狼の子供

刈田狼藉

第1話:慣れているのだ。 人が殺し合うのも、身に危険が及ぶのにも。

 

 これは、昔話だ。


 時代は、太平洋二十年戦争の真っ只中の、暫定統一歴・一五八三年。物語の舞台はローディニア合衆連邦共和国のとある州、とある街の、とある郊外。


 夕刻の、すでに日も落ちた薄暗い道を、独り、男が歩いていた。もう若くは無い、三十代の中頃くらいか。痩せてはいたが、鍛えているのだろう、身のこなしは軽く、その足取りには地を咬むような力があった。


 寒かった。初冬の夕暮れなのだから当然ではある。足下から冷気が這い上り、時折鋭く吹き付ける風は、外套の上から容赦なく体温を奪う。


 男は、しかし震えてなどいなかった。鍛えているから、というだけでは無い。慣れているのだ。寒さに、慣れてしまっていた。


 不意に、

 遠く、銃声が鳴った。


 何発も鳴った。

 連続する、ガムシャラな射撃音。

 撃ち合っているのだろう、殺し合いだ。


 しかし男は、表情を変えない。

 足取りも変わらない。

 慣れているのだ。

 人が殺し合うのも、身に危険が及ぶのにも。


 この時代、太平洋を挟んでソユーズ共産主義者共和国連邦を相手に泥沼の「総力戦」を繰り広げていたローディニア合衆国は、経済の低迷と、それに伴う社会不安の増大から、地獄と化して久しかった。


 治安が悪化し、窃盗や空巣、殺人や強盗が横行した。


「列車強盗」


 なんて言う言葉が、歴史上の出来事としてでは無く、その日の新聞の紙面に踊るようになっていた。


 また共産主義者連邦の国内シンパが、日常的に爆破テロや銃撃事件を起こしており、人々は遠方に銃声を聞いたくらいでは、すでに驚かなくなっていた。


 不意に、男は足を止めた。気配を感じたのだ。さびれた道の、脇の家屋から伝わってくる物音とも言えない程の、微かな、しかし不穏な気配。


 刹那、ドアを蹴り飛ばす大きな音がして、人影が三つ、街灯に照らされた路上に走り出た。


 物盗り、だ。


 物盗りなどこの時代、別に珍しくないが、その犯行現場に出喰わすことは稀だろう。運が悪い、という他は無い。


 後ろと、仲間の方に気を取られた三人は、路上に黙って突っ立ったままのその三十男に気付かず、すんでのところでブツかりそうになった。


「ッぶ、ねえなッッ!!」


 三人のうちの一人が、反射的に右の拳を男の顔面に見舞った。乱暴な事この上ないが、早く逃げなければならないし、気も立っていただろう。走る勢いのままに、風を巻き、叩き付けられた拳。しかしそれは、ヒットせずに虚しく空を切った。気が付くと、その拳には男の右の掌が、軽く添えられていた。


「ちッ、———!!」


 窃盗団の若い男は、動きを止めること無くそのまま左ボディアッパーを鳩尾みぞおちにめり込ませた、———筈だった。しかし、


 まるで鉄芯に巻いた硬質ゴムを叩いたような、その硬くて重い手応えに、物盗りの若造は凝然となった。だって、それは、人間を叩いた手応えでは無い。


 物盗りは顔を上げた、そして次の瞬間、眼を見開き、


「うッ、———」


 と言ったまま黙った。


「オイッ!!」


 先を逃げる仲間が、振り向いて声をかける。


「放っとけよ、構うな、警察が来ちまうぞッ!!」


「あ、ああ、………」


 そしてそのまま三人は、若者らしい思い切ったストライドで、飛ぶようにその場を走り去った。


 男は、不思議な気持ちで、固まった若者の表情の、その理由を知るべく、という訳でも無いが、ごく自然に右手で、自分の頬を撫でて、


 そして、


 自分でも、

 驚いてしまった。


 男は、

 笑っていた。


 物凄い笑みが、

 満面に浮かんでいた。










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