短編集
センセイとボク
先生の部屋は本だらけで、よく床が落ちないものだと言われていた。
先生曰く
「本が多いのではにゃくて、むしろ私が少ない分、相対的に多くみえるよ」
だった。
もう少し本の山が大きく高くなって崩れてしまえばいいのにと思う。そうすれば先生だって、突然死の可能性を少しでも考えるだろうに。
今回はベッドに転がっていた。仰向けになっていて、本を二冊拡げてあごの下に敷いて寝ていた。
「先生。起きてくださいよ」
窓から秋風がそよいで、先生の前髪を揺らした。
「先生」
「うにゃ」
「先生、起きて」
「うーむ。あと5時間……」
先生はそう言って、またすやすやと寝息を立て始めた。
と、また三たび先生を揺さぶると彼女は目覚めてくれた。
「ん……んんん」
先生は目をこすりながら、ゆっくりと身体を起こした。
「あ、おはようございます」
「ん? おはよう。あれ、なんで私ここで寝てるにゃ?」
「それはこっちが聞きたいですよ」
「ああ、そうか」
先生はあくびをして言った。
「昨日、本を読んでいて、そのまま寝ちゃったんだ」
「先生らしいですね」
「で、なんで君はここにいるの?」
「先生が呼んだんですよ。覚えてないんですか?」
「ん……ああ、そうだった。君を呼んだんだ」
先生はまたあくびをして、目をこすりながら言う。
「でもにゃんでだっけ? あ、そうだ。君が私の家に来たいって言ったんだったね」
「そうですよ」
「で、私がここで寝てて、それで君が来たと」
「ええ」
先生は眠そうにあくびをして、伸びをした。そしてまたベッドに倒れた。
「ねむいにゃー」
「先生、起きてください」
「うー……ん。でも眠いから寝るにゃ」
そう言って先生は眠ってしまった。もう10月の半ばだ。そろそろ冬がくるというのに、この寝つきの良さは羨ましい限りである。
「先生、起きてください」
「うー……ん。あと10時間……」
「寝すぎですよ!」
ぼくは先生の身体をゆすり続けたが、先生は起きる気配を見せない。仕方ないので、そのままにして帰ることにした。
玄関まで行って靴をはいていると、先生が後ろから声をかけてきた。
「あ、もう帰るにゃ?」
「ええ」
「そう」
先生はそう言ってからまたあくびをした。そして言った。
「じゃあね」
「はい」
ぼくはそう言って、先生の家を後にした。
「先生」
「うにゃ?」
先生は本から顔を上げてこちらを見た。相変わらず眠そうな顔をしている。
「どうしたんですか? その目」
「ああ、これか……」
先生は右目をこすった。そして言った。
「ノラにやられたんだよ」
「ノラですか?」
ノラとは、先生の家で飼ってる動物の方のネコのことだ。
「うん。最近気が立ってるみたいでね」
ああ、そういえば最近先生が眼帯をしているのを何度か見た気がする。でも……。
「なんでまたノラに?」
「それが分からないんだよ」
先生はそう言って肩をすくめた。そして続けた。
「最近、急に暴れ出してね。まあでも、すぐに収まるから心配しなくてもいいよ」
「そうですか……」
ぼくはノラのことを思い出した。この前会ったときにはそんなそぶりは見せなかったのだが……。
そう思っていると先生が言った。
「ああ、そうだ」
「なんですか?」
「ちょっと頼みがあるんだけど」
「はい」
先生は本を閉じると、ぼくを手招きした。
「なんですか?」
先生の方へ歩み寄ると、先生はぼくにテーブルの上に置いてあった袋を押しつけた。
「な……んですか? これ」
「プレゼントだよ」
「プレゼント?」
ぼくは袋の中を覗き込んだ。中には何かが入っているようだった。
「開けてみて」
先生の言葉に、ぼくは袋の中身を取り出した。それは小さな箱だった。「これは……?」
「開けてみて」
ぼくは箱のふたを開けてみた。するとそこには指輪が入っていた。銀色に光るリングの中央に、青い宝石が埋め込まれている。
「きれい……」
思わずそうつぶやくと、先生は言った。
「君にあげるよ」
「え?」
ぼくは驚いて先生の顔を見た。しかし先生の顔にはいつもの眠そうな表情が浮かんでいただけだったので、冗談なのか本気なのかよくわからなかった。
「あ……ありがとうございます」
ぼくがそう言うと、先生は笑って言った。
「どういたしまして」
それからまたしばらくたって。
ぼくは先生の家に来ていた。
「先生」
ぼくが呼びかけると、先生は本から顔を上げてこちらを見た。そして言った。
「ああ、君か」
「はい」
「どうしたの?」
先生がそう聞いてきたので、ぼくは答えた。
「いえ……ちょっと聞きたいことがあって……」
すると先生は言った。
「ん? ああ、もしかしてあれのこと?」
そう言って彼女は本棚を指さした。そこにはこの間ぼくが先生からもらったあの指輪の入っていた箱が飾られていた。
「はい」
ぼくが答えると先生は言った。
「あの指輪ならまだ持ってるよ」
そう言って先生は立ち上がって、本棚の前まで来るとそこから箱を一つ手に取った。そしてまたテーブルのところへ戻ってきてその箱を開けると、中から指輪を取り出した。
それは以前と変わらず、きれいな光を放っているように見えた。
「きれいですね」
「うん」
先生はそう答えて、指輪をテーブルの上に置いた。
「この指輪、貰っていいんですか?」
ぼくがそう聞くと、先生は言った。
「ああ。それは君のものだ」
「ありがとうございます」
ぼくはそう言って頭を下げた。そして顔を上げると、先生が眠そうな顔でこちらを見ているのに気づいた。
「ところで先生は、これを使ってるんですか?」
ぼくがそう聞くと、先生は首を横に振って言った。
「いや、使ってないよ」
「そうなんですか」
すると先生はまた口を開いた。
「その指輪は君にあげたんだから、君が使うといい」
「はい。ありがとうございます」
「それで? この指輪がどうかしたのかな?」
先生がそう聞いてきたので、ぼくは言った。
「いえ……なんで先生はこれをぼくにくれたのかなって、ちょっと疑問に思って……」
すると先生は微笑んで言った。
「君のために買ったものだし、それに君は女の子だからな。装飾品の一つぐらい持っていた方が、人間的にもいいだろう」
「なるほど……」
ぼくは納得してうなずいた。そして指輪に目を向ける。青い宝石の入った銀色のリングは、やはり美しいと思えるものだった。
それはともかく、ぼくは今日来た用事を告げる。
「先生、ちょっと聞きたいことがあるんですが」
「ん? にゃに?」
先生は本を読みながらそう答えた。ぼくは続けた。
「えっとその……人にどうやって謝ればいいんでしょうか?」
「謝ればいいじゃない」
先生は本から目を離さずに即答した。しかしぼくは納得できない。
「でも謝るのって、難しいじゃないですか」
すると先生は顔を上げてこちらを見た。そして言った。
「そうかな?」
「そうですよ」
ぼくがそう言うと、先生は少し考え込んだ後言った。
「じゃあこうしよう」
そう言って先生は人差し指を立てて続けた。
「まず君はその人に何をしたのか思い出そう」
「はい……」
ぼくはうなずいて、それから先生の言葉を待った。
「そしたら君が何をしたかを謝ってみるんだ」
「はい……」
先生はそこまで言うとまた本を読み始めた。そして言った。
「まあ頑張ってみなさい」
「はい……ありがとうございます」
ぼくがそう言うと、先生は軽く手を振って答えたのだった。
その後しばらくたってからのこと。
「ふにゃあ」
「今度はどうしたんです?」
先生は本に突っ伏す勢いでうたたねしていて、そう尋ねると面倒臭そうにこちらを見て言った。
「天気がいいにゃ」
「そうですね」
まあ先生がお決まりの言い訳をするときは眠いだけだってことは分かってるんだが……。
「っていうか最近布団干してないなぁ」
すると先生は困ったような顔をして言う。
「うーん、まあ、それはそうなんだけど……」
そして先生は言った。
「でも天気がいいから、眠くてね」
「そろそろ布団を干した方がいいんじゃないですか? 先生、最近寝てばかりいるし」
ぼくがそう言うと先生は言った。
「うーむ。まあ、確かにそうだにゃ」
「じゃあ布団干しましょうよ。手伝いますから」
ぼくがそう言うと先生は言った。
「うーむ。まあ、確かにそうだにゃ」
そして先生は言った。
「じゃあ頼むよ」
「はい!」
ぼくは元気よく返事をした。
「じゃあ、まずは布団を干さないといけないにゃ」
先生はそう言うと立ち上がって、ベランダの方へと向かった。ぼくもその後に続く。
「よいしょっと……」
先生は掛け布団を手に取ると、そのまま持ち上げようとした。しかし重いのかなかなか持ち上がらないようだ。そこでぼくが手を貸すことにした。
「先生、手伝いますよ」
そう言って手を伸ばすと、先生が言った。
「ああ、助かるよ」
そして二人で協力して布団を持ち上げるとそれを物干し竿にかけた。
「ふう……疲れたにゃ」
先生はそう言って額の汗を拭った。そして続けて言った。
「じゃあ次はシーツを干すから、手伝って欲しいんだけど……」
「はい!」
ぼくは元気よく返事をして、先生の後についていった。
それからしばらくして、ぼくたちはようやく全ての作業を終えたのだった。
「終わったにゃー」
先生が伸びをしながら言う。ぼくもそれに同意した。
「そうですね」
またある日のこと。
「先生、ちょっといいですか?」
「ん? にゃに?」
ぼくがそう聞くと先生は本から顔を上げてこちらを見た。そして言った。
「ああ、君か」
「はい」
ぼくはそう言って頭を下げた。それから続ける。
「あの……その……」
すると先生は不思議そうにこちらを見て言った。
「どうかしたの?」
そう言われるとますます言いづらくなってしまうのだが、それでもなんとか口を開いた。
「実はですね……」
しかしなかなか言葉が出ない。そんなぼくを先生は急かすことなく待ってくれていた。
「その……えっと……」
しばらく沈黙が続いた後、ぼくは意を決して言った。
「ごめんなさい!」
そう言って頭を下げると、先生は驚いたような声で言った。
「え? なんで?」
そして続けて言う。
「私何かされたっけ?」
「いえ、そういうわけじゃないんですが……」
ぼくは頭を上げて言った。そして続けて言う。
「実は……先生に謝らないといけないことがあるんです」
先生は不思議そうな顔をしていたが、それでもぼくの話を聞いてくれた。
「それで? 何をしたの?」
そう言われてぼくは答えた。
「実はその……この間先生の家にお邪魔したときのことなんですが……」
「うん。それがどうかしたの?」
そう聞かれて少し迷ったのだが、正直に話すことに決めて話し始めた。
「実はあの時、先生の家にあった本にジュースをこぼしちゃったんです」
「ああ、なるほど」
先生は納得がいったようにうなずくと、それから言った。
「それで? なんで謝る必要があるの? 別にわざとじゃないんでしょ?」
「はい。でも……」
ぼくが言い淀むと、先生は笑って言った。
そして続ける。
「まあ、わざとだったらちょっと怒るけど」
「いえ! そんなつもりは……」
慌てて否定するぼくを見て先生はまた笑う。
「冗談だよ」
そして先生は言った。
「でも本当に気にしなくていいんだよ?」
そう言ってくれる先生の優しさが嬉しかったのだが、それでもぼくは食い下がった。
「いえ、そういうわけにはいきません!」
すると先生は困ったような顔をして言った。
「うーん……じゃあこうしようか」
「はい……」
ぼくが返事をすると、先生は続けた。
「今度またうちに来てよ」
「え? そんなの悪いですよ」
慌てて首を振るぼくに構わずに先生は続ける。「それでさ、また何か持ってきてよ」
「でも……」
ぼくが口ごもると先生は言った。
「いいからいいから」
そう言って笑う先生につられてぼくもつい微笑んでしまう。そしてぼくは言った。
「分かりました。今度はちゃんと持っていきますね」
そんな会話をした後、ぼくたちは別れたのだった。
それからしばらくしたある日のこと。ぼくは先生の家にお邪魔していた。今日は何を話そうかと考えながら部屋の中を見回していると先生が声をかけてきた。
「どうしたの?」
そう聞かれて慌てて答える。
「いえ、何でもないです」
しかし先生は不思議そうな顔をして言った。
「そう? 何か言いたげな顔をしてるけど……」
そう言われてぼくは観念して口を開いた。
「実はその……この間のことなんですけど……」
すると先生はぼくの言葉を遮るように言ったの。
「ああ、そのことならもう気にしないでいいよ」
「いや、でも……」
それでもなお食い下がろうとすると先生は言った。
「本当にいいから」
そう言われてしまうとそれ以上何も言えなくなってしまう。仕方なく引き下がることにしたのだった。
先生とぼくはそんな日々を過ごしている。
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