純白の死神

椿あかね

プロローグ

プロローグ

 ぼうっと空を眺めていた。

 何をするでもなく、独りで。

 何気なく横を見やれば、雪の降り積もったブランコが目に映る。その隣には、公園特有の長細い時計がポツンと立っていた。

 時計の針は、16時半を示していた。

 不意に、眩い光と衝撃がフラッシュバックし、体が強張る。次に脳裏を過ぎったのは、ナイフと、震える手。

「はあ……」

 ため息をついても、口から白い息は吐き出されず、寒さでかじかむ筈の手も赤みを帯びる気配はない。

「本当に、死んじゃったんだなあ……」

 しみじみと呟き、ぼくは目を閉じた。



 素敵な“未来”が待つ子に育つように。ぼくの名前は、そんな意味を込められてつけられたらしい。

 でも、引っ込み思案なぼくにそんな大層な名前は似合わないし、今となっては将来を語る事なんて馬鹿馬鹿しい。だから、誰かに名前を聞かれたら、”ミライ“と名乗る事にする。

 そう、今のぼくは死人だ。

 数時間前、車に轢かれて呆気なく死んだ。

 痛かったけど、これはこれでいいかと思っていた。死にたかったわけではないけど、生きる事に疲れていたから。

 ただ、消えてしまいたかった。それだけだったのに。

 いざ死んでみると、ぼくはまだ“ぼく”として存在していた。

 死ぬ以外に自分を消す方法を知らなかったから、それが叶わないとなると、もうどうすればいいかも分からない。

 だから、ぼくは空を眺め続けている。

 以上。

 ――なあんて。



「誰に向かって考えてるんだか……」

 途方に暮れ過ぎて、おかしくなってしまったのかもしれない。

 瞑っていた目を開き、また空を見上げる。

 雪が、少し強くなってきたかな。そんな事を考えていた時。


「何を黄昏れてるんだい、坊や」


 溌剌とした女性の声が、ぼくの世界に入り込んだ。

「え?」

 驚いて瞬きをすると、目の前に人影が現れる。

 全身を覆う黒いマント。フードの中から零れ落ちた銀髪は、絹のようにサラサラ流れて綺麗だった。こちらを覗き込む瞳は海を思わせる深い碧色で、思わず目を奪われる。

 白い肌の美しい女性だと、放心した頭で思った。

「あんた、まだ若いじゃないかい。子供に、そんなしんみりした表情は似合わないよ」

「……」

「もしかして、待たせちまったかね。悪かったねえ、あたしゃ、鈍くさくてさ」

「……え?」

 なんだろう、この人は。すごく変わった喋り方……なんだか、うちのお祖母ちゃんを思い出させるような。

「おっと、そんな事より、まずは自己紹介だね。あたしの名前はコユキ。あんた達死者を導く、死神だよ」

 は? 死神?

 ハッと息を呑む。

 自分の置かれている状況を思い出し、改めて目の前の人物を見つめる。

 朗らかに笑う女性――コユキは、普通の人と特に変わらないように思える(いや、ちょっとだけ変だけど)。

 でも、ぼくは死人で、生きている人には見えない。だとしたら、同じ死人か、はたまた彼女の言うところの“死神”か。

「……」

「おやおや、疑り深い子だねえ」

 答えあぐねていると、コユキは眉をハの字にして肩をすくめた。

「……」

「何を当たり前の事を言っているんだよ。毎度似たような反応されるんだから、予想通りだろ」

「……えっ」

 突然聞こえた第三者の声に、ぼくは固まった。今、コユキのフードの中から聞こえた気がしたんだけど。

 すると、コユキはため息をつくと、フードを下した。肩より少し長い銀髪が露わになり、右肩を見下ろす。

 そこには、黒猫が丸くなって彼女を見上げていた。

「……ミア。急に喋ったら、坊やが驚くだろう」

「キミがとぼけた事を言うもんだから、思わず口を出ちゃったんだよ。そのセリフ、何回目?」

「細かい事はいいじゃないかい。何事も順序というものがね……」

「……えっと」

 猫が喋っている。黒猫に死神って、定番な組み合わせ……だっけ。魔女と黒猫だったような。

 ひとまず、気になる事を聞いておこうと口を開いた。

「あの!」

「……んだから。ん? どうしたんだい、坊や」

「あなたが本当に死神なら……ぼくを、どうするんですか? その――」


「この世界から、消してもらえるんですか?」


 死後の世界には、天国も地獄もなかった。あるのは、誰も認識してくれなくなった、空虚な時間だけ。

 そこに現れた死神ならば、何か糸口を持っているのではないか。そう考えるのは自然な事だと思う。

「――”消す”というのは、少々語弊があるかな。ね、コユキ?」

「ああ。あたしはね、あんたを送りに来たんだよ」

「送り……?」

 何処にと、疑問が頭を過ぎる。

 コユキは柔らかく微笑むと、ぼくに手を差し伸べた。無意識のうちに、その手を取ろうと右腕をあげ――。

「手助けをさせておくれ。坊やが、”来世”へと逝けるように……」

 ――咄嗟に、彼女の手を振り払っていた。

「あ……」

 きょとんと目を丸くするコユキに、罪悪感が一気に込み上げてくる。

 同時に恐怖を覚え、数歩後ずさった。手を取られないよう、体の後ろに隠す。

「……」

「ふむ……」

 ぼくを見て、何やら考え込むコユキ。そして瞑目すると、小さく頷いた。

「なら、あたしと一緒に来るかい?」

 さらりと告げられ、ぼくは戸惑った。なんとなく、問答無用で送られる気がしていたから、拍子抜けした気分だ。

 いや、油断させて実行する気かも。

「坊やは、”来世”が怖いみたいだからね。なら、無理に送るってのも酷い話だろう?」

 ドキリとする。どうして分かったのだろう。

「ただ、他の奴に間違って送られたら可哀想だからね。その点、あたしが一緒にいれば、守ってあげる事が出来る」

「ほ、他にも死神がいるんですか……?」

「うん、いるよ。そいつらは、コユキみたく甘くはないからね」

 容赦ない猫の言葉に、心が揺らぐ。

「ミア……。一言多いんじゃないかい?」

「だって、そうでしょう? 君にとっては、デメリットでしかないのに」

 デメリット? コユキは何か害を被るのだろうか。

 不安になって彼女を見つめると、視線に気付いたのか、咳ばらいをした。

「安心しておくれ、坊や。これは、あたし自身の為でもあるんだよ。だから、これは『ぎぶあんどていく』ってやつだ」

 黒猫がジト目で見上げるが、コユキは動じない。再度、こちらに手を差し出して、首を傾ける。

「どうだい?」

「……まあ、それなら」

 小さく応えながら、ようやくその手を握った。

 何気なく空を仰ぐ。雪は止み、雲間から覗く夕焼けに目を細めた。

「……ところで、『坊や』って呼ぶの、止めてもらえませんか。ぼく、高校生ですよ」

「だとしても、あたしからすりゃまだまだ子供だよ。人間は何千も何万も生きないだろう?」

「そ、そりゃそうだけど……」

 口を尖らせるぼくに、コユキは豪快に笑った。

「じゃあ、なんて呼べばいいんだい?そういえば、名前を聞いていなかったねえ」

「ミライです。ただの……ミライ」

 こうして、ぼくは白い死神と出逢った。

 この先に何が待つのか、彼女の目的は何なのか。ぼくはまだ、何も知らない。

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