02
より一層身を入れてメンテナンスを手掛けたのが良かったのだろうか。
世話を始めて28日目の朝。やはりすんなりとはいかなかったが、長い眠りから薄ぼんやり意識を取り戻した薄倖の少女にトーラスは息を飲んだ。
──────ああ、ついに目蓋が開く。その目は、一体どんな色をしているんだろう?
「……う…っ……」
繊細で長い睫毛に縁取られた目蓋がまるで花開くようにゆっくりと開いてゆき、やがて現れた
しかし、まだ完全に意識を取り戻した訳では無いらしく開いた目蓋は再びすぐ閉じられてしまう。
「……ふ……ぅ」
ゆっくり、本当にゆっくりと深呼吸する少女の様子をハラハラしながら見守るトーラスの肩に、白い貴婦人が慌てて飛び乗ってきた。
正直この毛玉とは互いに相性が悪いのだが、それを無視してスっ飛んでくるとは…彼女も相当心配していたのだろう。
(噛まれないように機嫌をとりながら)麦の実を手渡すと、
服についた毛を払ってからトーラスは部屋の扉を閉じ、少女のケアを再開する。
今のところ意識は眠りと覚醒の狭間にあり、呼吸も心拍も正常だ。
体温の低下を防ぐため室内は囲炉裏の火を焚いているが、しかし季節柄それだけでは足りない。
「助けてやるからな。もう怖くないぞ…」
少女の首筋にホットタオルを宛ててやると、心地いいのか緊張して強張っていた身体からフッと力が抜けていく。
「……そこに…………誰かいるの…」
首筋を拭い、顔を拭いて再びホットタオルで両手と両首筋を温めていると弱々しい囁き声がトーラスを呼んだ。
「…ここにいる。ゆっくりと息を吸って……さあ吐いて。落ち着いたら目を開けてごらん…」
宙をさまよう手を、トーラスのごつい手が強く握り返す。やがて体温が移ったようで、震えてやや冷えていた細い手は温もりをもって確りとトーラスの手を握り返した。
「目が覚めて良かった。このまま目を覚まさなかったら、どうしようかって…心配してたんだよ」
柔らかな寝心地の寝床から上体を起こして、ふと目が合ったのはアイスグレーの瞳。
そして群青色の長い髪を肩口でゆるく縛っている青年だった。
「俺はトーラス。君は?」
「……エマ……」
素性の知れない者には警戒すべきだと本能が警告を発するが、目の前の彼からは「良からぬもの」を感じない。名を訊ねられて返事を返さないのも気を悪くさせると思い、エマはやや暫く間を置いて自身の名を
「あの…失礼なことを訊ねるけれど…貴方は、人?馬?」
トーラスと名乗った青年の上半身は人間に似ていて、腰から下…つまり只馬の首があるべき部分で人の胴が違和感なく混ざっている。
そして腰から下には馬の胴と四肢があり、腰にはきちんと大口ズボンを穿いていた。
「
見たこともない未知の存在に、エマはベッドに腰掛けたまま硬直する。
「ははっ、ビックリしてんね。
「え…ええ、まあ。貴方が、助けてくれたんですか?」
「郵便配達のバイト帰りだったんだけどさ、アンタを土砂降りの中で見つけた時は、本当に肝が冷えたよ…」
快活な口調のトーラスにエマは気後れ気味に応えるが、客商売が生業の彼は基本的に話し方が上手くて、いつの間にかエマの中にあった躊躇いは跡形もなくなっていた。
「もう一度よく顔を見せて。……どこも苦しくないか?」
あれほど重苦しかった身体のつらさはなく、その代わりのように今は心に穴が空いていた。
だからと言って事情を話したとしてもまた裏切られたら、もう二度と立ち上がれない…そんな気がしてならない。
「大丈夫、しっかり手当してもらったもの」
(大丈夫、大丈夫。こんな
「大丈ばないだろ!あああ泣かないでぇ…」
そう自分に言い聞かせながら笑ったままハラハラと涙を流すエマに、トーラスは慌ててポケットから出したハンカチを宛てた。
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