アンサー
雪待ハル
アンサー
―――助けて、と声がした。
何処かで、誰かが、叫んでる。
必死で、手を伸ばして、誰か、と。
だから声をかけた。
一度だけの気まぐれ。
さあ、この子は何て答えを返すかな。
殺してやる。
殺してやる殺してやる殺してやる。
血を吐く様な思いで何度も思った。
病に侵された身体を引きずって、片手に抜き身の刃一つを携えて、ただ目を開いて前だけを見て、歩いた。
ずるずる。
ずるずる。
ああ、何て重い。
重いのは身体か、それとも心か。
濁り切った記憶が、少女から冷静な判断力を奪っていた。
思う事はただ一つ。殺してやる。
少女は一人、道を行く。
私は行かなければならない。
行かなければ。
行かなくちゃ。
そうでなければ報われない。
そうでなければ救われない。
同じにするのだ、この私と。
私だけこんな場所にいるのは耐えられない。
あいつだけ楽々呼吸を出来るのが耐えられない。
だから。
そう、“だから”。
「こんにちは」
すぐそばで声をかけられたので、静かに顔を向けた。
「こんにちは」
そう返して、また前を向いて歩き出そうとしたら、その人はゆったりとした足取りでこちらへ近付いてきた。
驚いて、少し身を引いた。
「・・・何ですか?」
警戒心も露わにそう問えば、その人はにこりと微笑んだ。
ごく自然な動作で手を掴まれる。
―――刃を握りしめた方の手を。
「願いを叶えてあげましょう」
掴まれた手の感触と、その言葉にさっと胸を冷やした。
とっさに振り払おうとしたが、出来ない。
そこまで強く掴まれている気はしないのに、ほどけない。
どうして。
「・・・放してください」
混乱しながらも、とりあえずそう言ってみるが、相手に聞き入れてくれる気は無さそうだ。
目と鼻の先にその顔はある。背丈は自分とほぼ同じ。
切れ長の双眸は、深海の様な青色をしていた。
じっと、こちらを見つめている。
「苦しいのでしょう?なら、私が助けてあげましょう。私があなたの願いを叶えてあげる」
「何、を・・」
「あなたには殺したい相手がいて、その相手が死ねば、あなたは救われる。そうだよね?」
「・・・」
押し黙った。―――正しい。
正しい・・・が、何故そんな事を見ず知らずの他人から言われなければならないのか。
内心イラッとしながらも、どう返答すべきか分からずにいると、相手は可笑しそうに笑う。
「そんな顔をしないで。私が力を貸しましょうと言っているんだ。そんな悪い話でもないと思うけど?」
「何の為に?」
そう訊けば、相手は真面目な顔をして、
「何となく」
と言いやがった。
柔らかい手のひらがすかさず左頬に当てられた。
「ねえ、そんな鬼みたいな顔をするものじゃないよ。どうか怒らないで?」
「だったら離れろ。今すぐに」
もはや敬語もかき捨てた。こんな無礼千万、デリカシーの欠片も無い奴相手に向ける礼儀なんて無い。
もはや殺気に近い怒気が伝わったのか、相手は大人しく頬から手を離した。
でも刃を持った手を掴む手は離れる気配がない。
それをチラッと見て、少女は言った。
「放して。―――私は行かなきゃならない」
「それで殺すの?自分の手で?」
「・・・何で赤の他人にそんな話しなけりゃならない」
「何でって・・」
相手はうーん、と首を傾げてから、
「あなたが助けてって言ったから」
「は・・?」
「声が聞こえた。助けてと。私はそれに呼ばれたから来たんだ」
「・・・」
少女は目の前の相手を凝視してしまった。
よく分からない。意味不明だ。
・・・でも。
(私は)
誰かに助けて欲しかったのではないか?
ふとそんな事を思った。
それを察したかの様に、刃を掴む手を握る手がやんわりと力を増した。
目の前の海色の瞳が、きらきらと輝く。
ああ、まるで夏の日差しを受けた水面のよう。
「私が、助けてあげる。あなたがそれを望むなら」
息が苦しい。
思い出すのは、突き刺すような胸の痛み。
それは空洞が空いたかのように、決定的に何かが足りなくて、欠けていて、ヒリヒリと焼け付くような飢えが延々と続くのだ。
果ての無い、何処まで行っても、何も変わらず、ならば変える為には、その為に必要な選択は。
(私に出来る事は)
あのひとを殺す事。
だから私は一人でここまで来たのに。
それなのに。
「・・・助けるなんて、どうしてそんな事」
「泣かないで。ユウキ」
「今更他人に頼れない。私は、」
私はもうこんなにも、憎しみで染まりきってしまったから。
「そう、だから私の手を取れば助けてあげる。あなたを憎しみの泥の中から引きずり出してあげましょう」
そう、歌うように相手は言って、少女の頬を伝う涙を美しい指先でぬぐった。
唇の端だけでそっと微笑むその姿は、魔性のもの。
今まで誰も少女に言ってくれなかった言葉を、甘やかな声音でつむぐ。
「私が、あなたの代わりに、そのひとを罰しましょう。死よりも尚耐え難い苦痛を。あなたが今まで耐え続けてきた苦痛と同じだけのそれを」
少女が“それ”を望むのは自然なことだと。
強く肯定した。
ドクン、と少女の魂の深い所にあるものが震えた。
「わたし、は――」
私が呼んだらしい相手。
私はこいつに助けを求めたらしい。
そうだ、確かに助けて欲しい。
もう痛いのも苦しいのもイヤだ。
早く楽になりたい。救われたい。
私は、こいつに、それを望むの?
あのひとを罰して、と。
ドクン。
魂が鳴る。
何だかもう、疲れてしまったんだ。
身体も心もクタクタで、ズタボロの血まみれで。
自分一人で頑張るのはもう、とうの昔に限界で――。
右手に握りしめた刃。
それだけが私の心の支え。
もうそんなものでしか支えられない。
もうそんな事でしか救われない。
その事が、悲しかった。
青い瞳の悪魔は、ただ答えを待っている。
ぼうっとその色を見つめた。
綺麗だなあ。
その目の奥は本当に海の世界とつながっていて、その美しい世界でただたゆたっていられたら、どんなに幸福だろうと思った。
(こう、ふく)
私の、幸せ。
そこでん?と思った。
“私の幸せ”?
マイナスからゼロに戻る事。
負から正へと帰りたい。
でも、それとは別に、私が愛するものは・・・?
魅入られたかの様に見つめていた青い瞳からふと視線が外れた。
相手の背後に広がるのは、明るい青色。
空の色。
それは幼い頃に見上げた景色と同じもの。
綺麗だなあ。
何だか、笑ってしまった。
視線を空から海へと戻す。
相手は少女の様子にいぶかる気配もなく、ただ静かに見ていた。
答えを、待っている。
そんな相手に、少女は言った。
「ありがとう。礼を言います」
刃を持った手を包む手に、もう片方の手でそっと触れた。
青い双眸がぱちり、と瞬く。
「私の所へ来てくれてありがとう。助けるって言ってくれてありがとう。―――とても嬉しかった」
正体不明の見知らぬ相手へ、思った通りの事をそのまま告げる。
青い瞳をしっかと見つめて、
「でも、あなたの助けはいらない。もうちょっと、これから私がどうするか―――どうしたいか、ちゃんと考える時間が欲しいと思うから」
きっぱりと言い切った。
「おや」
何か、このまま助けを求めたら、行く所まで行ってしまうだろう、という気がしたのだ。
この相手は自分の望みを叶えてくれるだろう。完璧に。
でもそれは、早すぎる。
簡単すぎる。
そこに違和感を覚えたのだ。
ああ、何か違うな、と。
自分がさっきまで進もうとしていた方向を見ると、何処までも続く果てしない道があった。
うん、と一つ頷いて、
「この刃は手放せない。けれどこれをどう使うか―――使うか、使わないかを、私は私の心で決めたいの」
その、大事な大事な決断を、考える為の猶予をどうか。
私にください。
そう言った少女は傷だらけのボロボロの血まみれで、
けれどまだ、目には力が宿っていた。
それを見届けた相手は、少女の手を放した。
「そっか。分かったよ」
どことなく嬉しそうにうん、うん、と頷いてから、
「さよならユウキ。また用があったら呼んでね」
と、まるで長年の友人の様な物言いをして去っていった。
そうして少女は一人になった。
一人になって、また前を見て、病の身体を引きずって歩き出す。
その手には抜き身の刃が一つ。
彼女の心を示すように、きらりとお日さまの光を反射した。
おわり
アンサー 雪待ハル @yukito_tatibana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます