治療





   * * *




 ナイトは夢を見ていた。

 家に帰る夢を。

 ただいまと玄関扉を開け、夕食を用意していた母がおかえりなさいと迎えてくれる。息子の高校卒業を祝してごちそうを用意してくれていた。母の手作りハンバーグは、お店のものよりも美味うまいとナイトの中では評判だった、小さな頃からの大好物だ。仕事から帰宅した父が、今度の休みに久しぶりにキャンプに行こうと誘ってくれた。もちろん、ナイトは喜んで快諾かいだくする。父と共にキャンプ道具を背負って山歩きするのも慣れたものだ。夕食の後、ナイトは二人に言う。今まで、この名前のこと嫌っていて、ごめんなさい。涙ながらに謝る息子の姿を、両親はあたたかく見守り、そっと抱きしめてくれる──


「ごめん、な、さい」


 涙が両目を濡らす感覚と共に、ナイトは目を開いた。

 照明の白色灯が、網膜を焼きそうなほどにまぶしい。


「──気が付いたか、ナイト」


 語りかける声は、家族の誰のものでもない。

 そこは家の──自分の部屋の天井では、ない。

 真っ白な鋼鉄で出来た、見たことのない天井だった。

 ナイトは首だけを動かし、声の主を見やる。


「……カナイ、さん?」


 鼻をかすめる薬品の匂い、鋼鉄の広大な空間の中で、見慣れた金髪褐色の修道女の姿を確認できたことだけが、唯一の救いだった。

 彼女がいなければ、ナイトはいまだに夢の中にいると錯覚していたかもしれない。

 自分はどうなっているのか、さっぱり分からない──思い出すことができないでいるナイト。

 そんな少年に対し、カナイは慎重に言葉を選びながら語りかける。


「ナイト。頼む。どうか落ち着いて聞いて欲しい」

「ここは、いったい……あ、え?」


 視線をさまよわせて、肉体の違和感に気づく。

 左半身の感覚が重い──重いのと同時に、何か冷たくも感じる。

 血液の巡りが悪いどころではなく、血液そのものが巡っていない感覚に、脳髄が混乱を覚える。


「ナイト。あんたは治療を受けるために、ここへ運ばれた。けれど……」

「…………なに、これ?」


 呆然と左腕を──機械で構築された漆黒の義手を、自分の顔の前に持ってくるナイト。

 カシャカシャと漆黒の指が、ナイトの意思に合わせて駆動する──悪い夢を見ている気分だった。それもとびきりの悪夢を。

 布団をおそるおそるめくると、左脚も漆黒の義足になっていることに気づけた。

 そして、それだけではない。

 左の脇腹や胸部を右手でおさえると、金属質な感触が伝わってくる。

 カナイは鬱屈うっくつとした表情で、淡々と説明を続ける。


「あんたをジズの胸から引っ張り出した時には、左半身が欠損していた。本当ならショック死していて当然の負傷だったが、ジズの生命維持機能で……だから」

「なにこれ、なにこれ、なにこれ、なにこれッ?!」


 右手で頭を掻きむしり、完全にパニックを起こすナイト。

 カナイの腕が抱き寄せるようにしても、混沌化する意識はそれをはねのけて拒絶する。 


「あああああアアアアアあああああああアアアアッっ!」


 左腕がない。

 左脚がない。

 左の胸も、腹も、腰も、何もかもが、漆黒の機械に置き換わっている。


「ナイト、頼むから落ち着いて!」

「これが落ち着いていられるかァッ!」 


 落ち着かせようとするカナイを衝動のまま突き放し、絶叫を病室内にこだまさせるナイト。

 少年は絶望にまみれた声音でわめきちらす。


「こんな身体になって! いったいどうやって家に帰れっていうんだ!」

「それ、は……」


 カナイが重い沈黙のとばりに包まれる。

 ナイトは希望を失った眼から溢れる涙を抑えきれず、嗚咽おえつが喉からこぼれるのをとめられない。


「ああ…………俺は、もうぅ、帰れないっ…………とうさん、かあさん…………あああ、あああああっ」


 あまりにも非情に過ぎる現実。

 内藤ナイトの身体は、そのおよそ四割が、機械のそれになってしまった。


「──ごめん、ナイト」


 カナイが独語するように謝罪の言葉を述べても、ナイトの耳には届かなかった、そんな時。


「おお。起きたか、少年」

「あああああ……、あ?」


 悲嘆にくれるナイトは、唐突に病室を訪れた声に顔を上げた。

 遠慮なくナイトのベッド脇まで歩み寄ってきた人物は、白衣ではなく黒衣を身に纏っていた。


「予想通りの反応だな。気に病むなとは言うまいよ。俺も最初はそうだったからな」


 自動扉を開いて現れたのは、日本人の肌と焦茶色の髪、宝石のような氷色の瞳が目を引く青年。

 黒衣と手袋を身に纏う彼とは初対面のはずが、ナイトは奇妙な既視感を彼に覚えた。


「あ、あなたは」

「ウツ地区以来、ではないな。聖地エブスでも、俺を追いかけてきたんだったか?」


 そう。

 ナイトには、その人物の顔に見覚えがなかった。だが、声には聞き覚えがあった。

 あの日、ウツ地区から避難しようとした護送バスで、隣に座っていた老人のそれ。


「なんで……生きて? いや、その姿は? え?」

「ああ、この姿では初対面だったか。……これでどうだ?」


 青年はウツ地区で出会った老人に早変わりしていた。

 そして、老人から再度青年の顔に逆戻り──まるで手品のようにも見える転変ぶりに、ナイトの頭は余計に混乱を余儀なくされる。

 そのまま青年は、悪戯ひたずらが成功したような皮肉っぽい笑みを浮かべて語りだす。


「しかし、生きている・・・・・、というと語弊ごへいがあるな。正確には今の君と同じく“駆動している”というべきか?」


 言って、老人ならぬ青年は、手袋の内に隠していた両手を外気にさらした。

 そこにあるのは人肌ではなく、鋼鉄の無機的な輝きだけ。

 ナイトは当然すぎる疑問を呈する。


「ぎ、義手?」

「いいや。違う」


 ついで青年は、黒衣の首元をさげて胸元をさらしてみせた。

 そこも、鋼鉄の色彩に覆われていた。ナイトの義手義足どころの話ではない。

 彼はあっけらかんと、おのれの正体を明かしてみせた。


「ごらんの通り。俺は“半機半人サイボーグ”だ」





 

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