商店街角の天使サマ

篠宮京

第1話

「ねえ、何やってるの?」

 エリーが尋ねる。

 視線の先には、作業台の上に広げた金物と、ずらりと並ぶ工具類。のみやたがね、金槌などが無秩序に置いてある。

「仕事だよ、仕事。俺ァ今、忙しいんだよ」

 普段はヘラヘラした態度の朝紀あきが、珍しく真剣な表情をしている。

「仕事?」

 エリーが尋ねると、朝紀は難しい顔をしてぎろりとエリーを見下ろした。

「そうだ、仕事だ。この仕事がうまくいかなかったら……」

「いかなかったら?」

 と、エリーは朝紀の顔を覗き込む。知らず知らずのうちにエリーの表情も鹿爪らしいものになっていて、眉間に皺までできている。

「来しゅ……いや、来月は、飯が食えない」

「マジか!」

「マジだ」

 そう。宮内朝紀は現在、かなり切羽詰まっている。彼の経済事情的にも、これほどまで逼迫したのは初めてのことだ。

 ひとつでも商品を売らなければならない。それは別に、彼の作品でなければならないというわけではない。とにかく店頭に並ぶ商品なら何でもいいから売らなければならないということだ。

「そうかー。ご飯、食べられないのか」

 がっくりと項垂れるエリーの口調はどこか軽い。お金が入ってこなければ来月どころか来週は飯を食うどころではないという恐ろしい事実に、彼女はまだ気付いていないのだ。

「だからねぇ、エリーさん。ちょいとそこ、どいてくれるか?」

 手元に影が出来て見辛いんだわ。と呟きながら朝紀は、をコンコン、と鳴らす。

「見てなよ、エリー」

 言いながら朝紀は手をちょい、ちょい、と動かし、ペランとした薄い金属板に絵を彫っていく。

「わぁぁ」

 魔法みたい、とエリーは呟く。

「まだまだ、ここからが真髄なんだぜ」

 そう言うと朝紀は、たがねをのみに持ち替えた。

 カンカンカンカンと甲高くリズミカルな音が響き渡る。まるで金属が歌っているかのようだ。朝紀の指先が繊細な動きでもって金属板に触れると、まるで金属自体が意思を持っているかのように自由自在に姿かたちを変えていく。

「すごい……」

 そう呟くとエリーはポカン、と口を開けたまま朝紀の指先から視線を離すことが出来ないでいる。

 エリーが朝紀の手元にじっと見入っていると、店の奥からキクさんが顔を出して怒鳴りつけてきた。

「こらっ、朝紀。店の商品で遊んでんじゃないよ!」

「うるせー、クソババア。仕事してんだよ、仕事」

 器用に鑿を動かしながらも朝紀は言い返す。

 金属板は平面から立体へと形を変え、今や小さな鳥へと進化しつつある。

「これ、どうするの?」

 不思議そうに瞳を見開いてエリーが尋ねかける。

「これは、ミサちゃんからの依頼品」

「ミサちゃん?」

「キャバクラのねーちゃんだよ。昔飼ってた文鳥の置物が欲しいってんで、俺がこうして作ってんのさ」

 鼻の下を伸ばしながら朝紀が言う。

「いやらしーい。アキ、どーせエッチなことしようとか思ってるんでしょう」

「思ってねーよ」

 いや、思ってるけどな、と考えながら朝紀はつっけんどんに言い返した。その間にも手は素早く動き、カンカンカンカンとリズミカルな鑿の音が響いている。

「鳥……だよ、ね?」

 と、エリー。

「鳥以外の何に見えるってんだよ、ああ?」

「うーん……と、ねぇ……コウモリが寝てるところ?」

「はあ?」

「それかねぇ、モスラが昼寝してるところ」

 ますます訳がわからんし、どっちもちげーよ。心の中でボヤキながらも朝紀はカンカンカン、カンカンカン、と金槌を打ち振るう。眉間の皺が少し深くなる。

 店の奥の障子が乱暴に開け放たれたかと思うと、キクさんが顔を出した。

「ドラ息子、配達の電話が入ったからちょっと行ってきな。三丁目の里中さん

 厳めしい顔つきのキクさんは、白髪頭を後ろでお団子にした、昭和のお婆さんのような風貌をしている。

「あ、無理。俺いま仕事中」

 器用に鑿を小刻みに動かしつつ、カンカンカン。時々たがねに持ち替えて、さらにカンカンカン。朝紀はいつしか真剣な表情をしている。職人の表情だ。

「何言ってんだい、半人前のヒヨッコが。さっさと行ってきな!」

 我慢の限界がきたのか、キクさんの雷が落ちた。

「怒りの沸点が低いってぇのは、年食っても女だからかねぇ」

 ぼそりと朝紀から呟くと、エリーがコン、と頭を小突いてくる。

「アキちゃんそれ、セクハラ発言」

 ぷう、と頬を膨らませてエリーが注意をする。

 それを言うなら、クソババアもセクハラじゃん、と思いながらも朝紀はそれを口にはしない。さらなる舌戦が繰り広げられることになるのだけは避けたかったのだ。

「まー、それじゃあ、ちゃっちゃと配達行ってきますかねぇ」

 カン、とたがねをひと叩きしてある程度満足のいくところまで形を整えると、朝紀は立ち上がる。

「荷物、どれ」

 手をさし出して朝紀が尋ねるのにキクさんは「ん」と風呂敷包みを握らせてくる。

「重っ……なんだぁ、こりゃあ。なに、この重さ」

「なにって、鉄瓶だよ。」

 里中さんは昔から茶道教室を開いている家で、近所でも評判の家だ。何が評判かというと、そこの若奥さんの着物姿が色っぽいのだとか。襟足から覗く首や耳の裏側にあるホクロが艶めかしいだとか何とか、飲み屋に集まる男たちの会話に時々登場するぐらいに評判が高い。

「あ、そ。じゃあ、行ってくらぁ」

 若奥さんが出てきてくれたら儲けもんだなと思いながら、朝紀は店をふらっと出ていく。

「こらっ、朝紀。里中さん家は瀬ノ橋三丁目。方向が逆だろ!」

 朝紀の背中に向かってキクさんが怒鳴り声をあげる。

「はいはい、わかってるって」

 面倒くさそうに返事をして、朝紀はくるりと体の向きを変える。瀬ノ橋三丁目なら、距離があるから歩くよりスクーターで移動したほうがいいだろう。店の隣の駐車スペースに停めてある原付スクーターに跨ると、手際よくヘルメットを被りエンジンを入れる。

 瀬ノ橋かぁ。ブツブツと口の中で言いながらも、顔はどこかニヤケ気味だ。

「人妻ちゃん、待っててねぇ~」

 ぅふふぅっ、と不気味な笑いを浮かべ、朝紀はエンジンをひと吹かしする。

「アキ、お土産待ってるよ!」

 店先でエリーが手を振っている。

 確か、瀬ノ橋三丁目の一角にある喫茶店は、洋菓子のテイクアウトができたっけ。あそこのワッフルにするか、と朝紀は前方を見据えたまま、エリーに手を振り返した。

 もちろん自分へのご褒美土産は、人妻のうなじを妄想しながら飲む酒だ。

 スクーターを走らせながらの妄想は、この上なく捗った。


 

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商店街角の天使サマ 篠宮京 @shino0128

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