グラム その一

 丸一日、時間を遡る。


 グレンが、エイルを穴の底へ突き落とした直後だ。

 エイルの身体が穴の底へ吸い込まれていくのを、グレンは見下ろしていた。


 バアアァーンッ!

 轟音が、響き渡る。

 エイルの身体が、底の底に衝突したらしい。思いのほかの深さに、グレンは身がすくんだ。

 穴の底に、ぼんやりとした白い光が現れ、やがて、明らかな人間の形を成していく。エイルに装着させた回復の腕輪ヒールリングが発動したのだ。


「今だ、抜けッ!」


 グレンは、剣を取り囲む三人に命じる。

 ルースが、バルドに支援魔法バフを施し、腕力を極限まで上昇させる。

 同時に、マリンが、グラムの鞘に【分離ディバイド】の魔法を流し込んだ。

 異なる性質を持つ物体同士を分離させる魔法だ。汎用性が高く、薬品の調合や、錆び取り、料理などにも用いられる。魔獣から、素材を取り出す際にも有用だ。

 この魔法により、剣を地面から分離する。


「びくともしねぇぞッ!」


 グラムの柄を掴むバルドが、苛立ちを露にする。全身の血管が、浮き立つほどに力をこめているが、剣は微動もせず、抜ける気配すらなかった。


「竜は?」


 マリンは、穴を覗きこんでいるグレンに問う。


「まだ、出てきそうにはない」


 マリンは、込めている魔力を大幅に強めた。


「ぬおおおおおおおおッ!」


 バルドのこめかみの血管が、破裂せんばかりに浮き出る。

 ……ガゴッ。


「う、動いたッ!」


 その振動は、鞘を握りしめていたマリンにも伝わった。


「り、竜はッ?」


 再度、マリンは、グレンに問う。

 既に、エイルを包み込む白い光は、だいぶ弱まってきている。もうすぐ、治癒が完了してしまう。けど、竜は依然姿を見せない。


「大丈夫だ。まだ、出てこないぞッ!」


 ……よし。

 マリンは覚悟を決め、流し込む魔力をマックスにまで高めた。

 バルドは、もう腕がぶっ壊れても構わないつもりで、力を込める。


「ぬおおおおおおおおおおおおおおぉッ!」


 ズゴンッ!


「ぬ、抜けたぞッ!」


 皆の視線が、バルドの手中に集まる。魔剣がその全貌を露にしていた。


「よし、出るぞ!」


 グレンの号令を合図に、四人は一斉に同じ動作をする。懐から、紋様の記された掌に収まるほどの白石を取り出した。転移宝石テレポジュエルである。


 各々が、足元にそれを叩きつける。

 砕けた白石は強い光を放ち、薄暗かった洞内の辺り一帯が眩しい光に包まれた。

 光が収まると、グレンたちは洞窟の外にいた。

 バルドの手には、鞘に収まったグラムが、しっかりと握られたままだ。


「み、見せてくれ」


 グレンは、剣を受け取った。

 鞘や柄に凝った細工の類はなく、いたってシンプルなデザインだ。一般的な長剣よりも、さらに少し長い。

 岩や、鉄をも、まるで紙のように切り裂けるといわれる伝説の魔剣。それが今、自分の手に……。

 グレンは、思わず唾を飲み込むと、興奮も露に剣を高く掲げ持った。


「抜いた……、ぬいたぞぉッ!」


 歓喜は最高潮に達し、他の三人も快哉の声を上げた。


「こいつがあれば、より強い魔物とも渡り合える。その気になりゃ、竜だって狩れる」


 グレンは、一同に向き直り、高らかに宣言する。


「俺達は、さらに上を目指すッ!」

「もちろんだ」


 バルドは、即答した。


「……あ、ああ」


 一方、ルースの返答には、少々の歯切れの悪さがあった。マリンにいたっては無言だ。

 が、この時のグレンは、そんな事は歯牙にもかけないほど、陶酔感に浸っていた。


 すでに、日は没し、辺りは完全な暗闇だ。

 夜間に山中を移動するのは、様々な意味で危険を伴う。

 グレンたちは、野営に適した場所を見つけ、そこで火を焚く。朝まで交代で一人が火の番をし、残る三人は寝袋に入る。

 最初の見張り番は、ルースだった。

 地面に放り置かれたグラムを見て、ルースは複雑な気分になる。

 ……雑に、扱いやがって。

 拾いあげ、まじまじと眺めてみた。不思議な剣だ。長い間、地中に埋まり放置されていたはずなのに、傷はおろか、汚れ一つない。それどころか、まるで新品そのものである。

 魔剣、と呼ばれる所以か……。


『東を目指せ』


 な、何だ?

 ルースは、周囲を見回す。

 今、声が聴こえたような気がしたが……。

 もちろん、辺りには誰もいない。他の三人は、寝袋の中で就寝中だ。

 辺りは静寂に包まれ、聞こえてくるのはパチパチと爆ぜる焚き火の音のみ。

 空耳……、か?

 ルースは、グラムを元の位置に戻した。

 少しすると、マリンが寝袋から抜け出してくる。


「そろそろ、交代よ」


 ルースは、すぐにはその場を動かず、マリンに問い掛ける。


「あまり、納得していないのか?」

「え?」

「グラムの扱いについて」


 マリンはため息を漏らし、地面に置かれたグラムに目をやる。


「それを手に入れたら、この仕事は一区切りにするつもりだったのよ」

「そうだったのか」

「あなただって、いつまでも続ける気はないんでしょ?」

「まあな」


 ルースとマリンにとって、冒険者稼業はあくまで、手っ取り早く金を稼ぐ手段に過ぎなかった。


「大体、納得いかないわよ。それを抜いたのは、わたしよ。バルドは、ただバカ力を込めただけだし、グレンなんて、何もせずに見てただけじゃない」


 派生条件の複雑な【分離ディバイド】を、マリンが獲得できたのは、正しく僥倖だった。それがなければ、自分たちは、グラムの獲得を目指す事すらしなかっただろう。


「オレもそう思うよ。キミの魔術と、オレの支援魔法バフの功績だ」

「でしょ? なのに、まるで、グレンが独り占めするみたいじゃない」


 立ち上がったルースは、グラムを拾い上げる。


「つまり、これを持つ権利は、オレとキミにある」

「え?」

「そうは思わないか?」


 ルースは、意味深長は微笑を浮かべた。


 ◇


 グレンが目を覚ました時、東の空は明るくなっていた。鳥の囀りが聞こえる。

 朝……、か。

 ぼんやりとした頭で、グレンは思う。

 おかしいぞ。

 火の見張り番を、自分はまだ一度も担当していない。なのに、すでに夜が明けている。


 グレンは、脱兎のごとく、寝袋から飛び出した。

 焚き火は消え、傍には誰もいない。

 三つ並んだ、自分以外の寝袋を見やる。バルドは、まだぐっすり寝ている。

 が、ルースとマリンのそれは、空っぽである。周囲をざっと見回すも、脱け殻の主たちの姿は見当たらない。


「バルド、起きろッ!」

「……ん?」


 ようやく目覚めたバルドが、寝袋から這い出てくる。


「どうした?」

「ルースとマリンがいない……」


 グレンはそこで、もう一つ、この場からなくなっている物がある事に気づく。


「グラムは?」


 先ほど、置いてあったはずの場所に、剣はなかった。

 バルドも異変に気付き、二人は辺りを血眼になって探した。だが、魔剣グラムはどこにも見当たらない。

 二人の仲間と、貴重な剣が、同時に消えている。その状況を説明する、最も蓋然性の高い推論は、当然一つしかない。


「くそ、あいつらぁ……」


 グレンは、怒りのままに、ロングソードで、周囲の木々の枝葉を斬りまくった。ついに、大樹をなぎ倒すも、腹の虫は、一切、収まらない。

 一方、バルドは、ただ、呆然自失と立ち尽くすのみだった。

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