第3話 逃亡テロリスト傷害事件-本伝03

「お久しぶり。やっと会えた」


 そう言って笑う、綺麗きれいなお姉さん。


「お、お、お久しぶりです」


 こう言うのをオウム返しって言うんだよな。情けないけど。

 もう一度会いたかった、本気で。これきっと一目ぼれってヤツ?


「今日、予定有る?」


 笑顔と共に告げられた言葉に、俺は無言で首を横に振りまくった。そんなガキ臭い真似まねしかできない自分が情けないけど。


「良かった。少し私に付き合ってくれないかな? 話が有るんだけど」

「も、もちろん……」


 そんな短い俺の返事は、割り込んできた二人にさえぎられる。困ったやつらだよ、全く。


「ちょっと、ちょっとお待ちを!」


 必死の形相ぎょうそうのスケコマこと駒下こましたが、俺を押しのけた。


「ぼ、僕達、友達でして。時保ときやすだけで無く、どうか僕達も御一緒に……」

「遠慮してもらえる?」


 え?

 その、たった一言に今まで感じた事の無かった、お姉さんの別の一面を見たような気がして俺は瞬間、言葉を失ってしまった。

 まるで台所のスポンジの間に果物ナイフが隠されているみたいな、柔らかい回答の裏側に強靭きょうじんな意志を感じて、ね。


「そ、そこを何とか! お願いします!」


 すがり付くようなスケコマ嘆願たんがんに、お姉さんが再び口を開くより早く、ヲタひらこと平坂登ひらさかのぼるが、駒下こましたうでを引っ張って言った。


「やめようよぉ、スケコマ

「なんで? お前、ここであきらめるのかよ!」

「無理だってぇ。この人、違うって。僕ら見てないよぉ、無駄むだ

無駄むだ 無駄むだぁ」


 この手の事に関して、俺よりも敏感なヲタひらが強引にスケコマを引きずって行く。


「お、お姉さ~ん」

「トッキー、また明日ねぇ~」


 あきらめきれない駒下こましたを意外に力強く平坂ひらさかが引きずって、少し離れたバス停の方へと去って行くのを俺とお姉さんは見送った。


「じゃ、行こっか?」

「はい!」


 二人には悪いけど、ここは邪魔されたくないよね。お姉さんと二人きり、これってもしかしてデートなのか?

 その時、俺は完全に舞い上がっていたんだと思う。

 だから、バス停に向かって消えていった二人と、すれ違いで歩いてくる長身の男に、俺は全く気付いてなかったんだ。

 




 五月晴さつきばれのさわやかな風の中。お姉さんと二人、俺達は隣に立ってる大学とのさかいの道路を歩き続けていた。


 何か話さないと。そうは思うけど、こんなのに慣れてない俺は、情けないけど言葉が出てこない。

 柔らかな風は気持ち良いのに、何だか汗が、じんわり。

 きれいな横顔をながめては目をそらす。けど、次第しだいに視線が下に降りていく。悲しい男のサガってヤツ?


 そして、ちょい悲しいのが、お姉さんの胸元。リクルートスーツの下の白いブラウスを押し上げるはずの、偉大なる二つの丘が……低い。

 無い訳じゃないんだよ、確かにふくらみは判る。でも、巨大な迫力では無いんだよね。残念ながら。う~ん。

 俺、お尻派のはずなんだけど……あのグラビア見たせいか? 台湾出身の巨乳アイドルに当てられた?


「君、どこ見てるのかな?」


 視線が動いて無かったみたいだ。お姉さんの一言に、俺はアタフタと色んな方向を向きまくる。更に汗が。


「えーっと、その、別に……」


 情けない科白せりふしか出てこない俺を、お姉さんは笑う。可愛い、素敵な笑顔だ。怒ってはいないらしい。


「あのぉー」

「何?」

「どこ行くんでしょうか?」


 歩き始めて、すでに10分近く。この辺りは住宅街で、この時間は人通りが少ない。

 最近テレビのニュースなんかで目にする東京スラム化。

 隣の区ほどでは無いけど、この辺りだって人口は増加してるって聞くのに、空家が点在してたりする。

 家とは反対方向に歩き続けてる事もあって、俺は行き先を確認したくなったんだ。


「オリンピック公園、知ってる?」


 もちろん。子供の頃は遊びに行ったよ、今は亡き父と。そんな事は口には出さないけど。


「そこにスケートパークって有るんだけど……」


 それは知らなかった。俺、ローラースケートなんてやらないから。


「今、改修中でね。人いないから、ゆっくり話ができると思って」


 笑顔でそう話すお姉さん。対する俺は、真っ赤になっていたと思う。

 誰もない公園で、俺たち二人っきり? お、お姉さん誘ってます? 俺の事。


「ど、どんな、お話なんでしょうか?! お姉さん!」


 ナニ聞いてんだよ俺。今そんな話をするべきか? 考えろよ。

 そうは思うが、慣れてないから、つい。けど俺の一言で、お姉さんはまゆをひそめて硬直してしまった。

 ヤバイ事、言っちゃったのか? 俺。


「あ! 御免ごめんなさい!」


 突然、お姉さんは笑いながら俺に謝る。


「自己紹介まだ、だったよね?」

「あ!」


 俺も今、気が付いた。名前知らない事に。


光井栄美みついえいみ、美大生です」


 みついえいみ、さん。素敵なお名前だぁ。そんな事を考えていた俺の前に、お姉さんの細っそりとした手が差し伸べられる。


よろしく」


 思わず握手。両手でしっかりホールドしちゃった。ホントに、これこそ華奢きゃしゃな手ってヤツだよ。可愛いなぁ。


「で、でも、その、光井みついさんが何で俺なんかを……」

「んん~? あれ? もしかして……まだ気付いてない?」


 住宅街を抜けて別の大学の横を過ぎ、今や運動公園のグラウンドの横を歩く。

 その木陰で、お姉さん、いや光井栄美みついえいみさんはなぞかけするように笑った。


「これなら、どう?」


 そう言いながらリクルートスーツのボタンを外し、内ポケットから取り出したのは、牛乳瓶ぎゅうにゅうびんの底みたいな眼鏡めがね


「え? それ……えぇ!」

「今日は、カツラ持って来なかったんだけどね」


 今時の美大生が、カツラって言いますか?


「もしかして……三つ編み御下おさげ?」

「ピンポ~ン」


 思いっきり笑いだしたお姉さんと、呆然ぼうぜんと立ちくす俺。

 平日の午後、人気のない硬式野球場の横で俺は相当そうとう間抜まぬけな顔だったと思う。


御免ごめんなさい。だますとかじゃないんだけど」


 確かにだまされたわけでは無い。ただ、何と言うか、全然つながらないんだ、頭の中で。

 目の前の、アキバで一目ぼれしちゃったキレイなお姉さん、と。

 亡き父の法要ほうようの件で行った田舎いなかの、寺の境内けいだいの茶店ならぬ寺カフェの、地味なバイト女子大生とが、だよ。

 同一人物? それ、三人の俺こと多元宇宙の時保琢磨ときやすたくま 以上の不思議だった、この俺には。


「さっき、どんな話? って聞いたよね、君」


 確かに。ここで答えてくれるのか。


「大学はね、バイト禁止じゃないんだ。ただ実家には知られたくなくて。同期の田舎いなかでバイトさせてもらてたんだけど……」


 あの眼鏡めがねを掛けながら光井みついさんは、たどり着いた改修中のスケートパークの金網に背中をあずけた。

 金網の向こう側は改修工事の為、板なんかが立ててあって中が見れない。その分、綺麗きれいなお姉さんがグッと浮き出して見えるね。今は眼鏡めがねが邪魔してるけど。


「あの日、見ちゃったんだ。田舎町いなかまちであんな大きな音、珍しいし。銃声だったでしょ? あれ」


 見られてた? 背筋を冷たいものが走る。まさか光井みついさんは、俺を脅迫きょうはく


すごかったよね、あれ。現場で特撮? CGじゃないよね? どうやって撮ってたの?」

「え?」

「その後は、エキストラが大勢やって来て。お寺の境内けいだいが人で埋まってたもの。あんなに人 るの見た事無かった、バイト中」


 もしかして、映画撮影と間違まちがえてます? お姉さん。

 何だか少しホッとして、俺は小さなため息をついた。それにも気付かず、光井栄美みついえいみさんは俺の目の前で楽しそうに、はしゃぎ続けている。


「私ね、映画の仕事したいんだ。美大出ても映画業界は難しそうだから、もし出演者の君ならって」


 あぁ。そう言う事か。勘違かんちがいだけど。


「コネって程じゃなくても、監督さんに会わせてもらえるとか……無いかなぁ」


 華奢きゃしゃな手を合わせて、俺をおがむお姉さん。さぁ困った。どうにかしてあげたい、けど……あれ映画じゃないし。


「え~っと、あの、ですね……」


 どう言えばイイ? ホントの事なんて言える訳ない、言っても信じてもらえない。

 答えに困った俺を、多分お姉さんは誤解したみたいだ。


「あ、御免ごめんね。急にこんな話しされても、困るよね」


 そう言いながら、あの眼鏡めがねはずして光井さんはスケートパークの金網から離れる。


「話し続けてのどかわいちゃった」

「何か飲み物、買ってきます」

「私も行く」


 うなずく彼女と共に、売店を目指して歩きだした瞬間、さっきまで光井さんが寄りかかっていた金網の支柱が、動いたように目のはしに映った。


「え?」


 支柱に立てかけてあった棒が浮いた? そう思ったら今度は、棒をつかんだ腕が支柱から生えてくる。


「まさか……」


 つぶやく間に支柱を透過して、長身の男が飛び出してきた。手にしたのは棒じゃない。さやを投げ捨て抜き身の刀を振りかぶる。


「ピンモヒ!」

「くたばりやがれ!」

「危ない!」


 最後の悲鳴と共に突き飛ばされた俺は、頭を振りながらも自分がた場所をあおぎ見る。

 目に飛び込んできたのは、俺の身代わりになったお姉さんに向かって、真上から振り下ろされる刃だったんだ。

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