セフレが『裕也様専用』とタトゥーを入れてきて重い

Blue Raccoon

短編

俺の家の台所に立ち、鼻歌を交りで料理を作っているのは俺の彼女ーーではなく、友人だ。


 彼女の名前は夏木綾。


 彼女は腰下まである長い黒髪に白く荒れのないまるで処女雪のような肌を持ち、身長は170センチと日本人女子としては高いが、痩せてみえず、均衡の取れた美しいプロポーションをしている。

 さらに目鼻立ちも整っているもんだから、嫁にしたいですか。と聞かれた日本人男児の10人中9人はイエスと答えてしまうだろう。


 そんな綾と俺の関係を簡潔に表すとしたら『セフレ』というのが正しいのだろう。


 「みてみて、これ」


 声の方に顔を向けると先程まで台所にいた綾が下着姿になり、ベットの上で寛いでいた俺の上に跨がっていた。

 料理を作りながらお酒でものんでいたのか、頬はわずかに赤く染まっている。


「これってどれ?」


 綾の手にはこれなるものは存在しない。


「そっちじゃない、こっち。お腹のとこタトゥー入れてみたの」


「へぇ、タトゥー入れたんだ」


 どんなタトゥーを入れたんだろうか。

 綾の腹を上から下、左から右と隅々まで見るがタトゥーが見当たらない。


「え?なくない?タトゥー」


「のんのん。」


 綾は人差し指を左右に振り、その手をショーツにまわす。

 彼女がショーツを1回2回と折り曲げるとそれは姿を現した。


「なっ!?」


 タトゥーを見た瞬間に声を失う。


「ふふふっ。どうしたの?」


 そう言って綾は悪戯っぽく笑うが、それどころではない。


「い、いや、どうしたって、お前」


 綾の下腹部には『裕也様専用』と彫られていた。

 ほんと何を考えているんだろうかこの女。


「どう?所有物感出てる?」


「出てるも何も完全に所有物化してるよ」


「えへへ〜」


 物扱いされて喜ぶとか……

 本当にこの女は深窓の令嬢の様な見た目で何故ここまでアホなのだろうか。


「えへへ、じゃないよ。彼氏できた時どうすんの?」


「私はあなた以外なんにももいらないの」


 え、なんか急に重い。

 どっかの歌詞から盗ってきたような台詞を吐く彼女の目は本気だ。


「えぇ、でもこの前告白したら振ったよね?」


 そうなのだ。

 俺はこの前綾に告白し、断られてる。

 だからこそ彼女の行動に動揺してしまう。


「うん、彼女にはならない」


「裕也には私という存在にあまり縛られてほしく無いんだ」


 申し訳なさそうに綾は目を伏せて俺に言う。


「一応人生初告白だったのに」


「ごめんね……」


「なんか今すごい複雑な気分。もし今後さ、俺に浮気NGな彼女ができたら綾はどうすんの?」


「うーん、彼女がどんな奴か確認して、ちゃんとした良い子だったら裕也の前から消えるかな」


「綾はそれで幸せなの?」 


「うん、私の幸せは裕也が幸せになることだから」


「そ、そうなんだ」


 なんかほんと愛が重いなぁ。

 綾が俺に遠慮をする理由はなんとなく見当がつくが、いつまでもこんな関係を続けるわけにはいかない。


 ピーピー


 電子音が部屋に鳴り響く。


「あ、ご飯炊けたよ。もう食べる?」


「うん。食べよっか」


 


ーー




 私、夏木綾は渡辺裕也のことを愛している。


 いや、愛してるという一言でこの気持ちは語れないかもしれないが、愛してる。


 私はそんじょそこらの女ように好きや愛してるの大安売りはしない。


 この愛を向けるのはこの世でたった1人ーー裕也だけだ。


 私の今回の暴挙、そして彼とのこの関係を説明するためには私の半生を語る必要がある。



 私はごく一般的な家庭に生まれた。

 父はサラリーマンで母は専業主婦。


 両親からは愛されていたと思うし、私も両親のことを愛していた。


 だけどそんな幸せは呆気なく崩れ去ってしまった。

 両親は私が中学2年生の夏に交通事故で死んだ。


 それは突然のことで時間が止まってしまったようだった。

 しかし現実は待ってはくれない、中学生だった私は父方の祖父に引き取られることになった。


「これからよろしくおねがいします」


「……あぁ、あんま邪魔すんなよ」


 初めて祖父の家に行った時の祖父の顔はそれは不機嫌そうなものだった。


 両親と祖父母は昔から仲が悪く、私も2回ほどしか会った記憶がなかった。

 祖母の方は数年前に癌で他界しており、私と祖父との2人きり生活が始まった。

 両親は若くして私を産んだので祖父はまだ50半ば、小さな企業で働いていた。


 祖父は私にとって最後に残された身内。

 せめて少しは仲良くなろうとご飯を一緒に食べようとしたり、学校での話をしたり、仲良くなれるように努力した。

 しかし、その努力はまったく実らなかった。

 それどころか祖父は一層私を嫌そうな目で見るようになった。


 この暮らし始まって一年が過ぎた頃から祖父は仕事を段々と休むようになった。

 賭け事にお金を使うことが増え、さらに柄の悪い人たちと交流をし始めた。


 私はあんな人たちと関わるのをやめて欲しいと懇願したがその願いが聞き入れられることはなかった。


 そして中学3年の冬のある日あれは起こった。

 それは私にとって忘れられない最悪の日。


 高校受験も差し迫る私は、放課後図書室で勉強をしてから帰宅するのが日課となっていた。


 その日も18時過ぎに家に帰った。


「ただいま」


「……あぁ」

 

 いつもはこの時間には帰宅していない祖父が家に居ることに多少の違和感は覚えたが、特段気にすることもなく、私は夕食を作り始める。

 

 夕食を2人分作り終え、祖父の分をお盆に乗せて祖父の部屋へ運び、リビングで食事を取り始めた私は急激に睡魔に襲われ、そのまま意識を手放した。


 次に目が覚めたのは22時を過ぎた頃だった。

 下半身の違和感と身体中がベタベタする感覚から最悪の予感が思い浮かぶ。


 私はすぐに祖父に問い詰めた。

 しつこい私に渋々といった感じで祖父はポツポツと話し始めた。


 祖父はあの柄の悪い人から麻薬を買っていたということ。

 そして薬を売ることと私の体を交換条件にされたということ。


「ふざけないでよ!そんな薬のために、私は、私は……」


 私の慟哭を前にしてもヘラヘラしている祖父。 

 あぁもう全部手遅れなんだと私は呆然とした。


 その日私は風呂場で体が真っ赤になるまで体を擦って擦って擦った。

 洗っても洗っても汚れが落ちてくれなくて涙が出た。

 部屋に戻った私は声を殺して夜通し泣いた。


 だがこの時の私はまだ知らなかった。

 地獄はまだ始まったばかりだったと。


 次の日、柄の悪い男達がまたうちを訪れた。


 部屋に入って来るやいなや1人の男が私に一枚の写真を見せてくる。

 映るのは服がはだけた私とそれを囲む男達。

 男達の中には祖父の姿もあった。

 私は脅された。

 中学3年生の少女にそれに抗う術などなく、その日は意識がある状態で私は何度も犯された。


 私の心が崩れていく音が聞こえた。


 男達は毎週のようにうちへやって来た。

 中には嗜虐趣味を持っている男もいて、体には痣が増えていった。


 地獄は中学を卒業しても終わらなかった。


 高校に入ってからも私の世界は灰色のまま。

 助けて。誰かにそう言うだけでなんとかできたかもしれない。

 だが、恐怖心が私の視野を狭めた。


 そして高校も私の逃げ場所にはなってくれなかった。

 私は男受けする容姿なようで、たくさんの男に告白された。

 それがいけなかった。

 私の事が気に食わない先輩や同級生からの陰湿ないじめが始まってしまったのだ。

 教師も友人も見てみぬふり。

 もう死のうかな。

 そんなことを毎日考えていた高校一年生の秋のある日、席替えが行われた。

 私は窓際から2番目の列の一番後ろの席になった。

 左隣にはある男の子が座った。


 彼の名前は渡辺裕也。


 彼はクラスでは陽キャラと呼ばれる存在だった。

 サッカー部に所属し、友人もそれなりに多く、いつも楽しそうにしている。

 私が欲しくても手に入らないものを持っている彼がとても眩しくみえ、苦手だった。


「よう、今日から隣よろしく」


「……え、えぇ。よろしく」


 隣の席になった翌朝、弾んだ声で彼は私に話しかけてきた。

 一方的に苦手意識を持っていた私は変な返答になってしまったと思う。


 彼はことあるごとに私に話しかけてくるようになった。


 次の日もその次の日も。

 彼は私の反応に良い感情を抱いていなかったかもしれないが、それをおくびにも出さず、毎日のように笑顔で話しかけてくれた。


 彼と話すのは私の予想に反してとても楽しかった。

 どうやら彼は隠れオタクだったらしく、創作物が好きな私と話が合った。

 彼と仲良くなるまでそう時間はかからなかった。

 私は初めて恋をしたのだ。


 2年に上がる頃には、お昼休みに一緒にお弁当を食べるようになり、彼の部活がない放課後には2人で遊ぶようにもなった。


 彼と私は共に理系を選択していたこともあって、3年間ずっと同じクラスだった。

 家の事やいじめの事で悩んでいた私にとって彼と会話する時間は唯一の癒しの時間となっていた。


 そんな彼と私の関係が変化したのは大学受験が差し迫る高校3年の冬だった。


「おい、綾」


 この日私は珍しく祖父に声をかけられた。


「……なに?」


「お前の卒業後に働く場所がきまったぞ」


「……は?どういうこと?私大学に行くつもりなんだけど」


 祖父に言われたことが理解できず、聞き返してしまう。


「ダメだ。それは認められない。それに金もないだろ」


「お金はお母さん達の遺産と奨学金でなんとかするよ」


「あぁ、遺産ならもうないぞ」


 あっけらかんと祖父はそんなことを言った。


「……え?どういうこと?もしかして使ったの?」


「あぁ、まあな。それに金を少しばかりここをやっている人に借りてる」


 そういって祖父は一枚の風俗のチラシを私に見せてきた。

 あぁ、そうか。そういうことか。

 

「お前にはここで働いてもらう。ここまで家にいさせてやったんだ。少しは恩を返せ」


 私は震える手でチラシを受け取り、自分の部屋へ戻った。


 音が聞こえない。

 息もしづらくなってきた。


 私はもう心が壊れてしまった。

 勝手に決められていく未来に何も見い出すことができない。


(もう無理だ)


 私はもう楽になりたかった。

 もう頑張りたくなかった。

 だから、この世界から逃げる選択肢を選んだ。


 遺書は案外すんなりかけた。

 覚悟を決めた私は裸足のままローファーを履き、制服のまま家から出た。


「あ……ゆき……」


 今年初の雪が手に持っていた遺書を濡らす。

 少し皺の入った遺書をポケットに詰め、私は重い足取りで学校へと向かった。

 

 学校に着くと教室の明かり全て消えていて、職員室にだけ明かりが灯っていた。

 職員用の玄関から校舎へ土足で侵入した私は屋上へと向かう。


 屋上から見える街の景色は綺麗だった。

 街の光はまるで星のようで、雪にとても合っていた。

 私はこんな綺麗な街に住んでいたんだ。


(これが最後の景色ならいいか)


 私は18年必死に生きたよ。

 だからもういいよね。


 ローファーを脱いで、裸足になった。


(あ、冷たい)


 コンクリートの冷たさを感じまだ生きているのだと実感した。

 ポケットから遺書を取り出し、風で飛ばされないように床とローファーの間に挟む。


 全て準備は整った。


 もうあとは飛ぶだけだ。


 雪の降る夜空を見上げ深呼吸した。


(来世では結婚とかしてみたいなぁ)


 目尻から溢れ出した涙は止まる所を知らない。


 一歩、また一歩、屋上の端へと足を進めた。


 あと一歩で全てが終わる。


 世界に別れの挨拶をして、飛び降りようとしたその瞬間屋上の扉が勢いよく開いた。

 扉の方に視線を向けるとそこには裕也が息を切らして立っていた。


「よ、よう。こんな夜更けにこんなところでどうしたんだ?」

 

 彼は初めて話した時のような弾む口調で私に問いかけた。


(な、なんで……)


 彼が来てしまった。

 それだけの事で私の決意は揺らいだ。

 

 私は動けなくなり、その場にうずくまって泣くことしかできなくなってしまった。


 彼は一歩ずつ私へと近づいてくる。

 着ていた外套を私にかけた彼は外は寒いからと私の手を引き教室へと向かった。


 教室に入ると彼は一番窓際の一番後ろの席に座り、私はその隣に座った。


 長い沈黙が流れ、カチカチと時計の音だけが教室に響く。

 何分、いや何時間か経っただろうか。

 彼はゆっくりと話し始めた。


「俺がさ、一番最初に話しかけた時のこと覚えてる?」


「……うん」


「実はあれで結構緊張してたんだよね」


「……そうなんだ」


「なんていうかなあの時の綾は儚過ぎて、少し揺さぶっただけで壊れてしまいそうで」


「……そう」


「でも話してみると面白いやつで」


「……うん」


「俺達なんかすぐ仲良くなれたよな」


「……うん」


「はじめの時から綾が何かを抱えていることはわかってた」


「……うん」


「俺は綾とすごく仲良い友達くらいにはなれたと思う」


「……うん」


「俺は綾のためなら命を張る覚悟があるよ。だから俺を頼ってくれないか?」

 

「…………ゔん。いい、のかな、頼っても」


「あたりまえだろ」


「…………ゔん。 あのねーー」


 そうして私は今までのことを洗いざらい彼に話した。

 時には感情的になったり泣いたりした。

 彼は私から目を離さず黙って話を聞いていた。

 正直、彼にはこんな私を知って欲しくなかった。


 話おわり、私と彼は暗い街道を手を繋ぎながら歩いていた。


「寒いな」


「……うん」


「今日これからどうする?」


「……家には帰りたくない」


「そっか。じゃあうち来るか?」


「…………うん」


 その日私は初めて男の子の家に泊まった。

 彼の家は二駅離れた住宅街にあって、一人暮らしなのに大きなマンションだった。

 お風呂上がりは着替えを持っていなかったのでシャツを借りた。

 これが噂の彼シャツというやつなのだろうか。


 その夜はこれからのことを彼と話し合た。


 日付を超えたあたりでそろそろ寝ようかと彼が明かりを消した。


 暗闇に紛れながら私は明日からのことを思い、不安に押しつぶされそうになった。

 安心するために何かに縋りたかった。

 何かと明確なつながりを感じたかった。

 だからその夜、彼に夜這いをかけてしまった。


 この夜、彼と私の関係は友達から『セフレ』へと変化した。




ーー



 

 次の日からの1週間でほとんど全てが終わった。


 いじめの方は授業もほぼ終わっていたので私が高校に行かないということで終わった。

 その後、いつの間にか祖父とあの半グレ達はは逮捕されていた。

 男達のスマホやパソコンに入ってる画像や動画には私以外も被害者がいたらしく、警察が全て処理してくれることになった。

 どうやら半グレの頭領はどこかから情報を先に得ていたらしく逃げられたてしまったらしいが顔が割れていたため、指名手配されるそうだ。

 祖父がサラ金で私名義で借りていたお金も裕也が肩代わりしてくれることになった。


 さらに裕也はアパートの鍵を私に手渡し、


「あの家は嫌でしょ?お金のことはとりあえずはいいよ。俺お金持ちだし。受験近いしお互い勉強頑張ろ」


 って。

 どんどん、どんどん裕也への借りが増えていく。

 


 それから数週間経ち、事件のことも少しずつ記憶から薄れていたそんなある日、私達は受験お疲れ様会を家でしようと朝から買い出しデートに来ていた。

 

「やっと受験終わったね」


「そうね。大変だった」


「受かってるかなぁ?」


「受かってることを祈りたい」


「来年は一緒の大学通えるといいね」


「ほんとだな。…………あれ?さっきのお店にスマホ置いてきたっぽい。すぐ取ってからここら辺で待っといて」


「わかったー」

 

 そうしてベンチで裕也をまちながらながらスマホ小説を読んでいると誰かに見られている感覚をおぼえた。

 視線を感じた方向に目を向けるとフードを被った生気のない男が信号の向こうからこちらを静かに睨んでた。

 男は私と目が合うとニヤっと笑いポケットから包丁の様な刃物を取り出す。


 ヤバいと心が警鐘を鳴らし男から逃げるように走る。

 

(はぁ、はぁ、どうしよ。なんとかしないと)


 焦燥感に駆られ、なかなか思考がまとまらない。


(やだ、死にたくない、死にたくないよ)


 必死に走るが、足音は段々と近づいてくる。


 ドンッ


 後ろから押されたような衝撃を受けた。


(もうだめっぽいや。ごめんね、裕也。…………あれ?)

 

 痛みが、伝わってっこない。

 おかしいと思い、恐る恐る振り返ると私と男の間に盾になるように裕也が佇んでいた。

 目線を下げると裕也の腹部に包丁が刺さっている。


「はぁ、はぁ、はぁ……俺の綾に手ぇ挙げてんじゃねぇ!」


 そう叫んだ裕也は持っていた石で男の側頭部を思い切り殴りつけた。

 思い足取りで彼は倒れた男の方へ近寄っていく。

 そして男の意識がない事を確認すると力が抜けたように仰向けに倒れた。


「ゆう、や?あ、 あぁ、あぁぁぁぁ。裕也!裕也!」


 我に帰った私は裕也の元に駆け寄った。

 何度も何度も彼の名前を呼ぶが彼に反応がない。


「どうしよう、血が、血が止まらない、全然止まらないよ……」


 押さえつけても溢れ出てくる裕也の血で私の白いセーターは真っ赤に染め上がっていた。


 騒ぎを聞きつけた通行人の通報したのか救急車がすぐ到着し、裕也が運び込まれていく。

 私も同乗したが裕也の手をただ握ることしかできない。


 裕也が病院に到着した後、私は祈るように待合室で手術が終わるのを待っていた。


『俺は綾のためなら命を張る覚悟があるよ。だから俺を頼ってくれないか?』

 

 教室で彼に言われた言葉が頭から離れない。

 

 彼は偽りなく私を守るために命をかけてくれた。

 彼がいなくなってしまったらどうしよう。

 そんな最悪の想像がよぎる。


 彼の手術が終わった頃には日が暮れていた。

 心拍、脈拍共に安定して、今の所命に別状はないが血が出過ぎたせいで危険な状態なのには変わりないらしい。


 私は夜通し彼のそばを離れなかった。

 朝になっても裕也の目は覚めない。


 だけど私がここで折れてしまってはダメなのだ。

 裕也の手を握りながら聞こえているかもわからない裕也に話しかけ続ける。

 今までの感謝。

 それにこれからの未来のこと。

 言葉を紡ぎながら思いを伝える。


 しばらくして指が動いた気がした。


「裕也!裕也!」


「……あ、あれ?綾?」


「あぁぁ。よかった、よがっだよぉ〜。あ、ナースコール。ナースコールしなきゃ」


 目覚めた裕也に抱きつきながら私は安堵で涙した。

 医者の検査が終わってからも抱きつき続けた。


「よしよし、落ち着いた?一応怪我人だからね俺」


「あ、あぁそうだった、ごめん」


 目を覚ましたばかりの裕也に慰められ、冷静さを取り戻す。


「俺、どれくらい寝てた?」


「1日くらい」


「そっか。あの男はどうなった?」


「…………」

 

 私は俯いて首を横に振る。

 刑事さんに事情聴取の時聞いたが、やはりあの男は半グレの頭領の男だった。

 あの後、男も病院に搬送されたそうだが亡くなったそうだ。

 

「……そうか」


「……裕也のせいじゃないよ。ぜんぶ、ぜんぶ私がのせいだから」 


 正当防衛は認められたが、裕也は人を殺してしまった。

 私のせいで裕也は背負わなくて良い業を背負ってしまった。 


「綾を守れてよかったよ」


「うぅ……ごめん、ほんとごめんね……」


 彼は文字通り命をかけてくれた。

 こんなことされて惚れるなと言う方が酷だろう。

 もう彼に何度惚れたかわからない。


 そんな彼に私は何か返せるものがあるのだろうか。

 いや、そうじゃない。

 返せるものがほとんどなかったとしても、私は彼の為に生きよう。


 この日私の決意は揺るぎないものになった。




ーー




 私たちが大学に入学してからそろそろ3年が過ぎ、就活が始まろうとしていた。


 そんなある日、私がいつものように裕也の家で料理をしながらほろ酔いを飲んでいると裕也が私に話しかけてきた。


 「ねぇ綾、そろそろ就活も始まるし、俺たちの関係をはっきりさせたいと思うんだ」


 「……うん」

 

 「簡潔に言うね。好きです。彼女になってくれませんか」


 裕也から告白された。

 それだけで天にも昇る気持ちだった。

 好きな人と両思いだったというだけでここまで嬉しい気持ちになれるとは思わなかった。


 是非よろしくお願いします。そう即答したい。


 だけど私自身がそれをゆるさなかった。


 私と裕也は結ばれてはいけない。

 彼にはまだ何も返せていない。


 それに裕也は優しいし、イケメンだし、筋肉もすごい。

 その上中学の頃からネットビジネスを成功させていて、大学生にも関わらずかなり稼いでいる。

 大学でも何回も告白されたという話を聞いたこともある。


 だから、思ってしまう。

 いずれ裕也には色んな男に穢された私なんかよりも相応しい人がきっと現れる。

 そしてきっと私はその人と裕也の関係の枷となってしまうだろう。


 だから私は自分の心に蓋をし答える。


「ごめん、それは無理かな」


「……そっか」


 この裕也の悲しそうな顔はきっと忘れられない。


「ほんとに、ごめんね」

 

 これで良い。

 そう自分に言い聞かせる。


 気不味くなった私はそのままマンションを出て自分のアパートに帰り、その後少し泣いた。


 それから数日、裕也の家に行かない日が続いた。


 ベットの上でテレビを見ながら私は考えた。

 あのままでは裕也の気持ちを一方的に受け取っただけで、私の気持ちは伝えられていないんじゃないだろうか。


 自分から振っておいて何を言っているんだと思うが、私のこの想いをちゃんと伝えたい。

 そんな乙女心が私に芽生えた。


 それからの私の行動は早かったと思う。

 どうやったらこの想いを最大限伝えられるか悩に悩んだ。

 きっとこの想いは言葉だけでは収まりきらない。


 1週間ほど悩んで、どうするか未だ決められない私は気分転換にテレビをつけた。

 

 たまたま付けたチャンネルではバライティ番組がやっていた。

 話題は恋人たちが刻む愛のタトゥー。

 昨今のカップルは愛の誓いや恋人の名前のタトゥーを入れることがあるそうだ。


 私はこれだ!と思った。


 言葉だけでは足りないのなら私の体に刻めばいい。


 ちょっと重いかななんて思ったけど、重いくらいが丁度良いよね!


 思い立ったが吉日。

 私はすぐにタトゥースタジオに予約を入れたーー





ーー





 カーテンの隙間から朝日が差し込み室温が上がり始める。

 時刻は午前6時半。

 目が覚めてしまった俺は活動し始める気も起きず、綾の寝顔を観察する。


 すると綾が目を覚まし俺と目が合う。


「……おはよ。どうしたの?」


「いや、綾の寝顔観察してただけ」


「どうだった?」


「相変わらず綺麗な面してるよ」


「んふふ、ありがと」


 俺の顔を見て綾はそう言って微笑む。


「なぁ、タトゥーのことなんだけど」


「ん?これ?」


 綾は下腹部を撫でながら首を傾げる。


「うん、そのタトゥーなんで入れたのかなと思って」


「……しりたい?」


「かなり」


「うーん。そっかぁ」


 綾はしばらく悩んでから口を開いた。


「これはね私が生きている間に伝えきれないだろう裕也への思いを掘り込んだ結果かな」


「うん。あんまわかんねぇや」


「それでいいよ」


「綾はさ、俺のこと好き?」


「うん、愛してるよ」


「……そっか」


「……ん」


 そっと彼女に口づけをする。


 俺も覚悟を決めなきゃな。











 その日、俺はタトゥースタジオとジュエリーショップに予約を入れた。

 

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