05
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静かに暮らしたいとは思っていても天候は気紛れで、一晩で重たい牡丹雪を大量に降り積もらせた。
「いやいや。若いのに雪掻きなんて、感心だねい…」
「へ?!…は…はあ、ど…どうも」
北国に暮らす者の冬の宿命…アパート出入口周辺の雪掻きを済ませたエマは、ふいに隣家(と言ってもクソ広い畑を2つ挟んだ先なので結構離れている)に住む大家に声をかけられ目を瞠った。
滅多に周辺住民に関わらず穏やかな余生(?)を過ごしていたのに、まさか声をかけられるなんて思わず、つい歯切れの悪い挨拶が口から滑りでる。
ここは温泉街の外れで、いわゆる鄙びた風情が漂っているド田舎だ。
普段は人の影をあまり見ることはない。
「ウチの孫なんぞ、いっくら尻叩いても一っ度も…したことがなくてなあ、」
「そ、そうなんですね……」
いつもはデイサービスに出かけている時間帯なのに、なぜ今日は…というか今日は居るのだろう。
というか、急に話しかけないで欲しい。これだから年寄りはマイペースで嫌だ。
そろーー…っと隙を窺いながら、エマは逃げるようにして温泉街の中心部へと爪先を向けた。
季節は冬、だからか温泉街中心部は観光客で混雑している。
不特定多数の誰が湯治に来るかも分からないので、なるべく人目につかない場所を歩いていると──。
「てめえ、このクソイヌ!!」
「ぎゃいん!!」
ふいに動物…犬の悲鳴とドスの効いた怒声が聞こえてきて思わず足が止まった。
物陰からそーっと首を伸ばしてみると、近所でもキ〇ガイと有名な饅頭屋の主人が唾を飛ばしながら怒鳴っている。きもい…。
聞こえた悲鳴は、首根っこを掴まれている白犬のものだろう。
可哀想に。首輪をしていないところから見て、たぶんノラだ。
運悪く人影はまばらで、饅頭屋の気弱な女将さんも怖がって奥に引っ込んでしまって、今や八方塞がりだ。
自分は流れ者の身分なので、周辺住民とは「なるべく」波風を立てたくはない。
…ゆえの強い保身が働くが、目の前で繰り広げられている動物虐待を目の当たりにして一気に怒りの感情が膨れ上がり胃のあたりがカッと熱を持つ。
「やめろ!!」
何があろうと、ほぼ無抵抗の動物に虐待を加えるなんて…許せない。目が素通りできなくて、エマは怒りに昂った勢いのまま饅頭屋の主人の前に躍り出た。
「何だオメエは!オメエに関係ねえだろうがっ」
「いや、アンタがいま蹴ったのウチの子ですけど」
「はああ…?!コイツがあんたの犬だってのかい?! だったら躾くらいしっかりしやがれってんだ。…厨房に入り込んで饅頭食い荒らしたんだぞ、その分の金払っとくれ。ほれ早く1980円っ」
…温泉街の肉まんは観光客向けで値段は他よりも高めだが、ぼったくりもいい処───。
だが、変に騒げば角が立つばかりか白犬の身も危険に晒されるだろう。
「お代は支払います、どうもすみませんでした。…ほら帰るよ」
請求された金額を支払うと、白犬を傍に手繰り寄せる。白犬は従順に手繰り寄せられると、いかにも飼い犬らしく尻尾を振った。
どうやら、ちゃんと辻褄を合わせてくれたようだ。
ブツブツ文句を言いながら帰っていく饅頭屋の主人の背中が完全に見えなくなるまで待ってから、エマは袋小路の塀の隙間をすり抜けて近道しながらアパートへと戻った。
「助ける為とはいえ、さっきはウソをついてごめんね…?どうしたのかな、緊張してるの?」
玄関の三和土に突っ立ったまま戸惑っている白犬の様子にエマは双眸を丸め、努めて静かに話しかける。
頑なにアパートへの入室を拒み、ようやくここまで連れてきたのだが「他人の家への立ち入り」を明らかに戸惑う様子は、野生動物の警戒とも元飼い犬の戸惑いとも違っていた。
(────この犬……いや、「彼」は何かが違う)
明らかな人格と知性を感じ取り、エマは屈んで目線の高さを合わせると、手を差し出した。
「グウ…」
「私はエマ。温泉街の片隅に住み着いてる、しがない世捨て人だよ。キミは……ずいぶん遠くから来たんだね」
たぶん彼は犬ではなくオオカミだと…
「とりあえず、よろしく」
魔素が細かいラメのように輝いているエマのヘーゼル色の瞳と、
「……。」
(──微笑んでいても、目の奥までは笑わない。まるで、温度のない青い炎を纏っているようだ。何があったのかは解らない。だが、それほどの強い憎しみを彼女は
白オオカミ・ハンクは、自らを「世捨て人」と名乗った女性を分析しながら胸中で呟いた。
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