17 早朝の不審者

 外が明るくなってきた。

 だからといって、徹夜をしていたというわけではない。

 睡眠なら、たっぷりと取った。

 ベッドから出て、身支度を整える。

 外出する用事はないので、突然の来訪者が現れても恥ずかしくない程度の身支度だ。

 

 隣の部屋に続く通路は、カーテンで仕切ってある。

 まあ、カーテンというよりは、巨大なタペストリーのような厚手の布だ。

 これも、どこかから雫奈が頂いてきた物だ。

 これなら、向こうに通路があるようには見えないだろうし、もし誰かが来ても、ややこしい説明をしなくて済む……はずだ。

 とはいえ、かなり違和感があるので、まだ改良の余地はありそうだ。

 

 そのカーテンが揺れたと思ったら、合図もなしに雫奈が顔を出した。

 

「お願い。外に行くんだけど、エイタも一緒についてきて」

 

 それだけ言うと、顔を引っ込めた。


 いやいや、待ってくれ。

 

「ついて来いって、どこへだ。俺、まだ朝メシ、食べてないんだが?」

「朝ごはんなら、帰ってきてから作ってあげるし、なんなら昼ごはんも作ってあげから。早く行かないと手遅れになっちゃう。だから、栄太も急いで準備して!」


 雫奈がこんなに急かすなんて珍しい。

 しかも、二食分を提供するという破格の条件だ。

 こんな事は、初めてだ。

 よほど緊急にして重要な要件なのだろう。

 ……って、俺、餌付けされてないか?


 まあ、それはいい。

 仕方がないから、急いで外出準備をする。

 カバンはどうしようかと迷ったが、無いと落ち着かないし、ついでに買い物を済ますってのも悪くない。とりあえず、持っていくことにする。


 玄関を出ると、雫奈も隣の扉を開け、ほとんど同時に部屋を出た。




「また、この前みたいに、ケガレが関係してるんだよな?」


 走りながら問いかける。


「うん。急がないとアラミタマになっちゃう。昨日まで、そんな気配、全く無かったのに……」


 どうやら雫奈も困惑しているようだ。


「でも、荒魂あらみたまって神様が荒ぶることだろ? 何かあったのか?」

「それが本来の意味だけど、今回はちょっと違うの。その……、周りに悪い影響を与える魂って言えば伝わるかな」

 

 それは、つまり……

 

「悪霊みたいなものか?」

「まあ、それも含まれるわね。この世界に満ちている魂って、ケガレを溜め込み過ぎると、周りに悪い影響を与えるようになるの。今回は、そういうアラミタマよ」

「植物……は分からないけど、動物とか、人間も含まれるってことだな」

「植物も、動物も、人間も、風や土、石や川、海も含めてこの世界にあるモノ全部よ。でもまあ、今回は人間だから、栄太にも手伝って欲しいの」


 万物には神が宿っている……って、聞いたことはあるけど。

 でもまあ、物に宿る魂が神に等しいって事なら、何となくイメージできる。

 それにしても、いろんなことに巻き込まれてきた気がするのに、知らないことだらけだと気付く。

 雫奈の事も、土地神だって言われたから何となくそのイメージを想像しているけど、実際のところ、詳しい事は何も知らない。

 まあ俺が、深く関わろうとしなかっただけなんだが……

 雫奈のほうでも、できるだけ俺を巻き込まないようにと、気を使ってくれているのだろう。


「なら今回も。その相手を捕まえて、原因を探ればいいんだな」

「そういうこと。頼りにしてるわよ」

 

 雫奈は、さらに走る速度を上げた。

 

 頼りにされたからには、気合を入れ直すしかない。

 とはいえ、到着する前にバテて、動けなくなったら意味が無い。

 できるだけ全身から力を抜き、呼吸も乱さず、疲れないように気を付けながら、雫奈のあとを追いかける。

 こんなことなら、地味に邪魔なカバンなんて置いてくればよかったと後悔する。


 徐々に走る速度を落とす雫奈。

 振り向いて、口元に指を当てている。

 音を立てるなという意味だろう。


 いきなりの早朝ダッシュで、身体が、特に肺が悲鳴を上げている。

 無茶を言うな! ……とも思うが、できるだけ静かに、必死に息を整える。


「スマン、よく聞こえんかった。何か言ったか?」

「えっ? あー、頼りにしてるわよって」


 いや、その言葉なら、よく覚えてる。

 そうじゃなくて、いま何か聞こえた気がしたんだが……

 まさか疲れて幻聴が?

 まあいい。とにかく、今は集中しないと。


「目標の男の人は、その路地を入った所にいるわ。私は反対側にまわるから、両側から挟みましょ。私の声が合図よ。絶対に逃がさないでね」

「ああ、任せろ」


 雫奈が逃がすなと念を押したからには、相手は必死に逃げようとするのだろう。

 反撃される可能性も考えて、息を整えながら心の準備をする。

 そっとカバンを外す。

 地面は薄汚れていたので、すぐ脇の低い塀の上に置き……

 さあ、いつでもこいと、身構える。


「あなた、そこで何をしているの!」


 雫奈の声に合わせて、路地に飛び込む。


 朝のランニングでもしてそうなジャージ姿の男が、中腰のまま雫奈のほうを向いて動きを止めていた。

 ならばと、一気に距離を詰めて、捕まえようとするが……


「うわぁああぁぁ」


 変な悲鳴を上げながら、男は這いつくばった状態で逃げようとする。

 放り捨てられたのは、丸められた新聞紙。

 それが、黒く変色し、煙を上げていた。

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