感想魔はかく語りき

夢月七海

2023年

1/19 カズオイシグロ『わたしを離さないで』


※別のエッセイに書いた内容を、少々変更して載せています。


 優秀な介護人として、イギリス中を回る仕事をしているキャシー・H。その仕事を終える直前に、彼女はヘールシャムという施設で育った日々や、大切な友人であるルーシーとトミーのことを思い返す。

 ノーベル賞文学賞受賞作家である、日本生まれでイギリス在住の作家、カズオイシグロさんの代表作の一つ。思春期とモラトリアム期のもどかしい気持ちをしっかり描き、三人の人間ドラマでありながらも、サスペンスやSFのエッセンスを盛り込んだ、唯一無二の一作だった。


 キャシーが回想するヘールシャムの思いでは、集団生活の中で、どう人間関係を築くのかや周りの目を気にする様子など、読み手にも心当たりのある感情が丁寧に丁寧に描かれている。その分、不可解な描写もあるのが特徴的だ。

 その、不可解さが判明し、そして、キャシーたちの正体や運命が判明した瞬間は、鳥肌が立った。まあ、私は何となくのあらすじで知っていたのだが、それでも衝撃的だった。


 そうだと知ってからだと、作品世界が別の色を見せてくる。キャシーたちの言動や周りの行動に、胸がざわざわとしてくるのだ。

 特に、第二部がその印象が強い。モラトリアム期間の中で、私って何者だろう、将来はどうなるんだろうと考えるのはあるあるだと思うのだが、その問いが、彼女たちの場合、非常に切実にそして残酷さも持って迫ってくる。だからこそ、喧嘩をしてしまったり、勘違いしてしまったりの描写に、胸が苦しくてたまらなくなる。


 本作は、キャシーという1人の女性の半生を描くことで、その特殊な立ち位置故に、彼女がどう考えているのか、どう感じているのかが丁寧に丁寧描かれて、その心情や見えている景色が手に取るように伝わってくる。

 ただ、その分、キャシーたちとは違う人たち、いうなれば、普通の人たちがどんな風に彼女たちを見ているのかが分かってしまう場面が、胸に刺さる。これは、寓話としても読めるのだが、と同時に、世界のどこかで今も起きているのことなのかもしれない。


 フィクションに触れることの醍醐味は、共感することと自分とは違う誰かを知ることというのがあると思う。青春時代のあのもどかしくも輝かしい日々の思い出に頷きながらも、キャシーだからこそ感じているものに、感情が揺さぶられる。

 キャシーが介護人を辞めても、あの世界は変わらない、いや、もしかしたらもっと酷いことになるかもしれないということが示唆されている。だからこそ、キャシーの思い出や魂、そして愛を、深く深くこの心に刻みつけるような読後感だった。






















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