由里子と兄貴と僕の三角関係
狗巻
第1話
「私たち、初めて会ってから何年経ったか数えたことある?」
キッチンテーブルに頬杖をついてゆるいウェーブのかかった長い髪を指先でくるくると回していた由里子が唐突に言った。
キッチンからつながるリビングのソファで、大股を開いただらしない姿勢で寛いでいた諒はめんどくさそうな声を上げた。
「あ? そんなの知ったこっちゃねえよ」
諒は最近いつもそうだ。由里子に対して失礼な態度を取るのが僕には許せなかった。
「諒、お前態度悪すぎ。えっと、初めて会ったのは僕が六歳になった春で、今は十六歳だから……あっ」
「そう、ちょうど十年なの!」
由里子は両手を合わせ、大きな茶色い瞳を輝かせて、向かいに座っている僕の顔を見上げた。その無邪気な笑顔を正視できなくて、僕はつい視線を逸らしてしまう。
「もうそんなに経ったんだね」
そっぽを向いたままの僕の態度も気にせず、由里子は昂揚した様子で話を続けた。
「あの頃の謙人はちっちゃくてさ、いかにも弟って感じで可愛かったよね。今じゃこんなに大きく成長しちゃって。あの頃の謙人に戻ってよ」
身長にコンプレックスを持っているらしい由里子は、ジットリとした目で僕を見上げてくる。
「一歳しか変わらないのに姉貴面し過ぎだろ」
手で視線を遮りながらつっけんどんに返すと、由里子は悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。
「謙人くん。キミは一歳差なんて些細なことだと思っているかもしれないけれど、それでも私はこれからも生きている限り、ずっと謙人よりお姉さんのままなんだよ。これは大きな差だね」
ちぇっ、いい気なもんだよ。黙る僕に気を良くした由里子はリビングを振り返った。
「そして諒は、謙人と私のお兄さんのままだね」
「オレに妹はいないはずだが」
和やかな雰囲気を凍り付かせるような冷たい声で諒が答える。
「諒、そんな言い方ないだろ?」
由里子の気持ち、分かってるくせに。彼女を蔑ろにするような態度だけは許せなかった。
由里子は一瞬瞳の奥を揺らがせたが、すぐにフォローするように言う。
「血は繋がってないけれど、私は二人のこと兄弟みたいに思ってるよ」
本当に? 僕はその言葉にも引っかかりを覚える。キミの諒に対する気持ちは、兄弟のそれなのか?
しばらく沈黙が訪れた後、諒はわざとらしく大きな音を立ててソファから立ち上がった。
「オレ、出かけるわ」
「えーっ、もう夜だよ? せっかく三人で食べようと思ってケーキ買ってきたのに。いつ帰ってくるの?」
「お前に教える義理はねえだろ」
にべもなく言い捨てて、諒は部屋を出ていった。大きな音を立てて部屋のドアが閉まる。小さな背中を丸めて由里子は溜め息をついた。
「諒、最近そっけないね。まあいいや、二人で十周年のお祝いしようよ、謙人」
由里子は笑顔を見せると立ち上がって冷蔵庫に歩み寄る。無理に元気に振る舞っていてもその後ろ姿は哀しげで、僕は居たたまれない気持ちになる。
「由里子」
「ん? なあに?」
「諒はやめとけよ」
由里子の肩がびくんと震えた。背中を見せたまま佇む由里子に僕は言葉を連ねる。
「最近あいつの悪い噂を聞くよ。いつも違う女と一緒にいるとか、女の子泣かせてたとか」
「諒はモテるからね。妹としては鼻が高いな」
冗談っぽく言いながらも由里子はこちらを振り返ろうとしない。僕は堪らずに立ち上がって彼女の背中に歩み寄った。
「由里子に対する態度だって褒められたもんじゃない。分かってるだろ? あいつはもう昔の諒じゃないんだよ」
「実の弟のキミがお兄さんの悪口を言うなんて聞き逃せないな。他の誰が悪く言ってても、私達だけは本当の諒のこと理解してあげるべきだよ」
由里子の声は震えている。僕は我に返った。由里子は健気に諒の味方であろうとしているのに、弟の僕が諒を責めるようなことを言ったら、由里子が悲しむ。これは兄貴の為じゃない。由里子のためだ。両手の手の平をぎゅっと握りしめて、言いたいことを堪える。
「……そうだね。兄貴には兄貴の事情があるのかもしれないね」
由里子は安心したように頷いた。
でも、と僕は思う。やっぱり兄貴は由里子には相応しくない。
--続く--
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