04
─────肝心のエマはというと、水遣りの最中に出会った丸耳で、つぶらな瞳をしたリス(?)に懐かれていた。
毛玉は大層すっかりエマがお気に入りで、膝でマッタリ寛いでいる。
イリザには昼前には戻るように言いつけられていたが、今は既に正午を過ぎてしまった。
その証拠に日はもう既に中天の半ばまで昇りきり、厚い雲に隠れてしまっている。
イリザの畑の中にいるので迷子ではないものの、約束を破ったこの状況は些か不味いのではないだろうか。
母親気質のイリザのことだ、目一杯に叱られるかもしれない。
「おーい起きてーー…もしかして寝てる?」
ふにっ。そんな効果音が出そうな程に毛皮は厚くふかふかで、肉は弾力に富んで柔らかい。
その愛らしい毛玉は丸耳部分と目と尻尾が黒色で、それ以外は純白でなめらかな手触りの毛皮に覆われている。
脇にそっと指を通して抱き上げるが、毛玉は口周りの長いヒゲをそよがせて気持ちよさげに脱力していた。
(困った。よく寝てるし…起こすには忍びないなあ。それに、早く戻らなきゃ心配かけちゃうよ)
現在滞在しているフェネルト郊外の村、ルフナは隣国グウォーグ王国に接する温暖湿潤な土地だが、常に晴れているわけではない。
ここで雨なんかに降られたら、最悪木の下で雨宿りだ。
「…っ…」
不穏に曇り始めた空を見上げた瞬間、誰かに呼ばれた気がしてエマは毛玉を膝に乗せていることを忘れて立ち上がった。
「ふっぎゃ。……きゅう?」
膝から転げ落ちた毛玉は、小さな手で器用によじ登ってくるとエマの肩に落ち着いた。
よほど驚いたのだろう。無垢などんぐり
「ゴメンゴメン。…いま誰かに呼ばれた気がしたんだけど、気のせいだったみたい」
「んい〜…」
「よしよし…」
慰めるかのように鼻面を擦り付ける毛玉を撫でながら、エマは溜息を吐いた。
最近、こうして独りになると思う事がある。
───今こうして「自分が」他人から必要とされているのは、自分が純血種のへクセだからであって…たぶんそれ以上の理由なんてないのじゃないか?
人であれ魔族であれ、心の成り立ちを嫌というほど知っているエマは、例えどんなに優しくされたとしても「他人との関わり」に懐疑的だった。
果たして、100パーセントの善意など存在するのか?
いや……それは、ないだろうな。
もしも…自分がへクセでなかったら、ハンクはもちろんイリザも温情なんて掛けてくれないだろう。
事象も人の心も、どうせ所詮は等価交換でしかない。
このまま空気に溶けて消えてしまえたら、どんなに楽だろう。
何故そんな事を思ったのか、理由は分からないけれど……最近ずっと「それ」ばかりが胸に詰まって窒息しそうなのだ。
膝を抱えて顔を伏せるエマを追い打つかのように、冷えた夕暮れの風が横殴りにする。
普通、ここまで長く戻らなければ迷子か
『キミさえいれば、俺は他に何も要らない』
…ハンクは確かにあの時そう言った。
捜しにも来ないということはやはり、自分など「その程度」の価値しかないのだ。
彼を少なからず信用していたエマの胸に、ツンとした痺れにも似た悲しみが走った。
もしかしたら、愚かにも「仲間」だと思っていたのは自分だけで、彼らにとっては取るに足らない邪魔者だったのだろうか…。
思えば、ここに来てからイリザはハンクにやけに構いたがった。
反対に自分に対する対応が険のある冷たいものだったのも、邪魔だったからなのかも知れない。
疑問と不信感がストンと落ち着いて、エマは目を見張る。
いやいや──決めつけるのはまだ早い。
ここから自力で戻れない訳ではないので、エマは毛玉を抱いてイリザの家に戻った。
「……あ……」
泥まみれになりながら漸く辿り着いた家のガラス戸の向こうには明かりが灯っていて、イリザが濡れたハンクの頭をタオルで拭いている様子が見えた。
それに…なにか会話を交わしていて、明らかに「自分の存在を除いた二人だけの」和やかな雰囲気だった。
それ以上見ていられなくて、よろけた拍子に靴が脱げる。だがそんなことなど気に留めずに、エマは無表情でイリザの家に背を向けた。
(二人は私が邪魔なんだ!…ここではないどこか遠くに、消えてしまいたい…)
雨足が次第に強さを増すなか、歩き疲れて足が止まるまでエマは歩き続ける。
こんなに叫んでいるのに、痛くて痛くて声が出ない。胸が張り裂けそうだ。
───心臓がズタズタにされたような気分よ。いっそ、死んだ方がマシだわ。
体温が奪われ始め…朦朧としながら、エマは孤独に詰まりゆく心に一筋の涙を流した。
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