第三幕
「なあ少年。あれ、私が造ったオルゴール付き踊り子人形なんだが、貰ってくれるか?」
田舎町の小さな雑貨屋。そこに訪れた少年に、老人はカウンターの上に置かれた人形を指差しながら言った。
「えー。僕オルゴールは要らないよ。それに、これは女の子が持つようなデザインでしょ?」
と少年は拒んだ。
純白のワンピースを身に纏い、しなやかに伸ばされた右手。それが踊り子人形のデザインであった。硝子玉で造られたブルーの瞳。少し持ち上げられた口角。この何とも言い表せない表情が印象的である。
「そうなんだがねぇ。君が嫌なら良いさ。……そうだ。この踊り子人形はな、本当に居た踊り子をモデルに造ったんだよ」
「えっえっえ! 本当に? こんな人が本当に居たの?」
「ああ。これはな、彼女の史上最大の舞台の一場面なのさ」
そう。この踊り子人形はエリーを元に造られたのであった。この老人は、あの大舞台の最後のポーズを小さな台座に忠実に再現していたのだ。
「おじさんはその舞台を見たの?」
「ああ勿論さ。しっかりと見ていたよ。何せ私は彼女の兄妹なんでね」
老人は。いや、ヘンリーは自慢気にそう言った。
「ねぇ! もっと教えてよその人の事」
「ああ良いさ。幾らでも教えてやる」
「やった!」
ヘンリーはあの舞台の事を滔々と語り始めた。
「…………彼女の舞う姿はまるで白鳥の様に優雅だった。柔らかで美麗な表情は白百合にそっくりだったなぁ。……あぁそうだ。彼女を取り巻く全てはね。まるで、まるで誰の心にもある、美しく純粋な願いと祈り。それをふわりと、優しく包み込む様なんだよ」
と、ヘンリーは初めてエリーについて深く語った。これは、あの大舞台から六十年もの月日が経った時であった。
少年はそれまで閉じていた口を小さく開いた。
「うーん。なんか凄くてすっごい事だけは分かったけど、おじさんの言葉は難しいよ。僕にはよく分かんない」
その言葉を聞いたヘンリーは言った。
「悪かったなぁ。まぁ要するに、彼女の舞は人々を虜にしたんだ。外国から海を渡って見に来る人が居る程にね。それ程までに彼女は魅力的だったんだよ」
「ふーん。僕も見てみたかったな」
ヘンリーは遠い記憶を眺めていた。
「ねぇ、今はこの人どうしてるの?」
「エリーはこの舞台の次の年、戦争に巻き込まれて死んだよ」
「戦争……。そんなの無かったら良いのに。そしたら僕もエリーさんに会えたんだろうなぁ」
「まあ、そうかもなぁ」
ヘンリーと少年を取り巻く空気はどこか冷たかった。
それから幾分か経って、少年は快活に言った。
「この踊り子人形、僕が大切に使うよ!」
「おお。そうかい。そうかい。それなら良かったよ」
「お代は?」
「君のそのエリーへの興味だけで充分だ」
「ほんとに?」
ヘンリーは小さく「うむ」と頷くと、踊り子人形をゆっくりと少年に渡そうとする。その動作はまるで、渡すのを渋っている様だった。
「どうか、エリーにいっぱいの愛情を注いでやってくれよ。少年」
「もちろんだよ! 僕の次の次の代まで。いや、もっともっと、ずっとずぅっっと先まで、エリーを愛してもらうよ!」
「……ハッハッハ! それは頼もしいなぁ。ありがとうな少年」
二人を包むのは舞台の上の様な暖色の空気だ。
エリーの纏う純白のワンピースの裾を整え、やっとの思いで踊り子人形を少年に渡し、ヘンリーは、美しい踊り子の頭を優しく優しく撫でた。
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