第35話 レイチェルの決断

「ごめん、アレックス、気まずかったよね」


 レイチェルの声は言い争いのせいで枯れていた。

 それだけでなく、レイチェルの顔を見ると目が真っ赤で、頬には涙を流した後がある。


「大丈夫だった?」


 俺はつまらないことを聞いてしまった。


 レイチェルの表情を見れば、大丈夫じゃないのは明らかだ。

 

 それなのにレイチェルは、

「うん、大丈夫、最後にはお父様も納得してくれたよ」

と答える。。


「納得? 一体何を?」


 俺の質問に対して、レイチェルは儚げに笑い、「あとで話すね」と言うだけだった。


 やがて夕食の時間になる。


 あれだけ激しい言い争いをしたのでレイチェルとフリード様は顔を合わせないかもしれないと思った。

 けれど、先に食卓へ着くとフリード様もやって来る。


 しかし、食卓に違和感があった。


 前日は同席していたクロエさんがいない。


 ブレッドさんはとても険しい表情だった。


 それにフリード様からは昨日のような親しみやすい雰囲気は消えている。


 食事は半ばまで、無言の重い空気で進んだ。


「レリアーナ、本当に明日、出発するのか?」


 フリード様が口を開いた。


「はい、先延ばしにしても仕方ありませんから。それにここへ留まり、私自身の気持ちが変わることが怖いのです」


 レイチェルが言うとフリード様は泣きそうになり、「そうか……」と悲しそうに漏呟く。


 フリード様の視線が俺に向いた。

 俺は背筋を伸ばす。


「…………アレックス君、先ほどレリアーナから聞いたが、報酬は要らないと言ったらしいな。しかし、それでは私の面子というものが潰れてしまう。私の為、と思い、いくつかの報酬を受け取って欲しい」


 今のフリード様に対して、軽口や拒否を出来そうになかった。

 とてもピリピリしている。


「……分かりました」


「ありがとう…………それから、君にもう一つだけ頼みがある。レリアーナをランテ火山まで送ってやってくれないか……?」


 フリード様の声は震えていた。


「ランテ火山?」


「そこまで遠くない。馬車を使えば、二日……そう、二日で辿り着ける場所にある火山だ」


 フリード様は声を絞り出しているようだった。


「――――どうしてそんなところに?」


「それは…………」


 俺の質問にフリード様は言葉を詰まらせる。


「理由は後で私が教えてあげるよ」


 代わりにレイチェルが明るい口調で言った。

 けれど、どこか無理をしている気がする。


「…………分かったよ」


 その後、会話はなく、重い雰囲気のまま、夕食は終わった。


 お風呂に入って、就寝する。


 でも、今日はとても寝付きが悪かった。


「ねぇ、起きてるよね?」とレイチェルが言う。


「うん、寝れなくてね」


「私もなんだ。アレックス、私を抱き締めてくれない?」


「…………」


 もしもレイチェルがからかうような口調で言ったら、突っ込みを入れていただろう。

 でも、今の彼女の声はとても不安そうだった。


「あっ、抱き締めて、だからね。抱いて、じゃないよ」


 レイチェルは思い出したように無理やり明るい声で言った。


「分かっているよ」と俺は真面目に返した。


「えっと……そんなに真面目に返されるのは照れるよ」


「じゃあ、やめる?」


「ううん、お願い……」


 俺はレイチェルを抱き締める。

 彼女の体は震えていた。


「レイチェル、君が何をしようとしているか、そろそろ聞いても良いかな?」


「…………」


「ランテ火山で何をするつもりだい?」


「呪いの打ち消し、だよ」


 レイチェルの声は震えていた。


「呪いの打ち消し。ランテ火山でそれが出来るの?」


 もしそうだとしたら、今までどうして黙っていたのだろうか?


「うん、出来る。代償は必要だけどね」


「代償?」


「…………」


 レイチェルは即答しなかった。

 嫌な間が流れる。


 レイチェルは大きく息を吸って、言う決心をしたようだった。


「私が死ぬ、の…………」


 俺は驚かなかった。


「アレックス?」


「大丈夫……聞いてたよ。――――その決断を修正するつもりはないのかい?」


 レイチェルは即答で「無いよ」と答える。


「この呪いを打ち消す為には私が死ぬしかないんだよ。ジェーシも今日の人たちも同じ結論だった。それがこの『魔王の呪い』を消滅させる唯一の手段――――私は火口に身を投げるつもり」


「…………」


「前回ね、首を斬って、自決しようとしたでしょ? でも、私は魔王の呪いで、周囲の生き物の生気を吸い取って、回復しちゃうから、致命傷だって治っちゃう。でも、溶岩の中なら、生き物はいないから、回復は出来ない。死ねると思うよ」


 レイチェルはどこか他人事のように言う。


「君はずっと、こういう結末を覚悟していたの……?」


 俺の声は震えていた。


「うん……。魔王を倒せたことは奇跡だった。その後、アレックスに出会えたことも奇跡…………二回も奇跡が起きたんだよ? これ以上の奇跡を望むのは欲張りでしょ? アレックスに救われた時から呪いに対処法が無い場合、どうやって自分を殺そうか考えていたの」


「だから会ったばかりだった俺に『全財産を渡す』とか提案したし、ジェーシに呪いの解呪方法が無いと言われた時、取り乱したりしなかったのかい?」


「そうだよ。でもね、アレックス…………」


 レイチェルは俺を真っ直ぐ見つめる。

 そして……


「あなただって、私がこういうこと決断をする、って予想はしていたんじゃないの?」


「……!?」


 レイチェルの言葉は俺の心に突き刺さった。



 レイチェルが「私が死ぬ」と言った時、俺は驚かなかった。

 彼女がこういう決断をすると心の奥底では気付いていた。


 しかし、凡人の俺にはどうすることも出来ない。


 だから、彼女の一番近くに居たのに、彼女の覚悟から目を背けていた。

 気付かないふりをしていた。


 俺は卑怯者だ。

 絶対に何かの物語の主人公にはなれないだろう。


「ごめん……」と俺は呟く。


「どうして、アレックスが謝るの? どうして泣くの? 私は感謝しているよ」


 卑怯者の俺に対し、レイチェルは優しく微笑んだ。

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