5 びっくり箱
オルランド殿下は時折やって来て、私の進捗状況を見てあちこち連れ回した。
ボートに乗ろうと誘われた時には睨みつけたけれど「大丈夫」と押し切られた。彼は名誉挽回がしたかったらしい。紳士に振舞った。風は凪いで空は青く湖は空の色を映してどこまでも澄んでいた。
ニコニコと笑顔になった私を連れて満足そうに歩く。
人の集まる広場はたいそう賑やかで、そぞろ歩きを楽しんだ。
広場の一角に紳士たちが集まって何やら騒がしい。見ると踊り子達がいて音楽に合わせて踊っているのだ。一斉にスカートの裾を持ち上げて右に左に揺らす。スカートの中は襞が一杯で、下着のドロワーズから素足が覗いていた。
早いリズムの面白そうなダンス。紳士方がはやし立てる。目が踊り子の足に釘付けだわ。殿下がコホンと咳をして私を連れてそこから遠ざかる。
しばらく私の頭はその時の早いリズムに占領された。
教師に注意されたり、成績が振るわなくて落ち込んだ時も、刺繍が上手く出来て褒められた時も、あのステップで足を振り上げる。そうこの辺りでジャンプだわ。
くるくる回って飛んだら、丁度、オルランド殿下が来たところだった。彼は開いたドアの向こうで目を丸くしていた。
「君はお転婆だったんだね」
「そういう訳でもないのですけど、お転婆はお嫌いですか?」
私は今更言い訳もならなくて開き直った。
「いや、ただの泣き虫じゃなかったんだね。この前のアレが気に入ったのかい?」
「初めて見ました。あんな風に自由に動いて、手も足も」
そう心までも──。
「ダンスは好きなのか?」
「はい」
「じゃあバレエを見に行こうか」
バレエには興味があったけれど、小さな頃に習いたいとお願いしたらダメと言われてそれっきりだった。
何だかこの国に来てから色んなびっくり箱が開くのよ。
それは私の性格だったり、新しい開けた世界だったり、目の前にいる王子様だったり、彼に対する感情だったり──。
そうね、魔法みたいに彼が手を差し出すと新しい世界が広がるんだわ。
そして次にオルランド殿下が手を広げた先に待っていたのは──。
殿下に贈られたのは淡いブルーのオーガンジーに青い小花の刺繍の入ったドレスで、胸から袖はレースでふんわりと透かして、結い上げた髪に青と金のピンを散らし、思いっきり粧し込んで、テールコート姿の殿下にエスコートされ王立劇場に降り立った。
劇場の豪華な控室でこの国の王太子夫妻に紹介されてワインを頂く。お二人とも二十歳を幾つも過ぎていないお歳で、オルランド殿下はこの国に留学してお二人と仲良くなったという。王太子妃は黒髪を真ん中で分け、耳の横に縦ロールを幾つも作ったマドンナのような方であった。
「まあ、あなたがオルランド殿下の思い人ですのね」
扇を広げてコロコロと笑う。
「とても可愛い方ね。でも、あまり泣かせてはいけないわ」
「それは時と場所に寄るだろう」
「まあ、おほほ……」
この方達は何を言っているのだろう、意味が分からない。オルランド殿下を見るがニヤリと笑っただけだ。
正面に舞台が見えるボックス席で、この国の王太子夫妻と四人で談笑しながら観る。ここは舞台より観客の目が注がれる場所であった。隣に王族がいれば尚更だった。オペラグラスで舞台ではなくこちらを見る観客。幕間に挨拶に来るこの国の貴族たち。
幻想的なシルフィードがひらひらしている内に舞台は終わってしまった。
帰りの馬車の中でどうにも不安になって聞いた。
「あの、オルランド殿下。わたくしでいいの?」
「大丈夫、君は彼らに気に入られたようだ」
「そうなのですか?」
びっくりしている内に終わってしまったのだけれど。
何も分からなくて目を白黒していたのだけれど。
「怖くないよ、セラフィ」
そう言って殿下は私の手を取って両手で包んだ。
あの時と同じ言葉──。
目の前に鉄の兜をかぶった沢山の人達。それは見知らぬ人達だろうか。殿下の魔法で彼らは兜を上げて顔を見せてくれる。色んな顔が現れる。好奇心、へつらい、おべっか、嫉妬、羨望、決して好意ばかりではないけれど、そう、マリアに比べればどうってことはなかった。
私は殿下の手を両手で握り返し、必死で笑顔を作って頷いて見せた。殿下は吹き出しそうな顔をして私を抱きしめた。
そうして抱きしめたままで耳に囁く。
「秋に王家の夜会で婚約発表をする。春の卒業と同時に結婚だ」
抱き締められたまま殿下を見上げる。
「それは決まった事なのですか?」
「君が思った以上に優秀だから決まった。私が強引に推し進めるまでもない」
「え、強引にって?」
「そっちが引っかかるのかい? 私は君が可愛くて愛しくて今すぐ食べて仕舞いたいくらいなんだよ」
「優秀というのも引っかかりますが」
自由でおおらかなこの国はのんびりした私には合っていた。優秀な教師陣も侍女も護衛の人々も、私を守り引き上げ導いてくれた。
「殿下がお付けになった方々が優秀なのです」
「彼らに認められた君も優秀なんだ」
まだ首を傾げる私の顎を持ち上げて殿下は軽くキスをする。
その後すぐに私たちの婚約は正式に発表された。
といっても私はウルビーノ公爵令嬢エウジェニア・セラフィーナ・モンテフェルトロという長ったらしい名前になっていて、新聞に出たのは公爵令嬢エウジェニアという名前とごてごてと飾り立てた絵姿だけだったけれど。
* * *
夏休みにやっと許可が出て実家に帰った。三日間実家で化粧もせず髪も結わず、普段着でだらりと過ごした。
「セラフィ、いつもそんな格好で居るんじゃないでしょうね」
流石に母が心配する。
「この頃、物騒になったのよ。若い娘を狙った犯罪があったりするし」
「大丈夫よ、お母様。今だけ、どこにも行きませんから、ね」
そう言って母に甘えると仕方のない子ねと許して下さった。
「セラフィごめんなさいね。あの人は一番弱い者を狙って攻撃するから。あなたを守らないといけないのに、私も恐ろしかった」
「お母様」
それはもしかして伯母の事だろうか。
「こんなに明るくなって、こんなに綺麗になって、あの人達が居ないとこんなにも違うのね」
「奥様」
侍女が呼びに来る。
「ごめんなさいね。どうしても出かけないと、誰かに来てもらう?」
「いいえ大丈夫よ。どこにも行きませんわ」
「そう、直ぐに帰ってくるわ」
母は心配性になったのかと思ったけれど、その後、マリアが突然遊びに来た。
マリア。得体のしれない何か。悪感情の塊のような。彼女に会うと私は委縮し諦め全てを放棄する。昔から敵わなくて。
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