04

「大丈夫なのか?万が一、捕まりでもしたら…」


「平気。前に顔を合わせたことがあるけど、あの人達も、私のことは家政婦くらいにしか思ってないわよ。そのヘンは抜かりなくって所かしら」


眉根を寄せて難しい顔をするハンクに、エマは知恵者猫チェシャネコのようにニンマリ笑ってみせる。


『だが、もし何かあったら…』


しかし、言うように巧く事が進めばいいがもし、それが障害にならないという保証もない。

復讐が前提だが、身の安全もしっかり考えてくれなければハンクこちらも大いに困る。


「まァ、ないとは思うけど……その時は宜しくね」


エマは、上機嫌で未だ不満げなハンクの肩を軽く叩き、役を演じるべく表情を引き締める。

エマの纏う雰囲気が豹変した瞬間を、ハンクはしっかりと見逃さなかった。


「じゃ、行ってくる」


「おっ…おいエマっ…まだ話は終わってな…!」


強く冷たい風が巻きあがって前髪を乱し、思わず目を閉じる。くるんと身を翻したかと思った一瞬あと、目を開けると既にエマの姿は傍らから絶ち消えていた。


「ハァ…仕方がない、現場で落ち合うか」


エマが向かったであろう表門の向こうに、ハンクは見当識をずらして一歩、踏み入った。


**


「あ、あのすみません! 私、ここの人に呼ばれてきたんですけど…これ、何があったんですか?!」


エマは、表門の色に同化するように佇んでいるスーツ姿の男に声をかけた。

角刈りの、いかにもという感じの男である。


「なんだテメェ、ここの人間の関係者か!?」


半ば恫喝に近い誰何をする男に不快感を抱きつつ、エマは自身の計画のために猫を被って質問に応えた。


「友人です。紹介で、以前この家で家政婦をしていたこともありましたけど…あの、彼女…何かあったんですか?! 電話があって、慌ててきたらこんな…」


両手で顔を覆い、いかにもショックを受けたようなアドリブをつける。即席の付け焼刃で騙されてくれればいいが…と内心で思いながら様子を窺っていると、しばらく間を措いてから心底辟易したような口調で取り立て屋の青年も溜息をついた。


(案外、簡単に付け焼刃が通用したわね。彼らも、相当煮え湯を飲まされたんだわ…)


「アイツら、直接行っても立て篭もったまま5時間も出てこねぇんで参ってたんだが…お前、確か奴らに呼ばれてるとか言ったな。そうだ…代わりに行ってみるか?」


「っ、会いに行っていいんですか?!」


意外や意外。足止めされるかと思いきや、まさか味方についてくれるとは何とも心強い。


「その代わり、話は手短にな。奴らも油断するから好都合だぜ」


渡りに船とでも言いたいのだろう。

ニヤニヤと笑う男の心理が手に取るようにわかって、エマは内心で悪どくほくそ笑んだ。


「ありがとうございますっ!」


直接働きかけなくとも、意外とすんなり進めたことに内心ほくそ笑みながら、エマは生家の扉に手をかけ――…


「待て」


「なんだハンクか…びっくりしたァ」


ようとした瞬間、やにわに手首を掴まれて心身共に硬直するが、掴んだ相手を見てエマは安堵の溜息を吐いた。


「まったく、急きすぎだ。…話も聞かずに行って。ハァ…まったくお前という奴は。心配させるんじゃない」


傍らには、憮然とした表情のハンクがいた。

走ってきたのだろう。若干、息が乱れている。

彼の云う通り、大分心配をさせたようだ。秀麗な彼の眉間には、すっかり渓谷並みのシワが刻まれていた。


「ごめんなさい…」


「説教は、後で山ほどあるから覚えてろよ?」


「もう、怖い顔しないで? 取り敢えず話は後よ、今はこっち」


「あまり急ぐな、油断を招くぞ」


「…うん、肝に銘じるわ」


掴んでいる手を撫でながら外し微笑むと、ハンクも溜息混じりに苦笑いを浮かべた。


「ああ、やっぱりそうくるかー…」


手にしたドアノブは案の定カギがかかっており、しかも家中のカーテンが締まっていて内部状況を外から確認することはできない。


「あは、馬っ鹿ねぇ」


今になってようやく状況を把握できたようだが、今更どう足掻こうが手遅れに変わりはない。この様子では、おそらく裏口も施錠済みだろう。

エマは、蔑みも露わに嘲笑った。


「これで全面封鎖したつもりなのねぇ…金の亡者の癖に、そういう所に脳が足らないわ」


辛辣な毒舌を発揮するエマは、聞き手ハンクが思わず恐怖を催すほど生き生きしているが、当のエマには一向に動く気配はない。


「エマ?」


「まあ、見てて頂戴よ…」


進まないのかと訊ねるハンクの傍らで、エマは再び知恵者猫のように笑ってみせた。


「おいおい、またなのか…」


魔素を帯びてキラキラ輝く双眸が気まぐれな猫の目のようで…ハンクは再び暴走しようとしているエマに頭痛を禁じえず、思わず頭を押えた。


「だって…ただ行くだけだなんて、ツマラナイでしょ。……さんざ甚振いたぶってくれたんだもの、相応の対価を支払ってもらわないと割に合わないじゃない?」


ぬらりと孔雀色の瞳が一瞬だけ獰猛を宿して光ったのを、ハンクは見逃さなかった。

施錠されて開かないドアノブを握ったまま、エマは一旦、目蓋を閉じることによって物理的な視覚を遮断した。

次の瞬間、見開いた彼女の瞳の色が孔雀色から金色に変わる。


「こんなの、造作もない。壊してやるわ」


細くなめらかな毛先から侵蝕するように、じわじわと紅茶色が衰えてゆく。

力の湧出に伴って髪色はの月光の色を顕わし、撫でる風に艶やかに揺れる。

やがて――冷たい沈黙の中に、かしゃりと微かに錠の外れる音が響いた。


「もういいわハンク。行きましょ…」 


「扉は開いたか?」


「もちろん。開けてみてよ」


ハンクは薦められるままドアノブに手をかけ、回してみると───しっかりがっちり施錠されていた玄関はまるで初めから施錠していなかったかのように、すんなりと開いた。


突破の手順はこうである。

気の一部を飛ばして意識だけで鍵穴から入り込んだエマは、内側から部品もろとも鍵を破壊していたのだ。


「それじゃ、贖ってもらいましょ? 彼女たちが積み重ねてきた“業”に」


エマはシニカルに笑うと、振り向き様に髪を淡い金色から紅茶色に染め上げた。


「戻すのか? 勿体ない」


「大丈夫。これも策の内。終わったらちゃんと戻すから安心して」


エマは、叔母一家が間違いなく認識できるように本来の容姿を再び歪めて嗤う。


「侵入成功、よくやったな。さすがだ」


エマの鮮やかな手腕を目の当たりにしたハンクは、口許に笑みを浮かべながら彼女の頭を撫でた。


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