43話 衝動

 ナディナレズレの巨塔の白い床は、ビオンデッタの戦闘の苛烈さをそのまま表現していた。


 川の合流地点のように幾重にも重なる血の引きずった跡は、そこで戦闘していた彼らが傷を負ったまま戦い続けていたことを示している。


 一本は切り刻まれながらも戦ったグリムリッチのものであり、もう一本は腕を失いながらも戦ったビオンデッタのものである。


 アランにはその血がどちらのものかも知れなかったが、どちらにしても命に害を及ぼしかねない出血の量だということはわかった。


「ご、ごめんなさい!ビオンデッタさんがそんなに思ってくれていたなんて……。こ、これから帰還までは、僕が命に変えても守りますから」


「……ビオンデッタ。俺はお前を誤解してたかもしれねぇ。自分勝手で我儘極まりない奴かと思っていたが、仲間のために死を覚悟で突撃するなんてよぉ」


 アランとトットがそれぞれ礼を言う。


 そのいずれもが見当外れではあるが、彼らにはビオンデッタが十分英雄に見えていたのだ。


「冗談はやめなさい。貴方達では敵に勝つことはできないし、私を守る権利は貴方達如きが手に入れられるものじゃないの」


 ビオンデッタのその発言に、アランはカッとなって言った。


「い、今は無理でも僕は、いずれそうなりたいと思ってるんだ!だから戻るまで、死なないでほしい!だって僕は君のことが……」


 その瞬間、ビオンデッタがアランの顔をぶん殴った。


 それは素早さステータスSによる全速力のフックパンチであり、アランは壁に激しく打ち付けられる。彼はすぐ頭から血を流し、気を失った。


「あ、危なかったわ……やはり外の世界は危険ね。わ、私の初めての告白イベントを取られるところだった……」


 ビオンデッタは外に出てから初めて冷や汗を流していた。


 アランは告白により、Bランクのモンスターであるグリムリッチよりもビオンデッタを追い詰めていたのだ。


 トットはあまりの出来事に口を震わせ、無意味にアランの倒れ伏した身体を指さした。


「お、おい!な、何やってんだお前!どうするんだよ、こいつ抱えては帰れ……」


「『あいわなぼんちゅ』『ユアシャタシャタ』『二回目の自白には貴方の名を』発動。『アマリリス』!」


 ビオンデッタに恐る恐る詰め寄ったトットは、ローザローザの詠唱によって気を失う。これ以上誤魔化しきれないという判断をローザローザが下したのだ。


「二人とも眠らせたよ、この二人は血を見て気絶したことにしよっか」


 そしてローザローザが、悩むように周囲を見渡した。


 「うん……この辺に毒を撒くことにする。絶対通るところだし、ビオンデッタちゃんが敵を掃除してくれたから、この辺なら腹痛はらいたの毒とかを撒いてても、人が死ぬことはないと思う」


 そういうと、ローザローザがモンスターの死体を検めていく。死体に毒を仕込むのは彼女の得意手段の一つだった。


「任せるわ。私は討伐隊が来ないか聞いているから」


 その後の時間は、ローザローザが元々用意してあった毒を散布する装置を目立たないところに仕込んでいく時間となった。


 といってもローザローザがユニークスキルを用いて初めて使用できるものであるし、大した仕掛けでもない、袋と留め金を用いたブービートラップである。


 しかし、その効果範囲と毒の潜伏期間はローザローザの調合した毒のなかでも随一であり、これさえ撒けてしまえば、ナディナレズレのダンジョンアタックは中止に持ち込めるだろうと考えていたものだった。


 ローザローザはナディナレズレの素材も活かされて調合されたその毒袋を、「お願いね」とキスをしながら設置していった。


「いやー、かれこれ長かったねナディナレズレも。でもでもー、帰るの楽しみだなぁ。ダンジョンの移転も済んだんでしょ?」


 ……ビオンデッタのスキルである『ワスプ召喚』は手紙を運ぶのに使用できる。


 ビオンデッタとローザローザはまだエティナの言語の筆記ができなかったが、現地の代筆家に金を払い、暗号を使って他のナナヤの巫女達と連絡を取り合っていた。


 この一ヶ月の間にウィト達『ラグネルの迷宮』のメンバーがとある島を乗っ取り、あのラグネルの地から旅立ったことをその手紙を通して二人は知っていた。


「ま、私達二人がダンジョンの改装に立ち会っても何の役にも立たないものね」


 ビオンデッタが無愛想に答える。


「えーロザロザちゃんはデザインに立ち会いたかったけどねー!今までのせまーいダンジョンと違って、ロザロザちゃん専用の階層が貰えるんでしょ?」


 ローザローザは目を輝かせて語った。


「まず、調合室も欲しいし、お花畑もぉ、温室も欲しいし、砂漠で育つ植物も育てたいからぁ、あ!ちっちゃい地球を作れば全部解決ジャーン!?」


 ローザローザがわざとらしく驚いたように笑う。


「あなたにそんな沢山、自由に使えるDPが与えられるわけないでしょ」


「なんでさ!ロザロザちゃんこんなに頑張って潜入してるのにー!」


「まずはウィト様の防衛を確実なものにする方が先決に決まっているでしょう」


 と、二人の言い合いが加熱していったそんな時、ぴくりと、眠らされているはずのアランの身体が動いた。


「僕は……ビオンデッタさんを……」


 そしてそんな寝言のような言葉を呟きながら、剣に手を伸ばしている。


「あれ?こいつ、起きてきた」


 ローザローザがきょとんとしながらアランを見た。


「何やってるのよローザローザ。きちんと睡眠薬盛ったのよね」


「うん。こいつの能力なら確実に寝てるはずだよ……」


 ローザローザはその予定外の事態に今までの元気を失い、ぼーっと瞳が奪われたようにアランの方を見た。


 「これ、きっと恋愛パワーだ。ビオンデッタちゃんが腕を犠牲にして守ったから、漠然とした好意じゃなくて、きちんと「好き」になったんだよ」


 ローザローザの声は震えており、早口になっていた。


 彼女の言っていることは事実であり、アランはビオンデッタを異性としてきちんと恋慕の情を抱くまでになっていた。しかしそんな思いをビオンデッタが喜ぶはずもない。


「ただの腕一本で好きになるだなんてどれほど薄っぺらい男なのかしら。ウィト様が私達のためにどれほど命を犠牲になさったか」


 ビオンデッタがつまらなそうに鼻を鳴らした。しかし、ローザローザはアランの動きを観察したままボソボソと呟いている。


「でも、こいつはただの勘違いだとしても、本気で命を捨てる覚悟をしてるんだよ。ビオンデッタちゃんのために命を捧げられる、本当の恋だよ」


 そういうローザローザの目はまるで取り憑かれたように焦点が合っていなかった。


 ビオンデッタは「まずい」とスキルを解き、ローザローザの方を見据えた。この状態のローザローザは、片手間で相手をしてはいけないのだ。


「『あいわなぼんちゅ』『ユアシャタシャタ』……」


 そしてビオンデッタの予想通り、ローザローザは何の断りもいれずに、スキルを発動させようとする。ビオンデッタはそれが死を招く毒を呼び起こすものだと既に察していた。


「こいつらは殺しちゃ駄目よ。ローザローザ」


 ビオンデッタが今までのきびきびした声から一転、母性に満ちた声で注意した。


「恋より愛の方が偉大なことを証明しよう。恋なんかしなくたって、ウィト様の方が偉大だって、証明しようよ」


 ローザローザがくりくりとした大きな目を無表情のまま瞬かせ、ビオンデッタに言う。


「ウィト様はそんなこと、お望みじゃないわ」


「それに、アラン君いい子だよ。こんないい子殺したら、お兄ちゃんが叱ってくれるかも。それで、もしかしたらロザロザちゃんを殺してくれるかも。ズタズタにしながら首を締めてくれるかも」


 ローザローザは詠唱であれば阻止されると思ったのか、アランの眠った身体に近づいていった。ふらつきながらも、顔には愉悦が浮かんでいた。


「はぁ。もう。貴女の狂った性癖にウィト様を巻き込まないでよ」


 ビオンデッタはがさつに自らの頭を掻いた。


「ったく、ローザローザ。大丈夫。大丈夫よ、みんな可愛いローザローザを愛しているわ。もちろん私もよ。みんな、ほんとにみーんな貴女を愛しているんだから。それもずっとよ。ウィト様は一時だって貴女を忘れることはない。だって心から愛しているんですもの」


 そういうとビオンデッタはローザローザを後ろから抱きしめた。そしてローザローザを落ち着けようと頭を撫でる。それでもローザローザがアランの首に伸ばす手を止めないことが分かると、強引に振り向かせ唇に吸い付いた。


 ……それはローザローザの悪癖の一つである。


 彼女はウィトの愛を失うことをずっと恐れている。それはウィトが本当の恋をした途端、自分のことを捨ててしまうのではないかと考えているからだ。


 そして、彼が恋を出来ないせいで傷つけた3人の女性を後悔からずっと忘れられないでいることを知ってからは、自らもウィトに深く傷つけられたいという欲求に捕らわれている。


 例えそれが悔恨や辛い思い出であったとしても、ウィトに忘れられることよりはマシだと考えていたのだ……といっても、あくまで衝動であり、考えた末にそういう判断をしているわけではなかったのだが。


 というわけで、ローザローザがウィトの愛を失う不安に駆られることはよくあることだったし、ウィトに叱ってもらうために善良な生物を殺そうという手段をとることもいつものことだった。


 その衝動は今まで毎回、他のナナヤの巫女が阻止に成功している。


 だから、その時だっていつも通りビオンデッタは慰めにいったのだ。ウィトがローザローザを捨てることなどないのだと言うために。


 そしてそれは、いつも通り問題なく済むはずだった。彼女がローザローザの凶行に気を取られ、『広範聴覚』を切っていなければ。


 ────ザザッ。何者かが立ち止まった音。ビオンデッタとローザローザの二人は、互いの愛を証明するように口付けをしながら、その音を聞き正気を取り戻した。


「あのー、助けに来たんだけど、二人、こんな血まみれなまま何してるのかな?」


 二人の隣には、決起集会で前に立っていたAランクハンターイヴリィが、顔に笑顔を張り付かせて武器を構えて立っていたのだった。


_____________


【大事なお知らせ】

1章の最後に2エピソード追加しました。31話と32話です!

今何が起こっているのかを分かりやすくするための追加ですので、読んでいただけた方が面白いと思います!

もしよろしければご確認いただけますと幸いです!

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