侵入





   * * *




 二等機属〈タホール〉──通称“浮遊要塞”あるいは“大砂嵐”とも称される最強クラスの機属の登場に、闘技場外の戦局は変転を余儀なくされる。

 あんな巨大な──全高百メートル級の球体を相手にしつつ、雑魚機属を狩る余力は一切ない。


「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 大司教シホンが戦線に自らを投入し、浮遊する〈タホール〉の外壁に鉄拳と豪脚を叩きこむ。

 そんな彼を支援するように、聖騎士団と使徒二名──ツァーカブとカアスも征伐に加わる。


「カアス、砲戦モードを!」

「りょ、了解!」


 カアスの第七戦装が火を噴き、〈タホール〉の核を正確に狙い撃つ──

 そうして。

 闘技場の守りとして残されたカナイとヤヒールは、それぞれが東と西に別れ雑魚狩りを開始した時だった。


「……ナイト?」


 戦闘の最中に、闘技場の歓声──その音圧が、一際ひときわ巨大なものになるのをカナイは肌で感じた。

 頭部装甲内のモニターを大急ぎでスライドし確認する。

 闘技場の中心で、左腕と右脚をもがれた真紅の機体が転がっている。


「ナイト!」


 呼びかけようとしても無駄。ハムダンが闘技場に形成している防壁で、通信も一切遮断されている。


「くそっ!」


 カナイは毒づく。

 いっそのこと使徒としての使命も何もかも捨て去って、ナイトの救援に駆けつけることもできやしない。状況がそれを許さなかった。


『カナイ』

「なんだ、ヤヒール先輩!」


 秘匿通信に怒声を返すカナイ。それに対して、ヤヒールは整然と事実を告げる。


『もう無駄だ。彼のことは、あきらめろって、そう言っただろ』

「けど! こんなのって!」


 あまりにもひどい。むごい。残酷すぎる。

 目の前に機属の群れがいなければ。ハムダンの防壁を突破できれば。ベヒモスとレヴィアタンという獣を撃てるなら。

 たくさんの可能性がカナイの目の前に現れ、その手から滑り落ちていく。

 カナイは無我夢中で敵を撃ち続ける──そうしなければ闘技場の数万人に被害が及ぶ。


「くそ、くそ、くそ」


 やはり前日のあの時、強引にでもナイトをさらって逃がしてやるべきだったかもしれない。

 だが、元の世界へ帰れる──帰りたいと切に願う少年の望みを、カナイは永久に取り上げることになっただろう。

 その決心がつかなかった自分を呪う。


「くそ、くそ──?」


 視界の端で機属を掃滅しつつ、カナイは違和感を覚える。

 雑魚機属が動きを止め始め、見るうちにジリジリと後退していく──カナイにとっては初めて見る光景だった。

 何事か起こっている。カナイは思考を冷却しつつ、闘技場中心を移すモニターに目をらす。


「あれは?」


「何だ」と思った瞬間。

 ハムダンの張った強固な防壁を、手袋で殴り破る黒衣の老人の姿が映っていた。





   * * *




「そ、そんな馬鹿な!?」


 ハムダンは闘技場地下で驚愕の声を発した。

 三獣を囲うための檻であり、観客たちを守る手段であり、儀式への侵入者のたぐいを排除するための防壁のうち一枚が、粉々に破砕され尽くした。

 何が起きたのかにわかには信じがたい童女は、闘技場中心に降り立つ一人の老人を視認する。


(嘘でしょ? 侵入者? でも、誰が、何の目的で?)


 老人は二匹の獣を前にしても臆することなく、どころか真紅の獣にトドメを刺そうとしていた二匹を威圧するように、ジズと両機の間に割って入る。


(誰? 誰? 誰?)


 ハムダンは計器を操作し、モニターを拡大させ続ける。

 そして、老人の顔を視認し──呼吸が止まる。


「そんな……まさか、彼は……!」





   * * *




「ふぅ。外の“陽動”は、ひとまず成功だな。レヴィアタンは、まぁ、しばらく視界をジャックさせてもらうとして──」


 常盤ときわ色の機神は辺りをキョロキョロと見渡している。それまで標的としていた機体が、眼前から消え失せたかのように。


「それで肝心かんじんのこちらは──間一髪かんいっぱつ、生命反応があるな」


 倒れ伏す真紅の機体──鋼材でコクピット部位が破損した箇所を振り返り見る黒衣の老人は、闘技場中の人間から浴びる罵声怒声──「神聖な儀式を邪魔するな」だの「出ていけ老いぼれ」だの──を、そよ風のごとく聞き流し、二匹の獣のうち一機に向き直る。


「おう……久しぶりだなぁ、ベヒモス」


 手袋をはめた両腕を広げる老人。

 怯えたように一歩をさがる獣・ベヒモス。


「俺のことは覚えているか? それとも忘れてしまったか?」

《ゴ……ア……》

「まぁ無理もないさ。そんなに内部なかみをイジくり回されては、な。こちらも随分と変わ」

《ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア────ッ!!》


 ベヒモスが吼えた。

 老人へ青銅せいどうの拳を突き出すと、闘技場の大地が大きく隆起し、周辺が激震するほどの地鳴りを発生させる。

 しかし、


「無駄だよ」


 老人は無傷で直立していた。

 彼は名残惜し気にベヒモスに背を向ける。


「悪いが、今はジズを、中にいる少年の回収を優先させてもらう──許せ」

《ゴ、アアア……》


 老人は真紅の機体に近づくと、慣れた様子でジズの巨体を“宙に浮かせる”。残骸として散らばっている左腕と右脚を、黒衣の内に格納・・し、驚異的な跳躍力で闘技場の開いた屋根部分へ跳ねた。どよめく観客たちを置き去りにして、老人がそのまま逃げおおせようとした、その時。


「待て!」


 裂帛れっぱくの呼気が、老人の足を止めさせる。

 見れば、特別観覧席で教皇を護衛していた聖騎士団長・シュミラーが声を荒げ、不遜ふそんにも儀式を中断させた侵入者に剣を抜く。


「その機体を奪うことがどういうことか、わかっているのだろうな、ご老体!」

「……無論、心得ているが、聖騎士団長?」

「──そうか、ならば死ね。不信仰者よ!」


 剣が光を発した。

 ジズの巨体をかかえた老人の中心を穿うがつ一撃は、当然防ぐことも避けようもない速度と威力を発揮していた、はずだった。


「なに!」


 シュミラーが驚愕し、白の瞳を瞠目させたのも無理はない。

 老人に攻撃を防がれたわけでもなく、避けられたわけでもなかった。


「……おや?」


 とぼけた声を発する黒衣の老人。

 聖騎士団長の攻撃は、ただ、ありえざる者が、強化装甲で光の刃を払いのけてみせたのだ。


「ほほう──?」


 教皇がおもしろげに頬杖を突く中、シュミラーは大声で問いたださずにはいられない。


「ど、どういうつもりだ、カナイ・・・!」


 漆黒のパワードスーツ──“狂信”として聖騎士団から選抜を受けた異例の使徒──自らの部下が、老人をかばうように現れたのだ。





   * * *




『いや、私は、その──とにかくゴメン、団長!』


 カナイは通信機越しにそれだけを告げると、老人が逃げるのを手助けした。

 より正確には、破壊されたジズが、逃げるのに付いていったというべきか。

 とにかく。

 二人の姿は闘技場東方の影に隠れ、シュミラーの攻撃範囲からまんまと逃げられてしまう。


「くっ。申し訳ございません、聖下。とんだ不忠を」

「よいよい。これはこれで、おもしろいではないか」

「お、おもしろいなどと言っている場合では──ヤヒール! 即座に追撃を──ヤヒール?」


 応答しろと通信機に怒鳴りつけるが、闘技場西方を鎮護する使徒は、うんともすんとも言わない。大司教と共に北の第二機属の征伐に動員されているカアスとツァーカブは無論ながら動かせない。シュミラーは苛立ちを抑えつつ、冷静に、闘技場地下の最後の使徒を呼びつける。


「ハムダン! あなたが追撃を!」

『できません』


 回線越しに叱責を飛ばそうとする聖騎士団長を、教皇が手を上げて制した。


「ヤヒールとハムダンまで動かせば、メギド防衛のかなめがなくなる。そうなればも、ここにいる信者たちも、みなが危難にさらされることになる。そういうことであろう、ハムダン?」

『……その通りでございます──教皇聖下』

「ふふふ。儀式はここまでだな。あのジズを取り逃がしたとあっては、な」


 ズキリと胸が痛むシュミラー。


「急ぎ、ベヒモスとレヴィアタンを再封印するとしよう。他の雑事は任せるぞ、聖騎士団長」

「……御意」


 彼女は儀式の中断を布告し、観客たちの行き場を失う感情をなだめるのに苦心することになる。





   * * *




 しらせを受けた大司教は、討伐した二等機属の残骸の上で、激情に身を戦慄わななかせた。


「あ・や・つ・め・がアアアアアアアアアアアアッ!」


 シスター・カナイの裏切り──“反逆”と“出奔”。

 聖騎士団長からのありえざる報告に、誰もが信じがたい思いを懐いて当然という状況下で、


「嘘、うそですわ、いくらなんでも、そんなこと──」

「ナイトさまは……お逃げに、なられたのですね──」


 ツァーカブとカアスも、それぞれに現実を受け入れ切れない様子で、メギドの戦場跡地に降り立つ。

 一方で、


「────ヤヒールちゃん」

「先輩……私は、夢でも見ているんでしょうか?」


 闘技場地下で事後処理に追われるハムダンの背中に、ヤヒールは何もできず、小さい頃のように背中を預け、悲嘆ではない涙を流す。


「彼が……彼が……」

「うん。わかってる」


 このことは内緒だよ。

 ハムダンは密かに、ヤヒールと約束を交わした。






 それぞれに思惑と困惑をかかえ、世界終末再現の儀式は、幕を閉じた──





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