脱出





   * * *




 二等機属〈タホール〉の中は、警告灯と警報音がうなりを上げ、まるで嵐のような爆音と衝撃に見舞われる。


『下部・反重力機関部、損傷甚大~』

『中部・居住区画を侵攻する敵を感知、征圧不能~』

『主機関部、急速冷却開始~。予備機関に切り替わります~』


 浮遊要塞はひたすら東進を続けるが、防壁生成が間に合わないほどの飽和攻撃にさらされ、徐々に高度を下げ始めている。

 背後から高射砲の連撃を浴びせる聖騎士団。戦闘端末を随時駆逐していくパワードスーツの使徒たち。そして、大司教シホン。


機属領アシリアまでの到達予想時間は──およそ四時間~』

『本艦の飛行可能予測時間──およそ二時間~』


 このままのペースでは間違いなく〈タホール〉の墜落の方が早い。

 そうなる前に。


『──要救助者の避難開始~。治療室区画を脱出艇に~』

「…………ナイ、ト」


 激しく震動する治療室の中で、カナイは目を開けられずにいる。





   * * *




「やめろぉッ!」


 ジズの組んだ両腕を振り下ろし、〈タホール〉の外壁を破壊する大司教を、真下の砂漠に払いのける。

 それでも、シホンは何食わぬ顔でナイトの目の前にまで跳躍し、真紅の装甲を蹴り上げていくのだ。

 その間にも、他の使徒たちの攻勢・攻略は続いている。


《どうやら、アフランとアツラン、使徒たちが要塞内部に侵入したようだぞ》


 独自の感知方法でそれを理解する大司教。彼は聖職者らしからぬ冷酷すぎる声色で事実を突きつける。


《これでもう、この浮遊要塞はおわりだよ》

「くそっ! くそっ! くそっ!」


 何度も毒づきながら、復元した荷電粒子砲を放つナイト。しかし、シホンには何の有効打にもなりえない。

 なんとかして〈タホール〉を救う手立てはないかと脳を働かせるが、まったくといって良案が浮かんでこなかった。

 すでに、戦いは教団側の優勢に傾いている。

 頼りになるバロンも損傷が激しい上、使徒二人の妨害で思うように戦えていない。

 徐々にではあるが、〈タホール〉が高度を下げ始めている。戦闘用端末機の数も、もはや数えることが容易なほど減らされていた。


《私では、ジズを傷つけることができないのを利用して、ここまでよく耐えてきた……が、結果は推して知るべき》

「だまれッ!」


 ナイトはジズの拳を大司教に叩きつける。

 それをかわすことができないシホンは内心で僅かに驚嘆している──大司教の速度に追随できているナイトの能力向上ぶりは瞠目どうもくに値するが、少年本人はそのことに気づく余裕がない。

 ナイトは今、要塞内で眠りについているカナイのために、半身が機械と化した身で、全身全霊を尽くしている。


「これを墜とさせるわけにはいかない!」


 ナイトは左腕にこもる熱量を制御できないように、固く操縦桿そうじゅうかんを握る。


「たとえ何があっても!」


 全通信回線にこだまするナイトの絶叫。

 それに呼応するように、ジズの両腕が赫々あかあかと発光する。


《……なんだ、その光は?》


 さすがのシホン大司教も眼をいた。

 疑問への返答は、赫々と光り輝く真紅の鉄拳で返される。


《この出力は!》


 驚きの声が漏れた次の瞬間、シホンの総身が吹き飛び、砂漠地帯へ砂柱を上げて落下していた。





   * * *




《な、なに?》

《あの光は?》


 黄金と蒼氷色のパワードスーツ──ハムダンとヤヒールが動きを止めて見守るのに、バロンも同調して虚空に制止した。

 そして即座に理解する。


(どうやらナイトのやつ、新しい称号ノーブルランクを得たな)


 称号の授与は一朝一夕に行えることではない。

 前提となる称号獲得や、各種条件を揃えることで、称号は転移者に授けられる。

 その結果が、あの力の解放──大司教シホンを停滞させるほどの一撃をいれられた理由であった。


(しかし、戦局は思った以上に、こちらの不利だな)


 バロンは冷静に戦局を見極める。

 七人の使徒、大司教シホン、さらには聖騎士団の投入まで行われた今回の攻撃は、間違いなく教団側の勝利に転がるだろう。


(だが、俺たちの目的は、ジズを、ナイトたちを安全圏に──機属領に逃がすこと)


 それさえ確定させれば、バロンたちの目的・目標は完遂されるのだ。


(機属領までは、飛行して四時間。〈タホール〉には悪いが──?)


 すでに脱出艇を用意しているはずの〈タホール〉から通信が届く。


『バロン様、ナイト様、回避かいひを!』


 瞬間、バロンの生体部分──頭部が総毛立つ。

 回避行動を取った刹那、バロンはハムダンとヤヒールを巻き込んで空域を離脱。

 その直後だった。

 天上から光の柱が幾本も〈タホール〉めがけて照射されたのは。





   * * *




 突然の事態に、両陣営ともに混乱を余儀なくされる。聖騎士団も例外ではない。

 塵旋風が渦を巻き、衝撃と光熱によって砂漠地帯一帯が一変、無数の穴だらけになる中。


「ああ、そんな」


 天空から注がれた極大の光の束によって、二等機属〈タホール〉の上半分は壊滅的なダメージを被った。


「タ、〈タホール〉さん!」


 ナイトは辛くも無事だった。バロンの機体反応も消失していない。

 だが、目の前の光景が信じられないナイトは、浮遊要塞に向かって叫び続ける。

 そして、ようやくの応答を得た。


『あ──あ、あ──本艦は、ここまでのようです。バロン様、ナイト様、はやく離脱を~』


 浮遊要塞の上半分が溶融し、中部や下部で連鎖爆破が生じている。

 見る見るうちに高度が下がり、ついに砂漠の大地と不本意な接吻せっぷんいられた二等機属は、最後の務めを果たす。


『カナイ様は、脱出艇に──だ、か、ら』


 そんなと言いかけて、バロンの声に制止される。


《いくぞ、ナイト。その〈タホール〉は、ここまでだ》


 わずか数日の間だった。

 だが、自分とカナイをかくまい、治療し、住まわせてくれた場所がなくなることに、深い悲しみが込みあがる。


『ハ……は……早、く、脱、出、を』


〈タホール〉の最後の通信が途切れた。瞬間、脱出艇が〈タホール〉の残骸から射出され、全速力で空域を離脱していく。

 しかし、それを追う複数の影があった。

 使徒たちであった。


《ここで取り逃がしたら!》

《大司教猊下に顔向けできないからね!》


 翡翠色と瑠璃色のパワードスーツのほかに、紫紺、水晶、紅玉、黄金、蒼氷色の機影が脱出艇に追いすがろうとする。

 ナイトはバロンが止めるのも聞かず、ジズの装甲を纏う戦闘端末を駆って、その中間に飛び込んだ。


「行かせない!」

《我が聖下の奇跡を前にして、物怖ものおじせぬ根性は見上げたものだ》


 ナイトは根源的な嫌悪感と闘争心を剥き出しにして、モニターを睨み据える。

 大司教シホンが、割れた丸眼鏡の位置を整えながら飛来してきた。


《だが、もはや、ここまで》

『──果たして、そうかな』

「え?」

《何?》


 誰のものか分からない声が通信に乱入していた。


『教皇の奇跡とやら。静止衛星レーザー砲なら、わしが出てくるまで温存しておくべきだったねえ?』

《その声は、まさか!》


 驚愕の声をあげる大司教。

 ナイトは空を見上げた。そこに新たに現れた機体反応は、神速でナイトとバロンの傍に飛翔してくる。


『よくぞやった、タホールよ。後事は任せて、ゆっくりと休め』

「あ、あなたは?」


 見たところ普通の──白いライダースーツの前面部を開け広げた、なんとも扇情的かつ蠱惑的すぎる格好の──女性だった。

 特徴的な赤毛の髪と銀色の瞳は、太陽の光を浴びて神秘的にきらめいている。

 大司教が憎々にくにくしげに、その女性の名を呼んだ。


《ウルティマ……“一等機属”》


 一等機属!

 その単語の意味するところに、使徒たちは空中で立ち往生を演じる羽目に。


《あれが、噂の》

《はじめて見た》

《でも、なんで此処に?》


 そんな教団連中の疑念も困惑も眼中になく、ウルティマと呼ばれた女性は〈タホール〉の残骸を浮遊させる・・・・・


『まだじゃれあいたいというのであればわしは構わぬが、どうする、若造よ?』

《ぬぅ……全軍撤退だ》

《そんな!》

《ここまで来て?》

《ジズは目の前ですよ!》


 使徒たちは無論、抗議の声をあげた。だが、シホン大司教は大音声だいおんじょうで怒鳴り返す。


《わからぬのか! 相手は一等機属・・・・だぞ! ここにいる全軍でかかっても、相手にならぬわ!》


 シホンは冷厳に状況を判断した。故の撤退命令であった。


《次は壊す……必ず壊す》

『応、壊せるものならな』


 そうして、シホン大司教は使徒たち七人と聖騎士団を撤退させていく。

 取り残されたナイトは、隻腕せきわんのバロンと、ウルティマという女性機属を交互に見やる。


「えと、あの、助かりました」

『どういたしましてじゃ、転移者──いや、ナイトウナイトだったか?』

「あ、はい」

『救援が間に合って本当に良かったわい。タホールの救難信号を受けた時には、間に合わぬかと冷や冷やしたぞ?』

「救難信号」


 なるほど、それで一等機属とやらが助勢に来れたわけだ。


『さて。脱出艇と合流するかのう。随分と先に行ってしもうたが、中にいる“かない”とやらの容体ようだいも気がかりじゃ』

「あ、はい!」


 そうして機首を巡らせようとするナイトを、バロンは何とも形容しがたい表情で引き止めた。


「あー、ナイト。落ち着いて聞いてくれ」


 彼らしからぬ言いにくそうな語調で、バロンは女性の素性を説明する。


「あらためて紹介するが。こちらの御方はウルティマ。俺たちが向かおうとしていた機属領の『王』──つまり“機属王きぞくおう”の一人だ」


 ナイトはニッコリと微笑む赤毛に銀瞳の女性を見上げて、一呼吸を置く。

 そして呟く。


「────はい?」





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