第28話 福音

 十波に連れて来られたのは、個人経営の喫茶店。


 アンティーク調の雰囲気が落ち着いた空間を演出している。


 そんなお店のテーブル席。向かい合って座り、適当に飲み物を頼んだのが30分前。そして今。


「でね! この時の玲奈がね! もう可愛くてね!」


「ああ、うん……もう3回目なんだわそれ……」


 十波の氷瀬大好きトークを延々と聞かされる羽目になっていた。


 俺も氷瀬のことが大好きだから、俺の知らない大好きな女の子の話を聞けるのは嬉しい……と思っていた29分前の俺を今はぶん殴ってやりたい。


 十波の「それでね……」から始まった氷瀬大好きトーク。


 なるほど、今日はその話に付き合えってことね、と早々に気がついた俺はただ黙って十波が満足するまで話を聞いてやろうと思った。が、この女……なにかがずれている。そこに気がつくまでで開始1分。あまりにも短時間。正直、開始二言目で出てきた、


「ほら、玲奈って夜中ベッドでぐちゃぐちゃに襲いたくなるくらい可愛いじゃない?」


 の時点で、ん? なんかおかしいぞ? と思っていたが突っ込む暇なくマシンガンのように話し続ける十波の話を受け止め続けるしかできなかった。話に入り込む隙が全くねぇ。


 しかもこいつ……同じ話を定期的に繰り返してきやがる。マシンガンがループしている。いつ弾が切れるかと思ってたのに、オートリロードはマジでやめろって。


 さらによりによって意味のわかんない部分を繰り返す。いや、内容は全部意味わかんねぇな。


 この30分耐え続けて、同意できたのが氷瀬は可愛いってことだけだからな。だいぶやばい。


「小学生の時の玲奈は私にべったりでね。それがもう可愛くて、玲奈が買った筆記用具とか洋服とか全部調べて自分も買ったの! それを玲奈に話したら、少し引きつった笑顔でお揃いだねって言ってくれたんだ! もう最高だったのよ!」


「…………」


 いや、お前絶対引かれてるじゃんそれ。引きつってるって言葉はポジティブ方面に使われる言葉じゃないんだよ。なんで嬉しそうに話してんの?


 しかもやってることやべぇんだって。氷瀬が持ってるもの全部揃えるとかやばいって。俺でもそこまでは考えてねぇよ。


 あと小学生の氷瀬がお前にべったりだったんじゃなくて、きっとお前が氷瀬にべったりなんだよ。文脈から絶対そうとしか考えられねぇって。気づけ十波。お前だいぶやばいぞ? よく今まで学校でそれを抑えられてたな。ある意味すごいよお前。


 体から変な汗が噴き出てくる。これは未知なる怪物と遭遇した時の恐怖。直近では東雲覚醒事件の時に出たやつ。


「これがね、中学生の時玲奈からもらったシャーペン」


 十波が嬉しそうに筆箱から綺麗なシルバーのシャーペンを取り出した。


「毎日1回は舐めてあの日玲奈が私にこれをくれた時の気持ちを体に取り込んでるの!」


「へぇ……そうなんだ……」


 何言ってんのこいつ? 爽やかな顔でだいぶおかしなこと言ってない?


 毎日1回舐めてるってどういうこと? シャーペンは飴じゃないんだけど?


「ってごめん! 玲奈のことになるとつい夢中で話しちゃうの。最近こんな話できる人いなかったから」


「そりゃ……なぁ……」


 カロリー高過ぎてお腹いっぱいなんだわ。聞かされる方地獄だろこれ。


 暴力は振るわないって言ったけど、これはある意味言葉の暴力だろ。俺だいぶ苦しいんだけど。愛とかそんな次元の話じゃない。妄執だよこれは。


「ごめんごめん! ちょっと落ち着くね!」


 そう言って十波はカバンから小奇麗なハンカチを取り出した。


「それは?」


「これは玲奈が小学校の時にくれたハンカチ」


「それでどうやって落ち着くんだよ?」


「は? そんなのもわかんないの?」


「急に素に戻るのやめろよ。俺の脳がバグる」


「まあいいわ。ちょっと黙ってて」


 言われた通り黙っていると、十波はそのハンカチを広げて鼻と口を覆い、そして


「すぅ……はぁ……」


 まるでそのハンカチから氷瀬の存在を感じ取るかのように大きく、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。


 なにこれ……そんな幸せな顔で深呼吸するなよ。満面の笑みを浮かべるなよ。


「よし、落ち着いた! でさ――」


 まるで何もなかったかのように十波は会話を再開した。


「…………」


 え待って。怖い怖い怖い怖い怖い。喉元にナイフ当てられた時とは別のベクトルで怖いんだけど!?


 なんであんな奇行の後、何もなかったように「でさ」とか言えんの!? どうなってんの!?


 待って待って本当に怖いんだけど。こいつ絶対やばいって。あの特級呪物もやばかったけど、持ち主もっとやべぇじゃん!?


「ちょっと……コーヒーカップ持つ手が震えてるじゃない? もしかして玲奈のすばらしさに感動したの? よくわかってるわね」


 違う違う違う違う。お前にビビってんだよ俺は!?


 なんで自分の可能性を微塵も疑ってねぇんだよ!?


 氷瀬のすばらしさより今はお前のやばさにしか目がいかねぇんだって!


 震えすぎてコーヒーが飲めない。こいつ誰? 本当に十波? 怨霊が憑依してない?


「お前いい加減にしろよ!? そろそろ俺が呪殺されるんだが!?」


「呪殺って……私のトークは福音でしょ?」


 愛って変な方向で煮詰まると毒になるんだなぁ。


 本人にとっては福音でも、聞かされる方は呪詛なんだわ。


「その自信はどこから出てくんだよ?」


「私の玲奈への愛に決まってるでしょ」


「決まってねぇよ。お前の愛はちょっと……いやだいぶ歪んでんだよ! 好きな奴からもらったシャーペン舐める奴なんかいねぇよ!」


 リコーダーでさえ死刑クラスの気持ち悪さだろ。


 厳密には氷瀬のものではないにしろ、貰ったシャーペンを舐めるなんて今まで1回も聞いたことねぇよ。


「は? あんたの玲奈への愛はそんなものなの?」


「え待って俺がおかしいの? お前の方がだいぶやべぇからな」


「それは……まあ……自覚してるわ。だからあんた以外には出さないのよ」


 十波はトーンダウンして俯き加減で言った。


 俺にも出すなよ。脳の処理が追いついてないんだよこっちは。


「でも仕方ないじゃない。普段はこんな感情表に出せないんだから。本当久しぶりに誰かに話せたのよ」


 ああ……なるほど、つまりこいつは東雲現象ってことね。理解した。


 東雲現象。それは自身の心に秘めている感情がずっと抑圧されていて、それがふとした拍子に解放された結果モンスターとして生まれ変わってしまうこと。とある金持ち少女が最初に発症したことでそう呼ばれることになった。


 そして、その抑圧が強ければ強いほど、解放した時のモンスターレベルが上がる。


 十波はクラスで、おそらく氷瀬本人にもこの感情を出していない。


 だから体の中でずっと押し込められた氷瀬への愛が熟成され、そしてとんでもないモンスターを内に秘めるようになったと。


「学校で仲の良い友達にはしなかったのかよ?」


 こんな呪詛は知り合いレベルの奴に話したらドン引きされるのが落ちだ。俺みたいにな。


 でも、本当に仲のいい友達なら受け止めてくれそうな気がするけどな。


「できないわよ。こんな話」


 十波は悲しそうに笑った。


「高校に上がる前に一度だけ友達に話したら、朱莉ちゃんおかしいよって真顔で言われてさ。それ以来しないようにしてる」


「はぁ……その友達はまともな思考してんだな」


「あんた私のこと馬鹿にしてんの? まあいいわ。でもまぁ、私が普通じゃないのは知ってる」


 十波はコーヒーを口に運んだ。


 さっきの声には、どこか寂し気な雰囲気が含まれている気がした。


「女の子が女の子を好きなのって、おかしいんだってさ。私全然知らなかったよ」


「それはその友達に言われたのか?」


 十波は首を縦に振った。


「私がおかしいって知ってから、玲奈の前でこの感情を出すことをやめた。普通の親友。学校での私たちはそんな関係。そこに愛情は存在しないの」


 学校での十波は氷瀬に近づく男をやたら毛嫌いしていた。


 この氷瀬への愛情を知ればこそ、自分が愛情を抑えているのに、その愛情をむき出しにして近づく輩がいればムカつくのは道理か。


 なんで十波が俺を毛嫌いしているか、少しわかったわ。


「ねえ野中。私ってさ……やっぱおかしいのかな。女の子が女の子を好きになっちゃだめなのかな?」


「それを俺に訊いてどうすんだ? おかしくないって言ってほしいのか?」


「そう……かもね。ごめん忘れて。なんでもない」


 俺がおかしくないって言って、それで十波が納得するならそれは大したことない悩みだ。他人に答えを委ねてるんだからな。


 自分の深層心理の悩み事は、他人如きの意見でなびくようなものじゃない。自分の中で悩んで、悩んで、いつか答えを出すものだ。


 俺にはどうか知らんが、十波の悩みって後者の方だと思う。


 俺がどういったところで、何かが変わるわけでもないだろう。


「まあ……愛情の方向性はだいぶイカレてるけど、その気持ちはなんもおかしくないだろ」


「え……?」


 それでも、自分の気持ちは偽っちゃいけねぇだろ。


 こちとらだいぶ呪詛を食らってんだ。呪詛返しくらいはしてやるよ。十波。

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