神の慈悲なくばⅤ 〜GHOST CALL〜
吉村杏
狼は小羊とともにやどり
1-1
「クリスどうしよう……あるはずのものがない」
「あるわけがないだろう」
俺がソファの上で
「十数年ぶりだけど、意外と手が覚えているものだなあ」
歴戦の傭兵みたいなセリフを吐いたあと、
「お前だって小中学校の授業で習っただろう。ついているいないにびびっていたらおしめは替えられないよ」
そりゃ習ったけどさあ……でも実際の
おしめを替えたからひと安心と思ったら、ノエルはまた泣き出した。今度はなんだ。
「ああハイハイ、おなかがすいたんだね」
フットボールみたいに、クリスの手からダイニングテーブルのモリソンさんの手にパスされる。ノエルの、子猫みたいにちっちゃな口が、窒息するんじゃないかってくらいデカいおっぱいに吸いつくのを、俺は(もちろんクリスも)つつしみ深く目をそらした。
俺たちが来た二時間くらい前にもおっぱい飲んでたはずだけど。赤ん坊ってマジ、食ってるか寝てるか出してるかしかしてない。おまけにすごく燃費が悪ィ。
腹減ったってギャン泣きするくせにミルク飲んでる途中で力尽きて寝るし、飲んだと思ったらひっきりなしにおしっこするし、自分で出しときながらキモチ悪い誰かなんとかしろって泣くし……エネルギー使うとこまちがってるだろ。
「誰がこんなふうにデザインしたんだよ。責任者出てこい」
「ごめんね、半分はあたし」
「えっ、あっ、いや違う、そーゆー意味じゃないよ」
モリソンさんに背中をぽんぽん叩かれて、ノエルはため息みたいなげっぷをした。
生まれたばっかのときもそうだったが、寝てるときはいつも眉間にしわが寄っていて、人生の苦悩を一身に背負ってるみたいな顔をしている。
今が人生で一番気楽な時代なんじゃないのか。ずっと寝てても怒られないし、好きなものは飲み放題だし、歯だって磨かなくていいし、みんながちやほやしてくれる。まあ、他人の都合で好き勝手な時間に風呂に浸けられるのが玉にキズだけどな。
お前はこの先どうなるんだ。誰がお前を守ってくれるんだ。そりゃ、ふたりの兄貴はいるけど、そこに狼男が加わったら百人力だろ? ああ、それとあと一応、神サマも加えといてやるか。気休め程度に。
「ねえ、ノエルの洗礼式はいつやんの?」
ほかに赤ん坊が何人こようが、きっとノエルが一番可愛い。
「そのことなんだけどさ、神父さま」
いつもは押しの強いモリソンさんが、女子中学生みたいにもじもじして、
「この子に洗礼は受けさせたいよ、あたしがいくらだらしない女だっていっても、この子に罪はないんだし。だけどあたしのせいで、この子の代父母になろうって人がいるとは思えないし……」
「俺がなってもいいよ」俺は言った。
「お前は洗礼も受けていないだろう?」クリスは苦笑した。
「ええ、そうだったのかい?」モリソンさんが(!)十字を切った。「神父さまと一緒に教会にいて、ちゃんとミサにも出てるあんたが洗礼を受けていないだって?」
あんたが神様を信じてないなんてね、ディーン、と、彼女はおっかないものでも見るみたいに俺を見た。ちょっと傷つくぜ。
「神サマを信じてないからって、俺はノエルをとって食べたりはしないよ」
マシュマロみたいなほっぺをつつくと、おっぱいとカン違いしたのか俺の指を吸い出して、なにも出ないとわかったのかペッと吐き出した。
「ディーンは神様のことを信じていないわけではなくて――好きか嫌いか決めかねているんですよ」
「あたしは神様のことを好きか嫌いかなんて考えたこともないけどね。だってイエスさまもマリアさまも、いつでもあたしたちのことを好きでいてくれるんだからさ、そうでしょう、神父さま?」
「そうですね」クリスはノエル以上に、天使みたいに微笑んだ。「レオーニ神父はいつもそう仰っていましたね」
「それじゃ俺がノエルのゴッドファーザーになっていいの? 俺も洗礼受けなきゃいけないっていうんなら、受けるよ。おでこに水をちょっとかけられるくらい、フロに入るよりカンタンじゃないか」
「そういうものじゃない」クリスがあきれたようにため息をついた。「実際お前はほとんどノエルと同じようなものなんだから――ああもう、主よ、私はこの子になんと説明したらわかってもらえるのでしょうか?」
クリスは壁紙の剥げた天井を仰いだ。
「ちゃんとわかってるよ。お手本になってやって、困ったときには相談に乗ってやって、悪い虫がつかないように守ってやって、ノエルを傷つけようとするやつは全員ブッ殺せばいいんだよね?」
「そいつは頼もしいね、ディーン」モリソンさんがけらけら笑った。
「……一体どんなマフィア映画を
まあ前半部分はあながちまちがいじゃないけど、とクリスは言って、お手本になるというのは信仰面の話だよ、とつけ加えた。
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