4・秋波と確執(前編)
大学を卒業したあとの進路は、私と海莉の差を如実に示した。面接で
それでも彼女は変わらずに、あの
「…………」
珍しく押し付けられた休日出勤に向かう途中、気づいたときにはため息を
ガラガラに空いた電車で腰を落ち着け、窓の外を眺める。 青空には真冬だと言うのに巨大な入道雲が聳えていて、ヒーターから懇々と漂う温風も相まって季節感がバグっていく。
SNSもスマホゲーも続かない私なのに、彼女への想いは薄れることを知らない。海莉以外のいろんなことがどうでも良くなっていく。海莉への依存が深まっていくほど、社会への拒絶が増していく。
社会への拒絶が増していけば人と関わるのが怖くなり、彼女への依存は更に深まっていく。学生の頃に見た、薬物依存をわかりやすく描いたポスターの図を思い出した。
怖い。こんなにも好きになってしまった人が存在することが、怖い。
諦めていた宝石が手に入ってしまった。町行く人が全員ひったくりに見える。話しかけてくる人が全員詐欺師に見える。インターフォンを鳴らす人が全員強盗に見える。
永らく乖離していた現実世界と妄想世界が徐々に混ざり合って、精神世界の平衡感覚がおかしくなっていく。
今が間違いなく人生で一番幸せだ。海莉と過ごしている今この瞬間が、間違いなく幸せのピークだ。これからたくさんの困難が襲いかかってきて、私は地獄を見る。きっと明日には、全てにはダメになっている。そんな予感が常に拭えない。
きっと今日の私は、どうして昨日死んでくれなかったのだと、明日の私に呪われる。
「…………」
スマホのロックを開き、プリインストールされていたインターネットブラウザを開いて、見るだけで心がどんよりするようなワードを適当に打ち込んだ。悲壮感に溢れたブログを見つけてタイトルをタップする。
ふむふむと眺めながら、共感による同情と同族嫌悪に苛まれて心がマイナス方面に引っ張られる痛みを感じながら、それでも読む手を止められない。
成功者が書いた一冊二千円近くするビジネス本よりも、うつ病患者が書いた無料で公開されているエッセイの方が、私にとっての価値が高い。そもそも高い本を買うだけの懐がないという問題はそっと棚に上げる。
中でも「こうやって社会復帰しました!」とか、そういうんじゃなくて、どうあがいても絶望から抜けられないから泣く泣く書いている、叫びのような文章は、読んでいてとても落ち着く。
ときどき、心が軽くなる出会いもある。どんな遷移を辿ったか覚えてはいないが、偶然行き着いたとあるエッセイの一節に「『心がしんどい時は、小さいものを愛でなさい』と医師から言われた」とあった。筆者はそれから、しんどいときはビー玉を手のひらに乗せてぼぅっと眺めるようにしているらしい。そんな景色を想像して、素敵だなと、私は思った。
では。私にとって愛でたくなるような小さいものはなんだろう。しばらく考えてみたが思い浮かばない。手のひらに乗せて、心が安らぐようなもの。
なんとなく、それは私が今後の人生を歩んでいく上で、必要不可欠なのではと思った。
そんな風に、二分後には忘れてしまうような確信を手にしたところで、降りるべき駅へと近づいていた。窓の外の景色が、流れる速度を落としてく。違うな。鉄の箱に押し込まれて流されているのは私の方だ。
ドアの前まで移動して待機する。ホームドアが開き、波のように続いて電車のドアも開いた。
途端に雪崩れ込む冷気は化粧を氷膜に変え、私を現実へと引き戻した。
×
派遣の営業さんに勧められて勤務しているここの業務は、実にシンプルで、気軽なものだった。時給は1,200円。首都圏の派遣社員の時給としては低い方だろう。小規模な派遣会社が、零細企業から掠め取った職務を天引きして横流ししてくれている。
現代日本でも奴隷制度は一切なくなっていない。でも、私はそれでいい。私は、優しい奴隷商人に飼われたい。
仕事自体も生ぬるい。ずっと文化祭の準備をしているみたいな空気感だ。
お昼のチャイムが鳴って、昼食を摂る。
『出たね、ディストピアご飯』
私がカロリーバーを二本、机の上に並べると、海莉のげんなりした声が脳内で響いて、それから彼女と喧嘩に発展しかけた最近の一幕を思い出した。
作る手間が面倒で、朝はコーヒーだけ、昼はご覧の通りで、夜は完全栄養食の粉を水で溶かしそれで完全栄養食のパンを胃袋に流し込む私に、彼女はいつもの調子で『顎が弱くなる』『味覚がバカになる』『味覚的な楽しさも重要』『食べるという行為そのものが~』と熱く説いた。
『いろんな種類のカロリーバーを食べている』と主張する私に対して、『アンドロイドが人間の趣向を理解しようと頑張ってるみたいで尚更寂しい』と海莉は眉を顰ひそめていた。
私も最初は『はいはい』だの『ウザい』だので返していたが、なかなか消えない彼女の熱が移り、つい強い語気で『お母さんに作ってもらってる人に言われたくない』なんて楯突いてしまった。
これだって、単なる嫉妬だ。私だって作ってくれる家族がいたら存分に甘えただろう。就職しても実家から出ない人を揶揄する風潮が散見されるけれど、家族の仲が良いのなら一緒にいるべきだと私は思う。家族とはいえ他人、とはいえ、他人とはいえ家族なのだから。
『確かに』
私の意に反した言葉は想像以上に鋭利だったらしく、すっかり消沈した海莉がそう呟き、決着はついた。
これに似たようなことが増えてきたように感じる。学生時代に比べると、明らかに。
互いがこれ以上やったら喧嘩になるというラインを敏く感じ取り、喉から飛び出る寸前でくっと堪える。
それがいいことなのか悪いことなのかわからない。喧嘩なんてしないに越したことないという声もあれば、喧嘩するほどなんたらなんて諺も聞く。
「……」
いつの間にか
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