第12話 危険な香辛料

 視線が金属トレイに載る黒い果実に止まる。



「料理長、あの金属のトレイに載る黒い果実は一体? ずいぶんとたくさんあるようですが?」

「え? ああ、あれもザディラ様がダルホルンに持ち込まれた香辛料です。名前はメニセル。ですが、これにはあまり使い道がなくて」

「使い道がない?」


「メニセルは磨り潰してお湯を注ぎ、お茶にして楽しむくらいしかできないもので余ってしまい」

「お茶にすると美味しいんですの?」

「人を選ぶ味ですね。屋敷内で好んで召し上がるのはアズール様だけですから」

「それで余っているわけですか。ふふ、ならばアズールにはお腹がはち切れんばかりに大量に飲んでもらわないといけませんわね」


 冗談のつもりで悪戯っぽく声を跳ねて料理長に返す。

 しかし、料理長は顔を曇らせてこう答えてきた。

「いえ、メニセルは大量に摂取するとお腹を壊しますから、それも無理でして」

「あら、そうですの?」

 大量に摂取するとお腹を壊す――甘味料で有名なキシリトールの副作用みたいなものだろうか?

 あれも摂取し過ぎるとお腹がゆるゆるになる。


 料理長はさらに深刻そうな表情を見せて言葉を続けた。



「おまけに……」


 料理長はトレイに入ったメニセルの中からいくつか選び抜いてこちらへ見せてくる。


「果実のへたの葉の部分を見てください。通常は五枚あるんですが、これは三枚」

「たしかに三枚しかありませんわね」

「これは熟した証拠で、こうなると摂取量によっては命の危険性が」

「それはまた……」



 ナツメグのようなものか? ナツメグも大量に摂取すると呼吸困難、めまい、幻覚、嘔吐などの症状を表し、最悪の場合、死に至る。

 メニセル――摂取量を誤ると、熟する前はお腹を下し、熟すると死に至る香辛料……。



「なるほど、扱いづらい食材ですわね」

「ええ、おまけに一度熟すると腐っても枯れても毒性は消えない代物で、さらに時間が経てば経つほど毒性が増しますし」

「ますます厄介で危険な代物ですわね。熟したものを厨房に置いていても大丈夫なのですか?」


「よろしくはありませんね。実は先程まで片付けをしていまして、その際に廃棄するつもりでここに置いていたんです」

「なるほど、それをわたくしがお邪魔してしまったわけですわね」

「いえ、そのようなつもりでお伝えしたわけでは……」


「失礼、今のはこちらの言葉選びが悪かっただけですわ。だから気になさらないで。それよりもそちらのメニセルはなるべく早く廃棄した方が良いでしょう」

「そうですね。ルーレン!」

「は、はい!」


 名を呼ばれたルーレンはトレイに入っていた黒い果実メニセルを青いゴミ箱に捨てて、それを持ち上げる。

「それでは、ゴミ捨て場に運んでおきます」


 そう言って、彼女は厨房から出ていこうとするのだが――俺は頭を捻る。

「どうして、ルーレンに? 厨房の仕事ではありませんの?」

「え? 普段から生ゴミやああいった危険物はドワーフのルーレンの仕事ですが?」



 料理長は俺を見て何を疑問に抱いているのだろうという態度を表す。

 それは他の料理人も同じ。

 この雰囲気から、ドワーフであるルーレンに汚な仕事を押し付けていることは当たり前であり、疑問を挟む余地のない行為のようだ。


(差別意識すらない差別か。クソみたいな話だな)

 しかし今、このことに突っ込んでも余計な時間を取られるだけ。

 まずは盛り付けが終わった料理を届けないと。

 

 ルーレンは自分の背丈の半分はある青い円柱状の木製のゴミ箱を手にして歩く。

 中身は黒い果実メニセルの他に生ゴミなどで満載。

 相当重いはずだが、彼女は苦も無く持ち上げている。

 ドワーフという種族は力持ちだと聞いていたが本当のようだ。

 

 彼女は屋敷ではなく外へ通じるドアから出る。

 そこに料理長の大声が飛ぶ。


「ルーレン! 右回りだぞ!!」

「はい、マギーさんがいませんから大丈夫です!」


 ルーレンの身体は初めから右に向いていたが、今のは念のための注意ようだ。

 そのルーレンは思い出したかのように俺へ声を掛けてくる。


「あ、そうでした! シオンお嬢様、不浄な物を取り扱ったため私は食堂へ戻ることはできません。申し訳ございません」

「……ええ、そうですわね。良い判断だわ。わかりました、こちらは私一人で十分です。役目を全うしなさい」

「はい!」



 元気よく返事をして、彼女は右方向へ姿を消していった。

 俺は料理長に問い掛ける。


「料理長、左だと何か問題でも?」

「え? それはお屋敷の中庭を横切ってしまいますから」

「中庭?」


「ゴミ捨て場は中庭を挟み、さらに蔵を挟んだ先にあるんですよ。厨房から出て左に向かい、すぐまた左へ曲がれば中庭に出ます。そこを横切るとゴミ捨て場への近道となりますが、中庭はお屋敷の方々が使用することが多いので。また、来客の方がいらっしゃったりするので、使用人はなるべく通らないようにしているんです」


「だから遠回りになろうとも右側から?」

「ええ、屋敷をぐるりと回る形になりますので、かなり遠回りになりますが」

「なるほど、その中庭は主に誰が利用しているんですの?」


「早朝は旦那様が。昼前はザディラ様。昼から午後に掛けてはアズール様ですね」


「時間帯は違えど、現在屋敷にいる家族の半数が利用しているわけですか」

「今は誰もいませんが時間帯によってはお屋敷の方々の邪魔をしてしまいますので、普段から習慣づけさせております。それでも遠回りを嫌がり、つい中庭を横切る者もいまして……主にマギーですが」


「マギー? 先ほど、ルーレンが口にした人物の名ですわね。何者でして?」


「アズール様のメイドです」

「あの、真っ赤な長い髪を持つふてぶてしいメイドのことですか?」

「ええ、あの子は何度怒られても全然態度が変わらなくて、誰もが諦めているんですよ。私だけは顔を合わせるたびに注意してますがね。ですがまぁ、そのふてぶてしさのおかげでアズール様のお付きが叶うのでしょうが」


「え、どうしてふてぶてしいとアズールのお付きが可能になりまして?」



 このように問うと、料理長は口元を引き締めて眉を折った。

 使用人として口に出しにくいことのようだ。

 彼は代わりにこう切り返す。


「あの~、失礼ながら、シオン様もご存じな話では? 中庭のことも含め?」

「あら、事情を聞いていないのですか? わたくしは崖から落ちたショックで絶賛記憶喪失中なんですのよ」

「あ、申し訳ございません。しっかり伝えられております。失念しておりました」


 

 料理長はぺこりと頭を下げる。

 普通は失念するような事情じゃないと思うが……シオンという立場がどういうものだったかわかる。

 それらはこれから変えていくとしよう。

 彼らに『わたくし』という存在が決して舐めたり見下せる相手ではないと……。


 俺は盛り付けの終えた料理へ瞳を動かし、料理人と使用人に命じる。

「さぁ、料理を運びなさい。お父様方を驚かせてあげましょう」

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