第26話 イバラキ超え③

「お前がやったのか」

 サングラスの大男は無表情で少女の方を見つめる。

 そのまま、一歩一歩慎重に間合いを測るように、のしのしと少女の方へ近づいていく。

「ヒイラギ撃て、殺られるぞ」

 ローブを着た青年は後ろから力一杯叫ぶ。

 こちらの声が聞こえていないのか、棒立ちの少女の不安気な表情が目に入る。

 気づいたら青年は、腰元のダガーを引き抜いて、サングラスの大男テツロウに向かって走り出していた。

(元々互角以上の実力がある上に、向こうは強化アーマーを装着している。明らかに勝負は不利だ)

 しかし、不利を悟りながらも青年の体は自然に、目の前の男に飛び掛かっていた。

 カンッ

 急所の首元を狙って差し出されたダガーは、サングラスの大男は巨大なハンマーで受け流す。

 そして、カウンターでハンマーの柄の部分を青年の肩に思い切りぶつけてくる。

「ぐっ」

 直撃して肩の骨のきしむ音がしたが、青年は歯を食いしばって次の太刀を繰り出した。

 ダガーはリーチが短い得物のため、受けに回り出すとジリ貧になってしまう。勝機を掴むには攻め続けるしかなかった。

 キンッ、キンッ

 巨大なハンマーとダガーの撃ち合いが何合か続くが、明らかにサングラスの大男の方が押していた。

 一撃が重い上に、体に付けている装置の影響かまるで早送りの様に一つ一つの動作が速い。

 何合かの打ち合いの後に終いには、巨大なハンマーが青年の脇腹に食い込み遠くにふっ飛ばされた。

「がはっ」

 メキメキとあばら骨が砕ける音がして、気づいたら砂の上に横たわっていた。

 青年の口の中には血の味が広がっており、体を少し動かすだけで激痛が走った。

 しかし、少女の事が気にかかり、地面に横たわったまま必死で顔を上げる。

 かすんだ視界でかろうじて見えたのが、少女に近づいていくサングラスの大男の姿。

 少女はただ突っ立っているだけで、これではまるで狼に狩られるのを待っている従順な子羊だ。

 

(やばい、やばい、やばい)

 一歩一歩近づいて来るサングラスの大男を前に、ヒイラギは頭の中で危険を知らせる信号が鳴り響いている。だが、体は硬直したようにピクリとも動かなかった。

 男はついに目の前まで来て、無抵抗な少女に向かって巨大なハンマーを振り上げる。

「カーッ、カーッ」

 すると、少女のローブのポケットから勢い良くカラスが飛び出してきて、目の前の男の顔面目掛けて攻撃をくわえる。

 ただその決死の抵抗も虚しく、大男のハンマーの一振りで、カラスは無惨に地面に叩きつけられる。

「ジジっ!」

 少女はその姿を見て悲痛な声で叫ぶ。

 魔法を発動して、何とか一矢報いようと試みるが、どうしても上手く集中出来なかった。

 ここまで追い詰められていても、人に向かって本気で魔法を放つ事にどこかで抵抗を感じていた。

 大男は、もう一度ハンマーを振りかぶり、今度こそ少女を仕留めようとする。

「ジジ、ごめんなさい。お母さん、ごめんなさい」

 ヒイラギは、自分の命の終わりを悟ったのか、目を閉じてこんな事を呟いた。

 ただただ自分の無力さが悔しかった。


「まだ君の役目は終わっていない」

 どこからか、少年のような少女の様な中性的な声が聞こえてきた。

 ヒイラギは恐る恐る目を開けると、目に入ったのは、自分より小柄な少女の華奢な背中だった。

 その小柄な少女は、まるで絵本から出てきた魔女の様な格好をしていた。

 黒いとんがり帽子から、くすんだピンク色の長いふんわりとした髪がのぞいていて、質素な黒いたワンピースに、右手には大きなホウキを持っている。

 前方に突き出された左手からは、まるで台風が凝縮された様に、途轍も無い勢いで強風が放出され続け砂嵐が巻き起こっていた。サングラスの大男は、飛ばされない様に必死で踏ん張って堪えているが、抵抗も虚しくジリジリと後ろに下がって行く。

 ヒイラギは、後ろからそのとんがり帽子の魔女が放つ魔法を見て驚いた。今の自分のレベルでは比べ物にならない位に、その技術は洗練されており巨大なマナを効率良く循環させていた。

 「下界にあまり干渉は出来ないから、私が出来るのはここまで」

 彼女の話し方は抑揚に乏しく、無機質な印象を受けた。

 「おいで、逃げるよ」

 とんがり帽子の魔女は、ヒイラギの手を握り抱き寄せると、ホウキの後ろに乗せる。

 直後に、ふんわりとホウキごと宙に浮く。 ヒイラギは驚き、とんがり帽子の魔女の背中にしがみつく。その、背中は華奢で体からは甘い香水の様な香りがした。


 そして、とんがり帽子の魔女は、近くで地面に横たわっている、リッカとハクを手で指す。

 すると、二人は巨大なシャボン玉のような物に包まれて、宙に浮き、レズリーはそれを自分の方に向けて手繰り寄せる。

「お願い、あの子も連れていって」

 ヒイラギは懇願するように、自分を守って地面に叩きつけられたカラスを指差す。

「いいけど、もうそいつは・・・」

 とんがり帽子の魔女は、途中で言葉を詰ませるが、黙って地面でぐったりとしているカラスを手で指した。

 ジジはふわふわと宙に浮いて、ヒイラギの手の中に収まる。

 手の中に抱いた瞬間に、ジジはもうすでに事切れていて、冷たくなっている事に気付いた。

 とんがり帽子の魔女は、ホウキの上から指をパチンと鳴らすと、地上にあるジープが2台共、音を立てて爆発した。

 セイラムの軍人たちは、唖然とした様子で、煙を上げて燃え上がっているジープをただ眺めている。

 ただその中で、巨大なハンマーを手にした大男だけが、サングラス越しでその表情は読み取れないが、上空でふわふわと浮いているヒイラギ達を睨みつけていた。


 とんがり帽子の魔女とヒイラギが乗っているホウキは、風を裂いて一定の方角に進み始める。

 そして、それを追従する様に、巨大なシャボン玉のような物体に包まれて宙に浮いている、リッカとハクも付いて来る。

 どうやら二人とも気を失っているようで、目を閉じて身動きもしない。

「大丈夫?」

 とんがり帽子の魔女は、背後でカラスを大切そうに抱きしめて泣いている、少女の方を振り向く。

 とんがり帽子の魔女の顔立ちは、可憐さを思わせる少女そのものだった。 

 長いまつ毛にパッチリとした瞳をしていて美しい顔立ちだが、その目はどこか暗かった。

 ヒイラギは返事もせずにしばらく泣き続けたが、やがて少し気持ちが落ち着いたのか、目の前のとんがり帽子の魔女におずおずと声をかける。

「超越者レズリーですよね・・・どうして助けてくれたの」

 まだ小さな子どもの頃に、映像で見た時と全く姿が変わっていなかったので直ぐにこの魔女の正体に気づいた。

 その外見から一見ヒイラギと変わらない年頃に見えるが、どこか悟った様な立ち振る舞いで、底知れ迫力をその小柄な体から発していた。

 レズリーは、感情を感じさせないゆったりとした口調で口を開く。

「君は、あのカガリの娘だろう」

 唐突に、亡くなった母親の名前が出てきて、ヒイラギは戸惑う。

「カガリは、超越者になれるほどの素質を持った魔女だった」

「だが、彼女は結婚して幸せな家庭を持つ道を選び、求道者としての道を諦めた」

 ヒイラギの戸惑っている様子に気づいているのにも構わずに、レズリーは淡々とした様子で話し続ける。 

「そして、その子供である君にも間違いなく、その素質は受け継がれているはずだ。将来私達の仲間になるかもしれない」

「私が超越者に?だから助けたの」

 話しが飛躍し過ぎて、少女の頭の中は混乱していた。母親が才能のある魔女なのは知っていたが、まさか神に近い存在である超越者に、手が届くほどの実力があった事に驚いた。

 そして、自分がその娘だからと言う理由で、超越者の一人がわざわざ窮地から救ってくれた事にも。

 レズリーはこくりとうなずき、続きを話す。

「しかも、君は体内に賢者の石を持っているだろう」

 この言葉を聞いた途端に、ヒイラギの心臓がドクンと大きく脈打った。

 幼い頃のあの惨劇の記憶が、ちらりと一瞬頭に浮かび体が強張る。

「なぜそれを・・・あれは賢者の石というの」

「君のその体内にある石だけど、気をつけた方が良い」

「魔法を極めようとする者にとっては、喉から手が出るほど欲しい代物だ。いずれ災いの種になるだろう」

 レズリーは、質問には答えずに何やら予言めいた事を言って、それっきり黙り込んでしまった。

 ヒイラギもまだ聞きたい事は沢山あったが、目の前の小さな魔女の無言の迫力に呑まれて、それ以上は聞く事が出来なかった。

 ホウキに乗って、砂漠をもの凄いスピードで横断し続ける中で、レズリーは無表情で地上を見渡していた。

「懐かしいな。ここも変わらない」

 くすんだピンク色の髪を風になびかせながら、そんな事を呟いた。その表情から相変わらず感情は読み取れないが、どこか遠い記憶に思いを馳せているようだった。

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