肉まんと缶コーヒー

灰汁須玉響 健午

第1話

夢を見た。

 久しぶりに見る夢は、内容も何処か懐かしいものだった。

 小さい頃の自分。小さい頃の姫凛。

 まだ、俺と姫凛きりんが幼馴染だった時代の一場面。

 姫凛と同い年の女の子が、近所の悪ガキにいじめられて泣いているところに、勇ましく登場し、その男の子たちに立ち向かう姫凛。女子の中でも一際小柄な彼女だが、度胸だけは一人前だ。いつだって正義の味方。でも結局、スカートを捲られて、少し小突かれて、最初にいじめられていた子と一緒に半べそをかき始める。

 しかたなく俺が出て行き、なんとか悪ガキたちを懲らしめる。

 あの頃は、よくあったパターンだ。

 俺が姫凛に、「大丈夫か」と声を掛けると、今まで泣いていたのが嘘のように泣き止んで、屈託のない顔で笑う。それを見て、いや、それを見たくていつも俺は彼女を助けるのだ。そういう意味で俺もまた、正義の味方だったわけだ。

 最後には、二人で手を繋いで家まで帰る。一つしか違わないのに、あの頃から姫凛の手はとても小さかった。

 俺は自分の家を通り過ぎて、四件先の彼女の家まできちんと送る。姫凛は家に入る前に、必ずもう一度『バイバイ』と言って振り返るので、中に入るまで俺は帰るわけに行かない。その僅かな十数秒が、面倒くさくもあり、照れくさくもあって嬉しかった。

 俺たちは本当に幼かった。

 夢は、そこで終わる。





目が覚めると、当然ながら自分の部屋のベッドの上だった。うっすらと汗をかいている。

まだ鳴った形跡のない目覚まし時計を見てみると、案の定朝の六時半過ぎ。いつもより一時間も早い。第二クールに入ろうかと思ったが、さほど眠気が残っている訳でもないので、スッパリと起きることにした。

手馴れた仕草で制服のスラックスをはき、ワイシャツを羽織る。学ランとカバンを手に持って、一階へと降りた。

 リビングではなく、先に洗面所。袖を濡らさないように最善の注意を払いながら、器用に顔を洗う。歯は、食事の後だ。

 髪の毛をセットして、にへらっと笑ってみる。天然パーマの俺の髪は、便利ではあるが、毎日髪型が微妙に違ってしまうという難点もある。今日は良く決まっている方か。

「はよ~っす」

 そう呟きながらリビングに入ると、奥の食卓に座っている母と姫凛が、天然記念物でも見たかのような眼差しを向ける。

「おはよう、龍秋」

「おは~」

 少し間があって、各々に返してくる。母さんはまだしも、姫凛は何でこんなに早くに起きているのだろう。もしかして、いつもこの時間には起きているのか?

「どうしたの? 早いじゃない。もしかして、今日、傘必要?」

 晴れ渡る気配が十分にする空を見ながら、姫凛が言う。失礼なやつだな。

「ちょっと懐かしい夢を見てな……あ、いや。なんとなく、目が覚めただけだ」

 俺はそう言って席に付く。姫凛の真向かいの席がいつもの俺の席だ。

「丁度良かったわ。一緒に学校行ってくれるでしょ?」

 いいことを思いついた、と言わんばかりに目を輝かせて、姫凛が言った。こいつがこういう顔をするときは大抵俺が苦労すると決まっている。

「そうね、丁度良かったわ」

 母も賛同する。何が、「丁度良かった」のだろう。

「わたしの防具、学校まで持って行って欲しいの」

 そう言って、姫凛はマーマレードのたっぷり乗ったトーストをかじる。

 防具……?ぼうぐ、ボウグ、防具……ああ、なるほどね。姫凛は剣道部だったっけ。ついこの前高校生になった姫凛は、女子剣道部に入部して、今日から部活らしい。初心者なら基本から習うので竹刀と木刀以外は必要ないが、彼女は列記とした経験者だ。二段も持っている。普通、一年生は雑用をやらされるので、はじめから防具をつけて先輩と一緒に練習は出来ないのだが、女子剣道部は去年の卒業で部員が少なくなり、戦力がガクッと落ちたと聞いた。きっとそのせいで、部活初日からヒヨっ子一年生の姫凛が防具をつけて練習することが出来るのだろう。

「ぇえ~」

 わざと不満げに言ってみる。

「ねっ、お願い。だって、ここから結構距離あるじゃない? わたし、女の子よ? か弱いのよ?だから、ねっ? お願い、お兄様」

 可愛らしく手を合わせて上目遣いに俺を見る姫凛。きっと、この仕草を見て言うことを聞かない男子は殆どいないのだろうな、と思う。最近特にモノの頼み方が上手くなったというか、『女』の使い方を極めてきたというか……とにかく、いろんな意味で手ごわくなりつつある。

「分かったよ。どうせ断固拒否しても、持たされるんだろ」

 俺はそう言った。母が居る以上、『持ってあげなさい』といわれ、結局は持つ羽目になるのだ。最初から、逃れようなどとは思っていないさ。

「えへへ、ありがとう。だから好きよ、お兄ちゃん」

 姫凛は破壊力抜群の笑顔で笑いかける。危ない、危ないな、我が妹よ。

 俺は鼻でふんっと笑って、出されたコーヒーを一口飲んだ。

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