53 我に屈服せよ!
すぐ近くに嫌な気配が現れたと思ったら、爆発するように膨れ上がり、一気に強さを増していった。
俺に感じ取れるほどだ。驚いた雫奈が、周囲に視線を巡らせている。
「なんだ、今のは?」
「たぶん裏庭よね。これって時末さんかな……。優佳も一緒にいるみたい」
「あの大男が? まさか優佳が、何かやったのか?」
地震のような揺れを感じるが、実際に地面が揺れているわけではなさそうだ。強烈な
雫奈は先に跳んで行った。
俺にはそんな芸当ができないので、床を這いながら階段に向かう。この波動に慣れてきたら慎重に立ち上がり、なんとか裏庭が見える部屋にたどり着く。
裏庭では優佳が、鬼の形相になった時末さんと戦っていた。それを見て、急いで加勢しようと思ったけど、雫奈に止められた。
「優佳、何があった」
「ごめんなさい、兄さま。ちょっと失敗しちゃいました」
「失敗? ……で、状況は?」
俺が聞いたところで何ができるってわけじゃないが、雫奈は知っておいたほうがいいだろう。
「囮を使って呪いを引っ張り出そうとしたのですけど、それに気付かれてしまって悪さを始めたようです。呪いは、あの人の魂を憎悪で染めようとしています」
あの呪いには、意思があるのか?
何となく、大男に毒牙を打ち込む蛇の姿を思い描く。もともと蛇っぽいなって思っていたから、イメージしやすい。
促されるまま雫奈の横に座ると、そのイメージをデザインに落とし込んで、視界をカスタマイズしていく。
これでどうだと視界を切り替えて大男を見つめると、イメージ通り、絡みついた蛇が球形の魂に牙を立てていた。
数字も徐々に上がっており、魂の色が黒く……ではなく、少し赤味を帯びて赤黒くなり、数字が増えると共に色が濃くなっていく。
数字は四十七……いや、四十八になった。
「雫奈、俺の視界が見えるか?」
「ちょっと待ってね。……はい、見えたわよ」
それと同時に、俺の横に金髪碧眼の美少女、アキツシズナヒメが現れる。
今日は羽衣和装の土地神衣装だ。
「雫奈、あの毒蛇が呪いだ」
もしかしたらと思い、今度は正面に向かって話しかけてみる。
「優佳、聞こえるか? このままだと、大男の魂が黒に染まるってことでいいんだよな?」
「はい、その通りです。兄さま」
詳しい事は分からないが、どうやら声が届くようなので、そのまま会話を続ける。
「優佳、俺たちに手伝えることはあるか?」
「そうですね。あの人から一瞬でも呪いが離れれば、何とかできるのですが……」
大男を挟んだ向こう側に、ピンク色の髪を持つ妙齢の女性……アキツユカヤヒメが土地神衣装で現れた。
「あの蛇を挑発すれば、こっちに来ないか?」
「危険ですし、たいていは呪いの対象が固定されてますから、普通の方法だと反応しないと思いますよ。兄さま」
だったら優佳は、何を囮にしたのだろうか。
対象が決まっているのなら、あの男の分身とか、偽物を用意するとか?
でも、蛇の好物って言ったら、やっぱり蛙だろうか……
疲れが溜まってきているのか、いまいち思考がまとまらない。
「姉さまの協力があるのでしたら、少し強引な方法を試してみましょうか。兄さまは、そのまま視界を維持してください。それと姉さま、あの人の魂を程よく浄化して頂けますか?」
「うん、任せて。怒りを鎮めればいいのね」
雫奈の手の中に、何かの楽器──弦楽器のようだが銃器のようにも見えるモノが現れ、それをバイオリンのように肩で固定し、弓で弦を擦り始める。
ノリノリな様子で、軽快に演奏しているようだが、音は聞こえない。
身体を回転させたり、大きく身体を逸らせたり、まるでダンスのようだ。
しばらくして弓の動きが止まり、シズナは大きく息を吐き出す。
羽衣和装も悪くはないが、今の動きをするのなら、西洋女神風衣装で見たかった。たぶん……いや、間違いなく、そっちのほうが似合うだろう。
「優佳、準備ができたわよ」
「では、お願いします。姉さま」
再び弓を構えた雫奈が弦を弾くと、楽器から何かが撃ち出された。
それは吸い込まれるように大男の魂へと向かい……本当にそのまま吸い込まれた。
その効果だろう、赤黒く染まりつつあった魂が、徐々に白さを取り戻していく。六十を超えていた数字も徐々に減り、五十を切ってさらに減っていく。
だが、呪いも負けてはいない。再び毒を注入しているのか、数字の減り方が遅くなり、再び増え始めた。
その間もシズナは演奏と射撃を繰り返している。
そんなことをして、この男は平気なのだろうか。
この視点だから数字や色が変わるだけだけど、これが優佳の視界なら、さぞかし恐ろしい光景になっていることだろう。
男の魂は再び六十を超える。
そこにシズナの空気の弾丸っぽい何かが吸い込まれ、再び白さを取り戻す。
男の身体が変な痙攣を起こしている。
かなり心配な状況だが、ユカヤは気にしていないようだ。
「では、姉さま、始めますね」
「いつでもいいわよ」
男の動きがかなり大変なことになっているが、ここからが本番らしい。
シズナが立て続けに空気の弾丸を放つと、男の魂が一気に白くなり、数字が十七にまで下がった。
やり過ぎなような気もするけど、すぐにまた数字が上がっていく。
ユカヤの攻撃だろう。虚空から鎖が伸びて、蛇を捕縛しようとしている。
男の魂が一気にどす黒くなる。危険を感じた毒蛇が、一気に毒を送り込んだのだろう。数字もあっという間に七十を超える。
空気の弾丸で、また白さを取り戻す。そんな一進一退の攻防が繰り返されている。
徐々に本数を増やした鎖が、とうとう蛇を捕らえた。そのまま魂から強引に引き剥がすと、ここぞとばかりに鎖が何重にも巻き付いていく。
「大人しく、我に従え!」
羽衣衣装のユカヤは、手にした
そのまま高笑いでもしそうな様子に、思わず「ユカヤさん。本性が出ちゃってますよ?」と呟いてしまったが、みんな余裕がないのか見事にスルーされた。
男の身体があり得ない動きをし、シズナの息が上がってきている中、ユカヤだけが元気でノリノリだ。
「呪詛よ! 我に屈服せよ!」
鎖球となって、完全の毒蛇──呪いの姿が見えなくなった。
「姉さま、今です」
そこは、ちゃんと優佳の口調に戻るんだ……なんて思っている間に、シズナが空気の弾丸を、鎖の塊に向かって連続で撃ち込む。
しばらくして鎖の隙間から黒いもやもやが漏れ出てきた。
鎖が消えるとそこには毒蛇の姿はなく、もやもやも消え去った。
男は地面に倒れ伏したままだが、魂の数字は三十八。数字的には問題ないはず。
「優佳、これで終わりか?」
「はい、解呪は成功しました。兄さま、姉さま、ありがとうございました」
完全に観客になっていた俺だが、これでも一応、重要な役目を果たしていた。
この作戦の要というべき、この視界の維持だ。
だけどそれも、ここまでのようだ。
「スマン、限界だ。向こうに戻る」
何とかそれだけ伝えると、返事を待たずに視界を戻す。
意識のブレを感じてから、ゆっくりと目を開けた。
大男は、精神世界で見たのと同じ姿勢で、裏庭に倒れていた。
それを優佳が介抱に向かう。
いや、無造作に担がれて、こちらに運ばれてくる。
疲れ切った俺は、その様子を部屋の中で座って見つめる。
隣に座る雫奈も、さすがに疲れた様子だが、それでも俺に笑顔を向けてきた。
「雫奈、お疲れ。悪いがこのまま横にならせてもらうぞ」
畳に寝そべると、少しひんやりとした感覚が心地いい。それに、匂いも落ち着く。
「じゃあ、わたしも」
隣で雫奈が横になったのを感じながら、俺は眠りに落ちた。
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