるよ」


………


 帰宅すると、由記はリビングのテーブルで本を読んでいた。

 今日は『由記が可憐の部屋に泊まる日』で、由記はすでにパジャマ姿だった。


「おかえり」

「ただいま。なんの本を読んでるの?」

「投資」


 可憐はそれ以上なにも言わなかった。由記は可憐の様子が気になって


「なにかあったの?」


 とたずねた。可憐は無視してぶどうジュースをグラスに注ぐ。


「お姉ちゃん?」


 可憐はグラスを口につけてゆっくり飲んだ。両目を閉じて、これから起きる現実を想像した。弟に嫌われる覚悟はできていた。


「あなたも飲んで」

「なんで?」

「いいから」


 可憐は自分の使ったグラスにぶどうジュースを注ぎ、由記の前に置いた。


「これ、お姉ちゃんのグラスだけど」


 可憐はわざとらしく首をかしげた。


「嫌なの?」

「そんなわけないじゃん」

「本当?」

「てっきりこういうの気にすると思ってたから。僕は気にしないよ」


 由記はグラスに口をつけて、ぶどうジュースを飲んでいった。その間、可憐は由記の隣に膝をつけて立った。


「ふう」


 由記がグラスを置くやいなや、可憐は由記の顔に近づいた。


「由記くん…」


 由記の目が大きくなる。


「な、なに」

「恋人とキスしたの?」

「なに急に!」

「もうキスしたの?」


 由記は目をそらした。


「してない…」


 その言葉は真実だった。嘘をつくときの発音と態度はもっと違うから。


「本当にしてない?」

「うん…」

「どうして? 恋人なんでしょ?」

「まだそこまでいってないから…」

「そっか。それじゃ…」


 可憐は思いきって唇を近づけた。由記の顔を両腕で抱いて引きよせた。


「ん…」


 緊張と恥ずかしさで声が漏れた。そして唇が重なった。

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