第5話 逃亡テロリスト傷害事件-外伝01

 五月晴さつきばれと共におとずれた、少年に変革をもたらす邂逅かいこう

 これは、主人公が気絶している間に起きた出来事できごとと、彼を取り巻く人々がした、外側から見た物語。




 5月の半ば、爽やかな季節。

 東京の、オリンピック公園にあるスケートパーク。そこに、ひと組の男女がおとずれていた。

 片方の、さしてモテる方でも無かった高校生、時保琢磨ときやすたくまは今、まさに胸を熱くしている真っ最中。

 彼にとって、これは事実上の初デートだったから。

 だが、彼には、彼にうらみをいだく者がた。

 奴は少年がピンモヒと名付けた、以前に遭遇そうぐうした事件の犯人。軍人 くずれのテロリストだった。


「くたばりやがれ!」


 その下品な咆哮ほうこうと共に現れた長身の男は、少年に向かって手にした長ドスを振り下ろす。


「危ない!」


 身をていして彼を救った女性は幸い、その身を傷つけられる事は無かった。

 しかし危険な刃は彼女の衣服をたてに切り裂き、下着さえも両断する。


「いや!」


 裸の胸を全開放してしまった美大生、光井栄美みついえいみは叫ぶと同時に前を押さえて、その場にうずくまる。


綺麗きれいだ……」


 眼福がんぷくだった、さしてモテた事も無いタダの高校生にとって。

 彼女の愛らしい姿、仕草しぐさ、何よりもあらわになった女性の胸のふくらみに、少年は陶然とうぜんと見とれてしまった。

 そんな彼の耳に、彼を付け狙う男、富末とみすえつぶやきが。


「けっ! ちぃパイかよ……」

「許さん! お姉さんに謝れ!」 


 男の一言は、少年を激昂げきこうさせるに十分だった。彼、時保琢磨ときやすたくまは軍人 くずれの男に向かって無謀むぼうな戦いを挑む。

 相手の特徴をとらえた攻撃で、敵の武器を叩き落とし、一時は優勢になるも、やはり素人しろうとでは無理があった。

 生兵法なまびょうほう怪我けがの元。を地で行く状態になった少年は必死の思いで、彼のあこがれの女性に声をかける。


「逃げて……お姉さん、早く」


 うずくまっていた女性が、彼の言葉に立ち上がる。


「姉ぇじゃん、あんだが相手じてくれんのがよ? なら、ガキおごして見せづけてやりゅかぁ?」


 下品な笑い声と下卑げび科白せりふで大切な女性を愚弄ぐろうされ、時保琢磨ときやすたくまは再び敵に立ち向かおうとした。

 だが腹部にりをらい、少年は崩れ落ちる。その薄れゆく意識の中、彼は今まで聞いた事の無い、大きく壮絶そうぜつな舌打ちを耳にした。


 そして外伝は、そこから始まる。




「がぁ?舌打ちだど?」


 少年にピンモヒと仇名あだなされた男は、リクルートスーツの前ボタンを留めながら自分に向かって歩いてくる女性をにらんだ。

 彼女は男から倒れたままの少年を守るように、その前に立ちはだかる。


「はぁ……」


 ため息一つ。美大生、光井栄美みついえいみはピンモヒなど無視して首をめぐらせた。

 ボタンを留めたスーツで胸がさらされる事は、もう無い。そして彼女のボリュームでは、はみ出す事はおろか窮屈きゅうくつに押し上げる事すら無かった。


「ねぇ、るんでしょ? 出て来なさいよ」


 男の方など見る事無く、栄美えいみは大声を上げ続ける。


「こいつ、ここまでおびき出したら後は自分達で捕らえる。そう言ったよね? ダーティーブレット!」

「何言っでやがんでぇ、この……」


 ピンモヒの声など彼女の耳に届いていない。途中でさえぎるように叫ぶ。


「丸投げ? 契約違反なんだけど! それ。ついでに! これ自前なんだけど、弁償べんしょうしてもらえる?」


 自らの衣服を指差して、自称美大生はえた。美形と言っていい彼女の、吊り気味の目が怒りで更にけわしい。


「しかも! 私の保護対象、血ダルマにされたんだけど? これって責任問題なんだけど! 理解してます?」


 そこまで一息に叫んで、光井栄美みついえいみ一旦いったん、口を閉ざした。先程までの、少年と会話していた時の彼女は、どこにもない。それほどに、今の彼女は凶暴ですら有った。

 しばしの沈黙。

 どこからも、彼女が呼びかけた相手からのいらえは無い。待った後、栄美えいみは再びため息をつく。


「あっそ! なら、こっちで片付けるわ!」


 怒りと共に最後の科白せりふを吐き出すと、彼女は軍人 くずれに向かって人差し指を突きつけた。


「この子こんなにした責任は、必ず取ってもらうから」

「バカくぁ? ごのアマ」


 ピンモヒこと富末とみすえの声を鼻で笑い、彼女は黒いハイヒールのまま突撃する。


ぬぁめんじゃぬぇ!」


 少年に食らった一撃のせいで、更にあごが歪み滑舌かつぜつの極端に悪い男の絶叫と共にり出された、ボクサー並みのフックを軽く流し、自称美大生はんだ。


 そのひざが、ピンモヒと少年に仇名あだなされた男の、ショッキングピンクのモヒカン頭の横に跳ね上がる。


「げぇ!」


 無防備な男の頭に向かって、ひざから先が遠心力をともなって振り出された。ハイヒールのつま先がこめかみに吸い込まれていく。


「浅い……」


 彼女のつぶやきと共に、男の顔にそのハイヒールのつま先が埋没まいぼつして、更に反対側から飛び出した。

 風を切る音さえした必殺の一撃は、むなしく宙を舞うにとどまる。


「やっぱり固定剤無しじゃ、無理か。しかも……」


 着地と同時に飛び退すさり、距離を取ってピンモヒと対峙たいじした自称美大生は、軽く肩をすくめた。


「動けん」


 その言葉に続き、いきなり自分の身に付けている、タイトスカートの両側を引き裂く。


「これだからスカートは……。せめてスリット無いと」


 とてもスリットなどと呼べない程に切れ上がったタイトスカートは、少し動くだけで下着まで見えてしまう。

 ほんの少し前、胸を隠してうずくまった羞恥しゅうちなど完全に消え失せたかのように、窮屈きゅうくつそうに収まっていた臀部でんぶを解放して、彼女は大胆に足を開き半身の構えを取る。


「ま、いいか。弁償べんしょうしてもらえるし」


 薄く笑いながら、彼女はそう呟いた。

 対照的に、凶器と化したハイヒールのつま先を透過とうかさせて無効化した男は、トラウマから来る恐怖きょうふと、それが生む怒りにふるえている。


「でめぇだっだのが……」


 秋葉原で自身が起こしたテロ事件、それをたかが高校生一人に台無しにされた。全ては、目の前の女の向こうで倒れている子供が元凶げんきょうだった。

 軍人 くずれのテロリスト富末とみすえは、そう思い込んでいる。だからこそ執拗しつように狙い続け、こうしてらしをした。だが……


「うぁの時ぬぉ!」


 自分を打ちのめしたのは、あの高校生では無い。

 秋葉原のビルで少年をみにじり、とどめを刺そうとした瞬間、割り込んできた一撃。自分のあごを砕き、ビルの七階からり落とした、顔すら見る事の出来できなかった敵。

 忘れるには時間が足りない。あの屈辱くつじょくから十日とっていない。


「忘れるわげ無ぇ、このりをぬぁ!」


 自分のあごにぎり、テロリストはえた。そして少年に叩き落とされた長ドスを、ゆっくりとひろい上げる。


「でめぇも、ぶっ殺ず!」


 その叫びに続いて、少年が気を失う前に聞いたのと同じ、あるいはそれ以上に巨大な舌打ちの音が、人気の無いスケートパークの前の広場に鳴り響いた。

 半身にかまえたまま、軍人 くずれの独白を聞いていた女性は、眉間みけんしわを寄せている。


「べらぼうめぃ!つまんねぇ事、思い出しゃあがって」


 先ほどまでの、高校生とはしゃいでいた時とは全く別の、どこか江戸っ子を彷彿ほうふつとさせる口調で言い放つと、彼女はハイヒールを脱ぎ捨て、手の平を上にして中指を動かした。


「来な、ぶっつぶしてやるよ」


 そう言った彼女の目から、一切いっさいの感情が消える。

 まるで戦闘マシーン化した、と言うよりも獲物えものねらう長大な爬虫類はちゅうるいひとみに、それは酷似こくじしていた。 

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