78 鈴音の精神体

 犬の姿をした、豊矛様の娘と名乗る土地神が現れてしまった。


 最初こそ呆然としていた美晴だが、人懐っこい様子に欲望が抑えきれなくなったのか、恐る恐る手を伸ばす。上からではなく、下からそっと。

 その指を舐められ、くすぐったそうに身をよじった美晴は……


「なあ、鈴音。そのもふもふ、触ってもええかな?」

「うん、いいよ」


 そう言葉を返した鈴音は、撫でてと言わんばかりに美晴に身体を寄せる。

 少し大きな小型犬……というか、子犬って感じだろうか。白、こげ茶、きつね色のトライカラーで、ブラウンの瞳。少し大きな耳は先が前に折れ曲がっている。

 鈴音に迫られた美晴は目を輝かせ、頭を撫で、身体を撫で、抱き締め、顔を埋め、次第に大胆かつ激しくコミュニケーションを取り始めた。

 ベッドに腰掛けたままだった俺は、その様子に安心しつつ、ゴロンと横になる。


 視界を切り替え、鈴音がいる空間を眺める。だがやはり、雫奈たちと同じように、魂の形や数値が出てこない。

 まあ、この確認はついでのようなものだ。

 俺は精神世界で、二人に向かって呼びかける。


「雫奈、この犬、豊矛様の娘とか言ってたけど、これもやっぱり土地神か?」

「ん~、多分ね。気配は神社の苗と同じだし、断定はできないけど、全くの無関係ではないと思うよ」


 なんだか、はぐらかされたような気もするけど、雫奈にとっても予想外の出来事なのかもしれない。

 優佳も話に加わってきた。


「姉さまが今朝、苗の周りを縄で囲ったからかも知れませんね」

「優佳、どういうことだ?」

「神社を訪れる方も増えましたから。その、主に子供ですけど裏庭にまで入る方もおられまして、苗の根元を踏んだり悪戯されては困ると、時末さんが心配されていたのです。なので、三藤さんが見つけて下さった縄で、今朝、姉さまが、苗の周りを囲ったのですよ」


 人が立ち入らないように、ロープを張ったのだろう。

 それで完璧に守れるとは思わないが、妥当な措置だと思う。


「それと、何か関係があるのか?」

「恐らく……ですけど、それが注連縄しめなわの役目を果たしているのではと思います。兄さま」


 頭の中に、しめ縄のイメージを思い浮かべる。


「たしか、和紙で作ったギザギザで飾ってある縄だよな。まあ、ご神木にはつきものだし、それっぽくていいんじゃないか?」

「注連縄は現世と神域を隔てるものと言います。注連縄の内部が神域となったことで、ご神木の力が強まったのだと思います。兄さま」

「それって……、あの犬は、ご神木の苗をご神体にして現れた神様ってことか?」

「そうだと思います」


 豊矛様のご神体であるご神木より生まれたのがあの苗だ。

 その苗をご神体にして現れた土地神だから、豊矛様の娘と名乗ったと……

 いやいやいや……


「だとしても、犬になるってのはさすがに変だろ? いやまあ、アレの中には神木粉が入ってるけど、それでも……」

「だったらボクにも、人間の身体を作って。ご主人様」

「……!?」


 突然、第三者の声が割り込んできて、俺は飛び上がるように驚いた。

 いやまあ、精神世界に潜っておらず、眺めている状態なので実際には動いていないのだが、それでも心臓が跳ね上がったような気分だ。


「誰だ……とか、聞くまでも無いよな」


 精神世界に投影された現実世界の犬が、美晴に抱きかかえられ、撫でまわされながらも、こちらをじっと見ている。

 それにしても、美晴には驚かされる。

 いくら大好きだといっても、突然現れて人の言葉を話す犬が現れたら、気味悪がって当然だし、ヤバイ相手かもと警戒して当然だと思うのに、完全にペットとして受け入れている。


「鈴音……で、いいんだよな」

「うん」

「まあ、このままじゃ、爺さんに会うのが怖いからな……」


 まさか、「あなたの娘、犬になっちゃいました」とか、恐ろしくて報告できない。

 豊矛様の逆鱗に触れたら、相手が俺だろうが容赦なく一刀両断にされそうだ。


「デザインぐらいならいくらでもしてやるよ。そうだな……何かリクエストとかあるか?」

「ん~、分かんない。……けど、だったらボクの姿、見てみる? えっと、なんだっけ、潜る? ……を、お願い」


 少し言葉遣いが怪しいが、それはそれで、なんだか微笑ましい。

 とはいえ……


「視界の共有って、祝福を受けたことによる裏技っていうか……そういう副作用みたいなもんじゃないのか?」


 現実世界では、鈴音が俺の顔をペロペロ舐めまわしているように見えるんだが。

 これはもしや、いいから早くやれという催促なのだろうか。

 まあいい。言われるがまま、俺は意識を集中して、精神世界に潜った。

 すると、すぐに鈴音の精神体が現れた。


「初めまして、ご主人様。ボクが豊矛様の娘、鈴音だよ」

「俺は繰形栄太くりかたえいただ。気軽に栄太って呼んでくれ」


 ボクっ娘に加えてこの声なので、なんとなく想像できていたが……

 黒髪に金メッシュのボブカット。目は茶色っぽく肌は色白。しなやかに鍛えられた肉体で、立ち居振る舞いからボーイッシュな印象を受ける。

 身長は美晴と変わらないぐらいだろうか。年齢は美晴よりも幼く見える。まあ、神様の年齢なんて、見た目や印象で分かるもんでもないだろう。

 苗と同じと考えていいのなら、生まれて数日しか経っていないし、それまでの豊矛様の知識や経験を引き継いでいるのなら、推測することすら無意味だろう。


 服は、和装ではあるのだが、袖や裾が短い法被はっぴのような感じで、その上に羽衣を纏っている。それに裸足だ。

 元気いっぱいで表情が豊か。とても人懐っこい様子が見て取れる。

 まあ、ひと言でいえば、犬耳、犬尻尾が似合いそうな女の子だった。

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