30話 帰還

 その日ジャクリーンはいつぞやの絵を習った日のように、単身で『ラグネルの迷宮』を訪れていた。……そしてこれまたその日と同様に、木陰に誰かが隠れている気配を感じていた。


「アニマさん?」


 ジャクリーンが尋ねると、木陰から現れたものはファハンと呼ばれていた一つ目一本足の魔人とは異なり、眼帯をつけた濃紺色の長髪を携えた美女だった。


「待たせてしまったかしら?」


 アニマは元々170cmを超える長身だと言うのに、さらに森に似合わぬヒールで身長を盛っていた。その他にも、身につけた黒革のコルセットや左右の長さが大きく異なるアシンメトリースカートに、青のタイツ。


 その全ての独特なアイテムが、芸術家肌の彼女のこだわりを表していた。腰に挿したレイピアやコルセットに締め上げられた飾り気のない白いブラウスが少し男性らしさを感じさせたが、そのボディラインは完全に誰しもが憧れるような女性のものだった。


 髪は切れ目なく全てをストレートに伸ばしており、前髪は流すのみでその美しい顔を晒していた。その顔も特徴的な眼帯が目を引く悧発そうで自信に満ちた麗人であり、表情は余裕に満ちた大人の女性の湛える笑みだった。


「いえ、今来たところですよ」


 ジャクリーンは優しい声色で答えた。


 二人の間にはどこかお互いを慈しむような空気が満ちていた。ジャクリーンは前回のナナヤ女神との邂逅により血の涙を流した友人アニマのことを心配していたし、アニマもそのことをつぶさに感じ取っていたからだ。


「そう……ならよかったわ。車椅子、押すわね」


 そういうとアニマは、ランウェイでモデルがするように、脚と共にヒップを動かしながら優雅にジャクリーンの背後に立った。


「人間の女性のように歩くのは大変だったでしょう?」


 自分自身が人間の真似をするようにダンジョンマスターに命じられたときのことを思い出して、ジャクリーンが尋ねた。


 それほどまでにアニマの歩き方は様になっていたのだ……様になりすぎて目を引きすぎるという問題は別にしても。


「別にそうでもないわよ。人間になったときのことを考えて、いつも歩き方のイメージトレーニングはしていたもの。我が主マイ・マスターにみっともない姿は見せられないわ」


 我が主マイ・マスター……ウィトのことをそう呼ぶアニマは、『ラグネルの迷宮』の他のメンバーに引けを取らないウィトが大好きな狂信者の一人であった。


 しかし、ウィトを少しでもからかえば激怒するものも多いなか、であるアニマはジャクリーンにとって接しやすい人物の一人だった。


「そうですか……ウィトさんの体調は?」


 木漏れ日の差す森を静かにゆっくり進む。もはやこの森にはウィトに歯向かうものはおらず、世間話をしながら車椅子を押すアニマとジャクリーンは通学路を歩く幼馴染のようにすら見えただろう。


「今のところ、後遺症は見つかってないわ。あの忌々しい紋章以外はね。我が主マイ・マスターは人間の姿となった私達にとてもお喜びになって、必要な装備を見つけることに御執心なさっているわ」


 あのナナヤ女神との話から一週間が経った。ここまで何もなかったのであれば、一先ずは心配ないだろう。ただ、ナナヤ女神の加護によってウィトの全身に刻まれた文様は、黒いタトゥーのようになって全身に残ってしまっている。


「それは……ウィトさんらしいですね」


 まさか起きてすぐに自分のことよりモンスター達のことを考えるとは。


(……いや、今はもうモンスター達とは呼べませんね)


 ジャクリーンは彼女達が『ナナヤの巫女』を名乗っている……名乗らされていることを思い出した。彼女達自身は不服極まりないと考えていたが、それがウィトの発案だからこそ、彼女達は黙って飲み込んだのだった。


「本当に、我が主マイ・マスターの心が私達とは比べ物にならないほど広いことは分かっていたけれど、あの性悪女神をすぐお許しになるなんてね」


 目を覚ましたウィトは、すでに正気を取り戻して人間の姿に戻っていた。


 そしてなんと、倒れてからの説明を受けた彼は、「俺がナバルビ女神に何でもするって言ったのは本当だしなぁ」と、こともなげに呟いた。


 さらに、「恋した人に全てを捧げるとか言っておいて、都合悪いから反故なんてダサいことはするつもりがないぞ」とも言った。


 「ダサい」とまで言われてしまえば、ナナヤの巫女はウィトが心を殺されそうになったことについて、憤慨こそすれ、正面から女神を批判することはできなくなってしまった。

 

「ウィトさんはあるいは本当に……英雄になられる方なのかもしれませんね」


 ジャクリーンはウィトが起きてからの大立ち回りを思い出した。それまでずっとウジウジシクシクしていた『ナナヤの巫女』達が、ウィトが目覚めて発言する度に、一斉に元気を取り戻していくのだ。


 それはウィトが彼女達に愛されているからという理由も当然あるだろうが、最大の要因はウィト本人が前向きに未来のことばかりを考えていたからだろう。


 そうしてウィトに釣られるように、気づけばダンジョン内でも、後悔の言葉よりも未来の事を口にするナナヤの巫女ばかりとなったのだ。


「あら、今更気がついたの?……それに、我が主マイ・マスターの言葉は確かに正しいわ。結果だけ見れば、私達は


 そう。ウィトの身代が元々ナナヤ女神にあったことを考えると、結果として得たものは、「13匹のモンスターが美しい女性の姿に変身できるようになったこと」と、「ウィトが神との加護をいつでも引き出す能力を身に着けたこと」の2つであるといえる。


 たまに来る女神からの命令を果たさなければならないという制約もあるものの、それすらも形骸化していただけで元々存在していたものだ。

 

 結果として交渉は、大勝といえるだろう。そう考えれば、ウィトがむしろナナヤ女神に感謝をして、モンスター達の呼称を「ナナヤの巫女」としたことも、分からなくはない。


「あと失ったものは、プライドだけですもんね」


 ジャクリーンはそう言ってアニマに笑いかけた。……この発言は大人のアニマと、彼女と仲が良いジャクリーンの二人だから出来たことであって、他のナナヤの巫女であれば悲しむか怒っていただろうことは間違いない。


 (……彼女達が失ったプライド。最も愛する者を守れなかったダンジョンモンスターとしての自尊心。初めてのキスを散々にされた女としての自尊心。好きな男の心を、目の前で蹂躙された恋する者としての自尊心)


 しかし、そのジャクリーンの言葉にアニマは、キザに、皮肉たっぷりに笑った。


「ええ。だからこれからするナナヤ女神との対立は、私達のプライドのためのものよ」


 そして、


「ジャクリーンも楽しみにしててね。私は、を懸けて、あのビッチ女神をボコボコに凹まして、あの女の偉ぶった造りのベッドの上で我が主マイ・マスターに抱かれてみせるわ。這いつくばったアイツに、見せつけるようにしてね」


 と、楽しそうに言った。


 あまりにその言葉が、血の涙を流して悔しがっていた一週間前のアニマと違いすぎて、ジャクリーンは笑ってしまった。ここまで彼女達を元気づけられるウィトさんは、やはりこのナナヤの巫女達のマスターにぴったりだと思いながら。


 「元気そうで安心しました。でも、ウィトさんに抱かれているところを見せつけてもナナヤ女神は悔しがらないのでは?」


 ここまでくればもうただの世間話だ。なんとなく熱くなってしまって夢を語るときように、彼女達の会話は茶化すものもなく進んでいく。


 「あら。そうでもないわよ。あのナナヤとかいう女神も一度我が主マイ・マスターに出会ってしまったのだから。きっと私達が女神という存在に育つ頃には彼に惚れきってるわ。そして私は、我が主マイ・マスターにぞっこんのアイツの眼の前で我が主マイ・マスターのこの世で最も尊きモノをしゃぶって、その情けを恵んでやるの。きっと、それで私とアイツはようやく許してやれるわね」


 アニマがクスリと笑いながら、冗談混じりに言った。


「あはは。それは随分と都合いいプランですね」


 ジャクリーンも楽しそうなアニマに釣られて笑みを溢す。


 それがずっと遠く、険しい道のりの果てのものだと知りつつも。


 ……ナナヤ女神をボコボコに凹ます方法を、『ラグネルの迷宮』の交渉人、マルガリータは既に考え出していた。


 それは、


 (……マルガリータさんは交渉人としてウィトさんを守れなかったことを本当に悔しがっていました。でも彼女はきっと、その交渉を通して、きっとの交渉人になるのでしょうね)


 マルガリータはあの女神との交渉のあとずっと塞ぎ込み、ウィトを守れなかった自分を責め続けた。そして、「二度と交渉人を名乗りません」とすら言い切っていた。


 けれど、ウィトの復活と共に元気を取り戻した彼女は、自身の手で女神を破る方法を考え出したのだ。


 ……そしてその交渉によって彼女はきっと、女としてのプライドと共に、交渉人としてのプライドも取り返すのだろう。それがいつのことになるか、200年生きたジャクリーンですら楽しみだった。ともすれば自分が死から解放されることよりも。


 (でも、マルガリータさんの最後の交渉に必要なものは、『』)


 少なくともそれを交渉テーブルに乗せなければ、ナナヤ女神は泣かすことはできない。


 それでも、ナナヤの巫女達は、「そのプランを聞いてようやく楽しみができた」とでもいうように、自信に満ちた笑みを浮かべていたことを、ジャクリーンは憶えていた。


我が主マイ・マスターの恋心を取り戻すのに、世界が必要ならいくつでも捧げてやるわ。平行世界があるってならそれも全部……。いいえ、全ての世界は元々我が主マイ・マスターのもの。それをあるべき姿に返すだけよ。それに…………我が主マイ・マスターの恋人になるなら、確かに世界征服くらいできなければ釣り合いが取れないもの」

 

 ファハンだったときと違ってアニマの整った顔には様々な情報が表現されていた。ジャクリーンには後ろのアニマの顔は見えなかったが、きっと今までで一番楽しそうなのだろうなと思った。


「そろそろですね……」


 ジャクリーンは『ラグネルの迷宮』にいる時間も好きだったが、無二の友であるアニマに車椅子を押されているこの時間も嫌いではなかった。


 (思えば、脚を失ってから、車椅子を自ら押してもらうくらい信用した人は、アニマさんが初めてかもしれませんね)


 アニマもそんなジャクリーンの感慨を感じ取ったのか、ジャクリーンの髪を一度さらりと撫でると、


「そうね。今日は楽しみにしていてね」


 なんてことを言った。ジャクリーンは意味がわからず振り返るも、アニマはにっこりと笑みを湛えるだけだった。


 XXX


 ……ダンジョンに到着した二人はテレポートを使用して、コアルームに到着する。


 到着したジャクリーンはすぐに、何か様子がおかしいことに気がついた。


「よく来てくれましたね!」


 ウィトの声がする、気づけば、テレポーテーション装置の周辺は、何やら円錐状の形をしたアイテムを持つ、ナナヤの巫女達に囲まれていた。


 そして……パァアアアアン!!と轟音が響く。


「きゃああああああああ」


 騙された!彼らを信用しきっている私が、世界征服の一歩目として選ばれたんだ!


 と、ジャクリーンが命の終わりを待ちながらこの世の全てに絶望していると、そこに降ってきたものは紙吹雪だった。


 ……一応注意しておくと、クラッカーを知らないものに突然クラッカーを向けてはいけないことは憶えておくべきだろう。


「驚きました?……俺が生き残れたのはジャクリーンさんのした質問のおかげって聞いて、お礼のパーティーの準備をしていたんです!森のモンスター達も手伝ってくれたんですよ!」


 周囲を見ると、ナナヤの巫女となった超絶美女達がニコニコとジャクリーンを取り囲み、「ありがとー」と言っていた。それは、女のジャクリーンにとってすらもこの世の絶景と思えるような。四方四季と呼べる状況だった。


 そして、いつもご飯をごちそうになっている卓上にはジャクリーンさん用!と書かれたたすきのかかった大きな椅子と、超豪華な料理。さらに、ジャクリーンが大好きな名のしれたビールが、所狭しと並んでいた。


 中心のウィトはただただおめでたいとばかりにニコニコ笑っている。


 その光景を見て、呆気あっけにとられながら、ジャクリーンは思った。

 

 (ああ……これが私とリュウジョウが知らなかった幸せのカタチなんでしょうね。けど……)


「ウィトさん!遊んでる場合ですか!女神の指令に、エティナの支配!それに、私のダンジョンのことも忘れたとは言わせませんからね!!」


 (なんでこの人は、こんな大変なときにいつも遊んでばっかりなんですか!)


「今日だけ!今日だけはせっかくパーティの準備したんだから楽しみましょうよ!」


 ……その後、結局ウィトに根負けしたジャクリーンがビールを開けると、ナナヤの巫女達もそれに続いた。


 そうして、もはやパーティ会場となったダンジョンで、ジャクリーンを含めた14人の美女とウィトは、未来の楽しみに胸を踊らせながら酒盛りをして過ごしたのだった。

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