第一章 扉を開ければ違世界
(↑細かいですが、｢違世界」=「いせかい｣。タイトルのための造語なので軽く流してください。序章のような一章になってます、一だけ長いです。)
「今から考えると、異変は電気がチカッチカッと明滅した事だったかもしれません……。取り付けたばかりのLED電球だったので、妙だなと……」
俯きながら話し始める男性客を、
膝においた両手はぎこちなく握りしめられ、顔色もくすんだように悪い。
「変だとは思ったんですけど……それが何日も続くので、一応電球を取り替えまして……でもそれからも、週に一度は必ず明滅するようになって……、業者の方々にも調べて頂いたのですが、みな『全く異常は無い』と仰るばかりで……」
──対して。沈鬱に語られる話を黙って聞いているのが、男性の対面のソファーに座る青年。
店主、
彼に会った人は、そのほとんどが彼を見返す。
そのうえで何よりも視線を集めるのは、圧倒的な美貌だ。
切れ長の瞳と端整な顔立ちは、ともすればきつい印象を与えそうだが、繊細さをあわせ持っている。
黒ずくめの服装がよりそれを引き立たせていた。
正直にいうと美貌という言葉ではいまいちしっくりこないものなのだが、今の拓人には表現の持ち合わせがない。
もっとも、此処に来る人は不安げだったり追い込まれていたりするのが大半なので、そのことをわざわざ口にする人はいないのだけど。
男性の話は続いた。
「今も、電気はおかしいままで……そのうち、部屋の中で気配みたいなものを感じるようになったんです……。誰か、人の気配のような……。何かじっと居る感じが……。でも俺霊感とか無いっていうか、それ迄何か感じたり見えたり体験した事も無かったんで、ちょっとそれに敏感になってるだけだろうなって思ってたんですよ……仕事の疲れだろうなって。……でも…………」
下ばかり向いていた男性の顔が、少しだけ動く。
「……一週間前。なかなか寝つけなくて、起きたことがありまして……たしか、三時半頃でした……それまでも色々気になって寝不足続きではあったんですけど……その時は、ちょっと何か飲もうかってキッチンに立って……その……電気を点けた、瞬間ですよ。一瞬に……なんとなく上向いた……天井に……、巨大な人間みたいなのが張り付いてたんですよ」
ごくりと、拓人は思わず唾を呑んだ。
男性のくっきりと
「本当なんです！ これ嘘じゃないんですよ……！ 頭の
彼の顔がますます強張っていく。
「後々彼女に……あっ、付き合っている彼女がいるんですけど、それで……何気なくソレのこと話してみたんですよ、変な夢見てさ、という感じで…………そうしたら、『えっ、タカくんも？』って……実は彼女もソレを目撃してたらしくて……あっ、タカくんてのは俺です」
がくりと
「それから……電気のだけじゃなくて、変なモノまで度々目にするようになって……。それとなく調べてみたんですけれど、別段事故物件ではないらしく……。とはいえ、あんまり問い詰められないじゃないですか、悪質なクレーマーと思われそうで……。今は俺も彼女も、友人宅とかでお世話になって……でも戻ってみると、やっぱりおかしいんですよ、居るんですよ、見えるんです……」
両手でぐしゃりと髪を掴んで、
「……あの部屋……やっぱり何かに取り憑かれてるんでしょうか。それとも俺が取り憑かれている？ 俺がおかしくなってるんでしょうか？ さっぱり原因も何も分からなくて──もうどうすれば良いのか……」
「……その不可解な事は」と、初めて藤邑さんが口を挟んだ。ほんの少し低くて、けれど取り立てて感情を滲ませない透明な声だ。
「あなた方の御住居の中だけで起こっているという訳ですね。行く先々など──例えば職場では起きない？」
「……ああ、そうですね……。見たこともありませんし……彼女からも何も……」
「御部屋でのみ、恋人さんも貴方と同じものをはっきりと見た」
「はい……」
それだけ訊ねると、藤邑さんは再び黙った。少しの合間何事か考える様な沈黙をおいて、顔を上げた。
「分かりました。お引き受けしましょう」
「……ほっ、本当ですか！ どうにかできるということですよね！？」
「最初に説明しました通りお金は要りません。こちらは事態の解決が出来ればそれで良いので。では、実際に現場となる御部屋に伺いたいのですが、都合のよろしい日は
「……即日でも宜しいですか？」
「本日ですね。良いですよ。ではその予定で」
「あの……彼女とかが居ない方がいいってのは……」
「安全の為なので」
藤邑さんは淀みなく応える。
「みな無事なのが良いですから」
「……、……」
一ミリもにこりともしなかった。
その綺麗な顔で淡々と言い切られるのは物凄く迫力があった。
にこりとされても困る
「……」
男性は沈黙だけを返していた。
「では、こちらの方で準備をしますので、少々お待ち下さい」
男性が席を外し。拓人はテーブルのカップを片付けながら藤邑さんにそっと、
「アタリ？」
「アタリだろうね。話を聞く限り、影響は広範囲化も深刻化の様子も見られないから、『断章』のレベルとしては低いものなのかも」
「あれで深刻化してないのかぁ……」
「とはいえ長引けば事態の悪化は必至だし、低レベルでも十分死の危険はあるからね。
──それじゃあ、行こうか」
＊＊＊
店から十五分程離れた場所にある、築数年だろう五階建てのマンション。その階を一番上まで上がり、
「……ここです」
二部屋過ぎたところで立ち止まり、青崎さんが鍵を開けた。
藤邑さんはそのドアを見ていたが、表情に変化はあらわれなかった。｢──始めますか」と独り言の様に言い、青崎さんがドアを開けようとするのを
振り返ると、
「貴方は此処で待っていてください」
指で示す。
「でなければ命の保障はできませんので」
さらりと、またも言い切った。青崎さんの顔が引き攣り、次いで、あれ？ と言うように拓人を見た。藤邑さんの横に立つ拓人を。
「終わったら戻って来ます」
「……此処に居れば安全、ということですよね？」
「そうです」
きっぱりと応えて、ドアへと向き直る。
そして藤邑さんがドアを開けた。
バタン──と後ろでドアが閉まる。
入ったところで、二人は立ち止まっていた。
「……あれ？」
拓人は思わず呟く。
そこは玄関ではなくなっていた。
ましてや部屋でもない。
1DKと聞いてはいたが──
今目の前に広がっているのは、外観に不釣り合いなほどに長い廊下だった。
天井の高さも幅も奥行きも本来とまるで異なる、何処かの屋敷の中かと
そこが部屋だとは、いや、だったとは、到底信じられないくらい、異様な光景だった。
「大分侵蝕してるねぇ……」
慣れた様子で、藤邑さんが冷静に眺める。
「こうなるとわざわざ音漏れや物理的な破壊の被害は心配しなくて良さそうだ」
おもむろに、一歩だけ前に出る。｢じゃあ──やりますか」と左手を差し出し、すっと小さく息を吸うと、
「〈初めに
──ふわりと、何処からともなく一冊の本が手の上に現れた。
黒い布張りの装丁の本。
藤邑さんが「力」を使うための重要なものだ。
それを手に収めると、
「拓人は此処に居てね。『断章』の影響も拡がりつつあるから」
「分かった」
「此処と外には被害が及ばないよう念のための結界張るよ」
「うん。……気を付けてね」
微笑みながらひらりと右手を振った藤邑さんは、廊下の奥へと歩きだした。
……相変わらず、いつ力使ったのか分からん。
さして周囲に気を払わず、暗い廊下を歩んだ。
何処にも明かりとなるものが見当たらない。窓も無い。別の部屋へと通じるドアも存在しない。
突き当たり。通路と同じく木づくりの壁となっていて、つまりは行き止まりなのだが、藤邑は左横を向いた。
「おやおや」
言葉と裏腹に、淡泊な声音。
上へと続く階段があった。
この侵蝕具合……あの依頼者がこちらのもとへ来るのがもう少し遅ければ、彼の意識はなかっただろう。永遠に目覚めないという意味で。
その本来あり得ない階段を、
『断章』の気配は上階からが濃い。
足をのせる度にぎしぎしと軋む階段は二階迄で途絶え、そこにも廊下がのびていた。横たわる暗闇や一つもドアの無いところなど様相は一階と同じ。
──先は、何処へ繋がっているのか、左に折れていた。
廊下の半ばで立ち止まる。
「……此処で良いかな」
声に応えるかのように。
掌の上の本が、ひとりでにページを捲らせた。
ぺら、ぺら、と緩やかに流れていく。
しかし、廊下には何の変わりもなかった。異常な程に長い通路が闇の中にのびているだけ。
「『──彼はいつの間にか姿を消していた。』」
閉ざされた様な無音。──音が聞こえないのではなく、しない。
ページはまだ捲れていた。
「『所在なげに佇むわたしの前に、その廊下は冷
たく無機質に伸びていた。』」
異変はない。
「『僅かの光も入らぬ古びた壁は、わたしを取り
囲む為にあるかのようで落ち着かない。
じっとこちらを監視しているようだ。
誰かが見ている気がする。
そもそも姿だけの見える闇などどういう事
か？
何者かがこの空間を作り出しているかのよう
な違和感だ──。』」
不意に、ページが止まった。
異変はない、
「────────────────来た」
視線の先。音が聞こえ始めていた。
、
ダ、
ダ、ダ、
ダダダダダッ
力任せに叩きつけるような只々暴力的な音が、振動とともに近付いてくる。
直後、曲がりから出てきたのは巨大な赤ん坊だった。通路を埋め尽くさんばかりの巨体が、天井を壁をと異常な速さで這い迫る。
その間三秒。
だが、こちらも既に動いていた。
本の背に手を添え、ページを下へ。それで指し示すかのように前へと腕をのばし。
「〈止まれ〉」
告げた。
──その通りになる。
眼前数センチのところでバァン！ と音が響いた。
赤子とこちらを隔てる光の壁が生まれている。
巨体はなおも突進し続け、口が開き、
──あああああああああああーーーー
野太い叫びが空気を揺るがせた。僅かの間を置いて、
こちらの真後ろ。激しい音を立てて床板がぶち破られた。突き出たのはやたらに細長い人の手のようなもの。数十、
「忙しないな」
驚きはなかった。──起こる事を分かっていたかのように。
「〈再びわたしの声がして、〉」
光の壁が背後にも。
「〈全ての動きが止まった〉」
光はそのまま、異形をそれぞれ囲い込むものとなった。同時に絶叫も突進も、ありとあらゆる動きと物音が静止する。
本のページを仰向けて。
淡々とした声だけが紡がれる。
「〈終わりの前に夢と望みは消え落ちて、すべて眠りの降りたなか
汝の名は──『グレースリーブの怪屋敷』
──終幕〉」
本が、閉じられる。
瞬間、ごう、と風が異形をそれぞれ取り巻いた。
異形の姿は霧散して消え、風は辺り一帯──いや空間すべてを呑むと、徐々に勢いを弱めていく。
やがて風の流れが
ぱしりとそれを掴むと、藤邑の全身が光の中に取り込まれた。
一切の邪気の無い、澄んだ光だ。
奇妙な浮遊感に包まれながら、手にしたものを見つめる。
「……予想はしてたけど、望み薄かな」
＊＊＊
「それじゃあ──用意はいい？ 始めるよ」
「……う、うん」
依頼男性のマンション先から、二人は戻ってきていた。
閉め切られた部屋は、彼と応対した場所。今は藤邑さんの対面に拓人が座っている。
向かい合いながら、拓人はドキドキと緊張が隠せない。……もう何度も行ってきた事なのだが、まだまだ
『断章』回収後はいつも。
藤邑さんの手には、閉じた黒い本と、その上に重ねられた1枚の頁。
本の天がこちらへ向いているのを見て、拓人はこくっと頷いた。
藤邑さんの目がそっと閉じられて、静かに息を吸い──
「〈その加護と恵みを。我らに
古い頁を、淡い光が包んだ。
そこに記されている全ての文字にも、光が宿る。
「〈我らに示し願う〉」
次の瞬間、光が溢れ、弾け飛んだ。
光の粒となったそれらは、拓人の方へ流れて来る。
きらきらと舞い降りる光景は
目の奥に眩しい残像が焼き付いた気がして、ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら、
「うーんと」
きょろきょろ自分の姿を見回す。こっちかな、と拓人は右腕の袖をまくり上げた。
──腕の内側、肘上から肩へかけてびっしりと、黒い羽根のようなものが覆っていた。
まるで羽毛のよう、と思うのは簡単だが、風に触れてもいないのに時折漣の如く震える様は、気持ち悪いので拓人もあまり見たくない。
先の粒子の残りか、儚く漂っていた光が、その黒いものだけに煌めいていた。
光はそこへ吸い寄せられるように消えるも、刹那に強い輝きを発して、それとともに肘側から少しの範囲の黒いものがうっすらと無くなっていった。
痛みは感じない。きれいになった部分はもとの肌の色があって、そこに何かが付いていたという痕は見当たらなかった。
「おぉ……！ 少し戻った！」
対して一緒に覗き込んだ藤邑さんは、あくまでも冷静に息を
「……やっぱり1頁程度じゃ効果は弱いね。最低でも4、5枚……一章分の頁数が必要か……。これくらいだと直ぐに戻っちゃうし」
「でも、少しでも見なくてよくなるのは嬉しいし、体調も違ってくるからめちゃくちゃ良いよ……！
「そう？ 拓人がいいならいいけれど……」
いそいそと袖を戻すと、
「今回の『断章』って何だったの？」
「ああ、G・ハースの『グレースリーブの怪屋敷』だよ。この著者の作風はホラーやファンタジーを取り入れたミステリなんだ。郊外にある古い屋敷では夜な夜な怪奇現象が起きていて……てやつ。噂を聞きつけた主人公のライターがそこを訪れるところから話が始まるんだよ。今回具現化された頁が、よりにもよって怪奇現象の部分だった訳だね。──二階の書庫にもあるよ」
「分かった、読んでみる！」
すぐさま頷くと、拓人はソファーから立ち上がった。
もし、不可解な事象に悩まされていたら。
坂守町の古町通りにある古書店を訪ねてみるといい。
問題が解決するかもしれない。
──それが『断章』によるものであるならば。
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