夢の旅路Ⅰ

 しばらく道を行くと、真っ白な空間に出た。


 今いったいどこを歩いているのか見当もつかない。


 一つだけ確かなのは、いつもイメージして空間を作り出している場所のどこかにいるということだけだ。


 お祭りを開いてもらえたり、自分で劇場をイメージしたあの場所。


 そういえば、この世界って本のお姉さんの連れて行ってもらった場所以外はこの真っ白な空間と片割れの魂が観られる場所だけしか知らないな。


「そういえばこの地図とこの世界ってさ、どうなってるの? 真っ白な空間で思い描けば自分のイメージした風景にできるのに、地図なんておかしくない?」


 一人で旅をすると言い張って出てきたけれど、わからないことがたくさんあることに気がつき、気になって仕方がなくてついお兄ちゃんに聞いてしまった。


「それはね、僕たち夢魔の居住区が白い空間でできているだけで、他の生き物が暮らしている場所は普通の土地なんだよ。みて、この地図にある白い靄」


 お兄ちゃんは説明しながら、背中の方から蔓を伸ばして地図の一点を指してくれた。


「ここが僕たちがいた場所。ここが今いる場所」


 そう言いながら、蔓で地図を二回トントンとタッチしていた。


 すると、ただの紙の地図が二枚重ねの層をなした。


「僕たちが君の片割れを見守っていたのは魂の層。僕たちが今いる真っ白な空間は夢魔の国って呼ばれている場所だ」


 なるほど。私たちは魂の層から歩いていつの間にか夢魔の国がある層にきてたわけだ。


「じゃ、私が行きたがってた山が存在しているのがこの層ってことか」


 お兄ちゃんは肯定したあと、口を閉ざしてしまった。


 本当に必要最低限以外喋るつもりがないらしい。


 まだ聞きたいことがあるんだけど……ま、いっか! 冒険だし!


 この真っ白なエリアで今いる場所がわかったところで、今どっちを向いてどっちに歩いているのかが皆目見当がつかなくてもう一度質問しようとしたけれど、それを探るのもまた冒険の楽しみだと考え直してとりあえず歩くことにした。




 しばらく真っ直ぐ歩き続けたけれど、真っ白な空間が延々と続いているだけだ。


 たぶんこれは真っ直ぐに違いないと自分に言い聞かせ、もしかしたら、いつの間にか道を戻ってるかもしれないと不安になりながら、自分の信じるまっすぐを歩き続けた。


 あたりは真っ白で本当に真っ直ぐ歩けているのかわからないけれど、きっと真っ直ぐだ。そう自分に言い聞かせ続けた。


 真っ直ぐとはなにか、同じ方角に歩けていることを言うのか、それとも、道に線を引いてそこをぶれずに歩けていることを言うのか。


 哲学の領域に踏み込みそうになるくらい不安になりながら『まっすぐ』について考えこみ、とにかく突き進み続けていると、あたりは真っ白な空間から真っ白な濃い霧の立ち込める景色へと変わってきた。


 夢魔の国を抜けてきたのかな?


 口には出さずに呟いた。


 口に出してしまうとお兄ちゃんが返事をして教えてくれるから、自分で考えて自分で挑戦してみたくて黙っていた。


 きっとまっすぐ歩けていたんだ。


 もしかしたら違うかもしれないと思いつつ、景色が変わったのだから抜けれたということだと希望を持ちながら、そのまままっすぐ突き進んだ。


 一体どんな風景が見られるかなあ。


 真っ白な空間を歩き続けるのは不安なだけで楽しみがなかったからか、少し風景が変わるだけで物凄くワクワクしてきた。


 霧で見えづらいけれど、地面が山の中のように木の根でぼこぼこしていて歩きづらくなっている。山の中と違うのは、坂道になっていない点だ。


 歩きづらくても一生懸命前に進んでいると霧が晴れ、どこまで歩いても見渡す限り木々が立ち並んでいるばかりだ。


 それで今いるのが樹海だとわかった。


 地図にある夢魔の国に隣接した木ばかり描かれている地域。読めない文字の後に、樹海と書かれている地域。


 一体何の樹海だろう? それとも何かの樹海じゃなくて名前のついた樹海だろうか?


 この読めない部分が知りたいけれど、知らないまま突き進むのもまた楽しいだろう。


 そういえば……。


 リュックになっているとはいえ、お兄ちゃんは生きているだろうか?


「おにいちゃん?」


 声を掛けてみると、お兄ちゃんは軽くあくびをした。


「ふぁあ~。どうしたの? その樹海のこと?」


 良かった、生きてる。


「それも気になるけど、そのうちわかるかなって思ってさ。もう少ししてわからなかったら聞くね。そういえば、リュックになってるけどお腹すいたり喉渇いたりしないの? いつの間にか死んでたら嫌だなって思って」


 お兄ちゃんはそれを聞くと楽しそうに笑った。


「大丈夫だよ。僕は花の妖精だから! 空気中の水分、光合成、あらゆるものでなんとかできるんだ。さっきまで濃い霧の中を歩いていたでしょう? 今とっても潤っててお腹いっぱいなくらいだよ。気にかけてくれてありがとうね。もし水が欲しくなったらお願いするよ。君は水が出せるからね。僕が死ぬことはないさ」


 そういやお兄ちゃんと私って相性がだいぶいいな。


 お兄ちゃんは水と日光があればなんとかなる。


 水は私がなんとかできるし、私は私で水分さえあればお腹減ってもなんとかできる。お互い食糧が原因で死ぬことはなくて安心だ。


「じゃあお互い大丈夫そうだね」


 お兄ちゃんと会話しながら歩みを進めていると、木々で囲まれた湖が見えてきた。


 念のため水筒に水をいれておこうかな。


「水場近く特有のひんやりして湿った空気……噂をすればなんとやら、だね」


 お兄ちゃんは目の前にある湖を蔓で指して囁いた。


 私はそれに笑って頷きながらお兄ちゃんを地面におろし、水筒を取り出した。


 気さくなお兄さんからもらった水筒だ。


「それってもしかして」


 お兄ちゃんが水筒に蔓を伸ばしてきた。


 これが何か知ってるのかな? もしかして特別な水筒だったのかな?


 お兄ちゃんの言葉の続きを少し楽しみに待っていると、少し蔓で触れた後に口笛をヒューっと吹いた。


「あの時の冒険で得た道具だね。さすが気さくなやつだ、物を大事に扱って大事に保管して……こんなに状態良く残すなんて。にしても、行き先がわかっているかのような道具の渡し方だなあ」


「ちなみに、この水筒ってなんなの? なんかちょっとひんやりしてるような」


 しばらくお兄ちゃんは手の代わりに伸ばしている蔦で水筒をそっと撫でた後に答えてくれた。


「この水筒はね、今君が向かっている山に住んでいる人々がくれたものなんだ。冷たい状態で中身を持ち歩ける『氷冷の水筒』と中身がアツアツな状態で持ち歩ける『温熱の水筒』があって、冷たい方だね。これは少しひんやりしてるし、気さくなやつが目印で青色つけてたから間違いないと思う。もう一個預かってたりしない?」


 お兄ちゃんの質問に頷き、ちょっとあったかくて赤い印のついた水筒をお兄ちゃんの中から取り出した。


「やっぱりだ。気さくなやつには話してなかったよね? 行先。もしかしてさ、他にもたくさんもらってたりするの?」


 お兄ちゃんの質問に頷き、お守りを取り出した。


「最初はこれだけだったんだけど、後から後からたくさん道具を渡してもらえたんだ。このお守りの中にしまえるらしくて、すっごく便利だよね。お兄ちゃんの中にたくさん詰め込んだら痛いんじゃないかって心配だったんだけど……本当にすごい」


 お守りを開くと、小さなおもちゃのような道具がたくさん詰まっているのが見える。


 つまみ出して手の平の上に置き、数秒したら元の大きさになる。戻したいときはお守りの口にかざすだけで小さくなってくれる。


「痛いかどうかは大丈夫だから心配しなくていいけど……あいつこうやって道具をしまいこんでたのか……知らなかったな」


 お兄ちゃんはしげしげとお守りを蔦で触って感心していた。


「これも僕が話したって言わないでね。気さくなやつはね、道具の扱いがすごく上手な勇者だったんだ。妹さんの影響を強く受けてるって話してた。幼いころ、ある村で一生懸命妹さんと生活していたらしいよ。家族は体の弱い妹さん一人だけで、村のおじいさんのところで世話してもらう代わりにたくさん外で働いてたんだって」


 お兄ちゃんの話に耳を傾けながら湖の水を水筒に入れた。


 見た目よりたくさん水が入ってびっくりしつつも、話にはしっかり耳を傾け続けた。


「それでね、妹さんは気さくなやつが一生懸命働いている間に死んでしまったんだ。おじいさんがね、こっそり虐待してたんだって。妹さんは本が大好きで、気さくなやつが用意した誕生日プレゼントの本をずっと大事に抱きしめて過ごしてたそうだよ。その本に宿ったのが本の虫らしいんだ。相当大事にしてたみたいだね。付喪神が宿るほどの本なんて……」


 そう……だったんだ。だからなんだかあの二人は他のみんなと違った距離感ですごく親しそうだったんだ。


 気さくなお兄さんの昔話を聞いていると胸が痛くなってきた。


 とても大切な妹さんだったろうに……。


「本の虫と気さくなやつは村に復讐をしようとしたんだ。でもね、気さくなやつはやめたんだ。計画通りに準備して、あとちょっとで村全体を滅ぼせる仕掛けを完成させてたんだけど、実行しなかった。そんなことをしても妹は戻ってこないし、妹を亡くした自分と同じ痛みを抱えながら生きる人間をたくさん生み出すだけだって、我慢したんだ」


 そうだったんだ……。


 立派だと思った。立派だけれど、胸のもやもやが晴れなかったし、憧れる気持ちはあんまりなかった。


 どうしてそんなに優しい心のある人が悲しい思いをしなければならないのだろう? どうして?


 疑問ばかりが頭に浮かび、胸が苦しくなってきた。なんて理不尽なんだろうか。


「本の虫は納得できなかったみたいなんだけど、気さくなやつにその気がないのがわかって大人しく従ったみたいなんだ。本の虫にとって妹さんはこの世に生を受けるきっかけをくれた親のような存在だったわけだからね。でもね、実行しなかったとはいえ、気さくなやつは村を追い出されることになったんだ。それはもう酷くぼこぼこにされて追い出されたそうだよ。ボロボロの体を引きずるようにしながらたどり着いた洞窟で優しいあいつに出会って、羽の人に拾ってもらったらしい。それからは羽の人のお願いを聞いて手伝いをしていたら勇者になった。そういう経緯があったから、気さくなやつはああいう性格で、物をすごく大事に扱う勇者になったんだ。彼が勇者として活動していた時『ツールロード』とか『ウェポンマスター』とか『万能の勇者』とか、とにかくなんでもできるような呼び名がたくさんついていた。たまに『アサシンキング』とか『キリングマシーン』なんていう物騒な名前もつけられたりしてたっけ。覚えきれないくらいの名前だったよ。その世界も滅んじゃうんだけどね」


 なんだか救いのない話だな。


 聞いていて素直に思った感想だった。どうして優しい人ほど救われないのだろうか。ハッピーエンドなんて物語の中にしか存在しないのだろうか。


「気さくなやつの妹さんは道具をとにかく大事にしていたんだ。気さくなやつはそれが最初は理解できなかったけど、妹が死んで、自分も死にそうになって、何もない状態で冒険をして、道具は一番頼りになる相棒で、大事にすべきパートナーだって気づけたそうだ。妹さんは体が弱かったから、何か道具があることのありがたさを何よりも理解してたんだろうなってよく話すんだ。気さくなやつは大事な仲間が心を込めて用意してくれたプレゼントのことをより一層大事にしていた。妹が自分の用意したプレゼントをそうやって大切にしてくれたようにね。それになにより、本の虫みたいに命を宿す事例をその目で見てしまってからは道具を大事にすることの偉大さを理解できるようになったんだってさ。実は君たちの前で話していないだけで、僕たちといるとき妹の話を未だにするんだ。気さくなやつの中では妹が今でも一番大好きで大事な存在なんだなって、いつも思うよ。相手が自分とどんな関係であれ、そうやって大切に思えて、話にしたくなる存在って良いなあって思うんだ。それでね、気さくなやつが道具を託すってことは滅多にないことなんだ。プレッシャーをかけるようなこと言って悪いと思うけど、大事に扱ってほしくて」


 お兄ちゃんの言いたいことも気持ちも理解できるけれど、水筒はやっぱり使うべきじゃないんじゃないかと躊躇してしまった。


「使いづらいわ! 水入れちゃったよ! 手入れの方法とか手入れの道具とか合ったっけ」


 水筒の中から湖の水を出し、自分が作り出した水泡で水筒の中身を綺麗に洗った。


 逆さに干してたら大丈夫かなあ。どうしたらいいんだろ。カビ生えたりしないかな?


 セラピストのお兄ちゃんは大慌てで謝罪してきた。


「そ、そういうつもりじゃなかったんだけどな……。君のことだから乱暴に扱わないってわかってたし、大事にしてくれるって思ってはいたんだけど、気さくなやつは素直じゃないから、どういう気持ちで渡したのかわかってほしいと思って話しただけだったんだ。本当にごめんね」


 言いたいことはわかるけども……!


 何とも言えない気持ちになってしまった。


 とにかくお兄さんから預かった道具はお守りの中に封印して大事に保管して持ち歩こう。心配だから周りを氷で覆っておこう。


 あれからトラウマだった氷を克服し、自分を氷漬けにしたり、何かを氷で囲い込むことができるようになった。


 あっちで頑張っている片割れも、馬跳びのトラウマを克服できると良いな。


 馬跳び挑戦しようと頑張ってみた結果、みぞおちを打って気絶してから馬跳びが怖くてたまらず、できなくなった上にトラウマになった片割れ。


 私は克服したぞ。


 聞こえてはいないだろうし、伝わらないだろうと思いつつ、胸の内でそっと呟いてエールを送った。


「ごめんね。せっかく便利な道具たくさん取り揃えてもらえてたのに」


 お兄ちゃんはすごく申し訳なさそうにしているけれど、私は笑って首を横に振った。


「大事に使うつもりではあったけどさ、何があるかわからないのが人生ってもんでしょ? もしいま石の上に落としてへこませたらとか、カラスが急にかっさらっていったらとか……いろいろあるじゃん? だから、そんなに大事に扱われてきた道具だって、何か起きる前に知れてよかったよ。私はおっちょこちょいだしさ。何かあってから言われるよりずっといい。ありがとね、おにいちゃん!」


 お兄ちゃんはすごく照れくさそうに蔓で蓋になっている葉っぱの部分を撫でていた。


「……そう言ってくれると、気が楽になれるし嬉しいね。ありがとう。君は二つに分かれても、大きくなっても変わらず心が綺麗だ」


 あんまり褒められ慣れていなくて、そうやって言われると嬉しすぎて思わずお兄ちゃんをひっぱたいた。


「あいたた。頑丈だけど叩くのはちょっと違うよ」


 お兄ちゃんは叩かれた部分を蔓で撫でている。


「う、うるさい」


 顔が熱くて気が動転して、汽車みたいに走り回ってしまいそうだ。


「あはは。そっか、褒められ慣れてないんだね。嬉しいことを言われ慣れてないとかありそうだね。もっと普段から褒めてたら良かったかな?」


 ここまでくるとムキになって首を横に振って否定した。なんだか気持ちを読まれて見透かされているみたいで恥ずかしい。


「素直じゃないなあ。そう育っちゃったのは僕らの責任か。もっと褒めてたら良かったな」


 お兄ちゃんの言葉が全部恥ずかしく感じられ、顔を両手で覆い隠しながらその場を後にした。


 背負っていて一緒にいるから離れられなくて意味がない行動だけど、歩いたりうろうろせずにいられないくらい心が落ち着かなかった。


 お兄ちゃんは私の心境を察してか、それっきり何も話さなかった。


 そのうち、水筒もいい具合に乾いたからお守りの中に大事にしまって、外側を氷のカバーで覆った。




 樹海はちょうど目指している山の麓に広がっている。


 歩き続けていると、木々の間から山が見える場所にまで到着した。


 現実にある樹海と山といえば富士山と青木ヶ原樹海だけれど、地図で見る山も樹海も知っているものとは違っていた。


 富士山は青と白色がイメージカラーとして真っ先に浮かぶけれど、目の前の山はケーキのような色をしていておいしそうだった。


 白と黄色でショートケーキ色。


 山の頂上がうっすら赤色に見えて、あれはイチゴソースか、イチゴか何かが乗っているようでさらにおいしそうだ。


 樹海には林檎の木にみかん、桃、いろいろな実のなる木ばかりが見えてくるようになり、なんだかすごくお腹がすいてきた。


「もしかして、この樹海って果物の樹海だったりする?」


 お兄ちゃんに聞いてみると、あははと笑われてしまった。


「その通りだ。すぐわかっちゃうよね! もしかして名前もわかった?」


 その質問には首を横に振った。


「わからない。自信ないけど、おかしな樹海とか?」


 お菓子とおかしなを掛けてみたけれど、当たってなかったらなんか寒いギャグ言っただけみたいで恥ずかしいな。


 口に出してからそんなことを思いつつ、そういえばなんでこの部分だけ読めないのかが気になった。


「当たり。みんなここに来たらお菓子をイメージするんだ。それでついた名前なんだよ。で、地図を作った人が後で恥ずかしくなったのかわからないけど、文字を消しちゃって……。それで読めないんだ。大丈夫、君があっちの人間で、真っ二つにされたから読めないわけじゃない。僕たちみんな読めないんだ。あの山もこの森もお菓子でできてるわけじゃないんだけど、みんな思うことが似通ってる場所ってなかなか面白いと僕は思うよ。ちなみに、あの山は雪が覆いかぶさってる山肌が黄色いだけの活火山だよ。あのイチゴっぽい色はマグマの色が周りにある雪を照らしてるだけなんだ」


 活火山か。初めての冒険の行き先にとんでもない場所選んじゃったな。


 そんなことを思いながら改めて山を見上げてみると、山の中腹あたりからキラキラ光る何かが飛び出し、空を舞っていた。


「お菓子じゃないって聞いてもおなかすいてきちゃう山だな。ところで、あれはなに?」


 お兄ちゃんに聞きながら体を横に向け、どこに目がついててどうやって見ているかわからないから、お兄ちゃんに聞いているものが見えるように気を遣ってみた。


「あはは。実は蔓の先で景色を捉えられてるから大丈夫だよ。でも、気遣いしてくれてありがとうね。あれは……例の過激なやつの片方だよ。多分、文句を言いに行ってるところなんだ。これから喧嘩が起きるかもしれないから注意して」


 お兄ちゃんがそう言い終えた途端に山の頂上で爆発が起きた。


「はじまったかあ。今日はこの辺で遊んでから行くと良いんじゃないかな」


 お兄ちゃんの言葉をよそに、私はすごくワクワクしていた。


 爆発が起きた後、ケーキの上に粉糖を振っているかのような白い粉が山の上にハラハラと落ちている。


 一体何が起きたのか、どうして爆発が起きたのか気にならずにいられなかった。


 気になりだすといつの間にか駆け出していた。


「え、待って! 今行くのは危ないよ! 君を危険から遠ざけるためのガイドとしてついてきたのに!」


 背中からお兄ちゃんの叫び声が聞こえてもお構いなしに山へと走った。


 足元にある木の根に引っかからないよう、しっかり注意しながら走るのは大変だったけれど、なんとか山の麓までこけずにたどり着くことができた。


「やめた方がいいよ。巻き込まれたら大怪我しちゃうかもしれないよ」


「でもどうしても気になっちゃって。だって、爆発の後粉糖みたいなのが降ってたよ!」


「あのねえ……あれは粉糖じゃなくて粉雪だ。氷の部族と炎の部族が喧嘩してるの。火と氷がぶつかり合ってできた蒸気が冷えて粉雪になってるだけなんだ。お願い、物凄く危ないから無茶しないで」


 お兄ちゃんの説明を聞いて好奇心が幾分かおさまったこともあり、お兄ちゃんが心から心配していたこともあって、素直にお願いを聞くことにした。


 本当は今すぐ登って直接この目で見たくてたまらなかったけれど……。


「わかった。見たかったなあ。で、どうして喧嘩を?」


 気になったことをとりあえず聞いてみた。


 自分で調べて知っていくのも楽しいけれど、どうしても好奇心を抑えつけるのが難しくて、知らずにいられなかったからだ。


「上が熱すぎると下まで熱気がきちゃって、いろいろ困っちゃうんだってさ。それで冷やして抑えに行くんだけど、上の連中は冷えたくなくて大喧嘩。お互い快適なちょうどいい温度を見つけて維持すればいいのに、お互い過激で極端だからしょっちゅう喧嘩するんだ。気さくなやつがちょうどいい温度を見つけて、温度管理が過度な両方の部族に加減を教えて多少喧嘩が少なくなったはずなんだけどね。またどうして喧嘩してるのやら。出来れば関わりたくないんだけどなあ……」


 事情が分かると余計に気になってしまいつつ、お兄ちゃんが珍しく最後の方愚痴っぽいことを言っていて笑ってしまった。


「な、何がおかしいの?」


 お兄ちゃんがうろたえながら聞いてきてそれが余計におかしくて笑ってしまった。


「だって、愚痴っぽいこと言うなんて珍しいなって思って! 普段すごく落ち着いていて大人びてるお兄ちゃんが慌ててるのが余計面白くて!」


「誰のおかげだと思ってるんだよ……」


 お兄ちゃんは少しへそを曲げたような様子で呟いた。


「ごめん、ごめんなさい! ちゃんと言うこと聞くよ~。だから機嫌直して?」


「本当だね?」


「うん!」


 冒険って楽しいな。誰かと一緒にいて笑っているのも楽しい!


 しばらくずっと忘れていた気持ちだった。


 童心に返ったような心地に心が躍りながら、冒険一日目はこの辺の木の実を食べて歩くことにした。


「木の実食べ歩きツアーで今日の冒険はおしまいにしようと思うんだ。野宿初めてするけど楽しみだなあ」


「野宿も任せて。僕がこのまま大きくなれば中に入れるから」


 お兄ちゃんの化けたリュックの便利さに甘えそうになったけれど、それは断ることにした。


「そしたらちょっと楽しみが減っちゃう。簡単すぎる上に楽だとつまんないよ。多少の困難あってこそ冒険はワクワクするもんでしょう? ちょっとスリルがほしい。あと、お兄ちゃんの中からだと夜空が見えづらいかなって。蓋あけてくれるのかもしれないけど、外の様子も見てたいしね。と、いうわけだから今日は私が水のテント作って野宿だよ! スケルトンハウスみたいでなんかちょっとやだけど、空はよく見えると思うんだ」


「ちょっと嫌なのか……。だったら見られたくない部屋には葉っぱつけたげる」


「それいいね!」


 野宿の予定を二人で話し合いながらその辺をうろつき、適当に見かけた木の実を頬張った。


 お兄ちゃんには水があれば良いといっても、食べられなくないから桃や林檎を一緒にほおばり、美味しいと褒めちぎりながらたくさん食べた。


 桃やリンゴ、みかんだけでなく、ぶどうや栗、梨、四季折々のたくさんの木の実を見つけて手に取って食べた。


 こんだけたくさんあるのだから、一種類一個ずつでも満足できそうだなあ。


「全部で何種類あるか数えながら食べてみる?」


「いいね」


 お兄ちゃんと楽しみながらたくさんの木の実を食べ歩いている間、山の方から聞こえてきた爆発音は木の実の種類をはるかに超えていた。


 一体何種類あったか、何度爆発音が聞こえてきたかなんて途中から数えるのをやめたくらいには多かった。


 お兄ちゃんの忠告通り、登らなくて良かったな。


 好奇心のまま登らなかったからこそ、こんなに楽しく安全に美味しい物を食べられたから最高だ。一緒に来てもらえてよかったな。


 最初は一人で旅に出る予定だったんだけど、お兄ちゃんの進言と提案があって本当に良かったとしか思えなかった。




 お腹がいっぱいになるころには日が暮れ、爆発音も聞こえなくなっていた。


 夜は静かに眠れそうで安心したよ。果物食べてる間は音なんて気にならなかったけどね。


「じゃ、水でおうち作るよ」


「隠してほしい部屋の数を教えて。僕が葉っぱ作るから。とりあえずどれだけ必要かを計算したい」


「ありがとう! お兄ちゃん任せた! 部屋は2つ! 風呂場とトイレの壁」


「オーケー任された」


 水がどうやって作り出されてるのかわからないけれど、片割れに被り物を作った時の要領で水を生成して形成した。


 被り物と違うのは水でどう仕切りを作るかが大変なところだ。


 複雑な家にするには形成するための強いイメージがかなり必要になる。一晩だけの家だし、簡単な家にするからそこは問題ないけどさ。風呂とトイレ、ベッドさえあれば問題ないからね。足りないと思ったら増やせばいい。


 目を閉じてイメージし、水を操り、目を開けると想像通りの簡単な家が建っていた。


 壁が透けてるから中もイメージ通りかが外からじゃあんまりわからない。


 お兄ちゃんの方を見てみると、地面に蔦を這わせて植物を育てている真っ最中だ。


 とても集中している様子だったので、先に内装の確認をさせてもらおう。




 内装もイメージ通りだったけれど、トイレが少し狭いのと、風呂場がちょっと広すぎるようだった。


 イメージだけじゃ広さがどれだけあればいいかを考えるのは難しいんだと気づかされる。


 トイレの壁を風呂場側へ少しだけ動かして調整すると、ちょうどよい広さになった。


 もしこれが両方狭いなら部屋側へ動かせばよかったし、逆もまたしかり。


 水って本当に柔軟で心に自由を感じられて最高だな。


 挑戦があって、実際に確かめることで気づけることがあって、改良してより良くしていける。すごく楽しいことだ。


 家の内装に満足し、楽しい気持ちを噛みしめていると、お兄ちゃんが蔦を振っているのが見えた。


 壁が透けているから外が見えるのって便利で良いな。便利なことばかりじゃあないんだろうけどさ。


 外に出てお兄ちゃんに声を掛けてみると、葉っぱができたということだった。


「これくらいあれば足りそうだね。足りなかったらまた育てるよ。それで……自分からリュックになっておいてこういうのはあれだけど、中身を全部出してもらえるかな?」


 たいした数をいれていないどころか、気さくなお兄さんからもらったお守りのおかげで道具はみんな玩具サイズにしてお守りの中に入れてある。


 だから正直なところリュックはもういらないけれど、お兄ちゃんが背中にいてくれるとなんとなく落ち着いて安心できるから背負っているだけだった。


 でもそれを正直に言うと傷ついちゃうかな?


 なんとなくそう思ったから、お兄ちゃんには何も言わず、黙ってお守りだけを中から取り出して身に着けた。


「出したよ!」


 お兄ちゃんはしばらく静かにしていたけれど、みるみるうちにウツボカズラの姿から元の姿へ戻った。光合成で大きくなった後のあの姿に。


「ありがとう。……ところで、もしかしてリュックはもういらない?」


 お兄ちゃんからの質問に気まずくて目を逸らしていると、軽くため息をつかれてしまった。


「早く言ってくれたらよかったのに。なんとなくお守り見た時から思ってたんだけどさ」


「ご、ごめん……。良かれと思ってリュックになってくれてるから言いづらくって」


「まったく……。君に安心して背中を預けてほしかったんだけどな。いろいろな意味で」


 お兄ちゃんは少し元気がなさそうに目を閉じていた。


 小さい姿だと可愛らしくて愛嬌があったけれど、光合成した後のこの姿は大人びていてとても格好良かった。


 童顔で目が大きくて顔が整っていて格好いいし、目を閉じると少し神秘的で魅力的でもあった。


「何か聴きたい?」


 そっと目を開けた後に聞かれてはっとしてしまった。


 いつの間にかじっと見つめてしまっていたことに気がつき、慌てて視線を逸らしながら考えたけどぱっとうかばなかった。


「と、とくにはないかな~? あはは」


「そう? じゃあ、適当に演奏してていいかな? お風呂入るだろうと思ってさ。何かBGM代わりに流そうかと」


 物凄くありがたい申し出だった。


「お兄ちゃんの演奏は何でも好きだよ。弦でも管でもなんでも。聴いちゃいけないあの曲でも」


 最後は少し冗談めかして言ってみたけれど、お兄ちゃんは真に受けたらしく、少し困った顔をしていた。


「あれは……聴かせちゃいけないから」


「冗談だよ。ごめんね。じゃー……星空に合いそうな曲は難しいリクエストかな? お風呂場から見上げたら星空が見えるようにしてるんだ。あ、でも山の上から見えちゃうかな?」


「そこは心配いらないよ。特別な葉っぱを選んであるから。こちらからは透けて見えるけれど、反対側からは見えないようにしてくれる葉っぱだよ。お風呂場とトイレの壁と天井にはりつけてあるから安心して」


「お兄ちゃん……! ありがとう!」


 そんな魔法みたいな葉っぱがあったのか! すごい!


 感動しながら、感激しながらお兄ちゃんに抱き着くと、お兄ちゃんは顔を真っ赤にして困ったような顔をしていたけれど、背中をぽんぽんと優しく叩いたあとに柔らかい口調でこういった。


「早くお風呂に入ってきなさい」


 なんとなく小さい子がはしゃぐ気持ちがわかるような気がしながら「はーい」と返事をしてお風呂へ向かった。


 我ながらよく出来た内装だ。その上にお兄ちゃんが作ってくれた葉っぱがついていて安心感が増している。


 建物が水でできているだけでなく、貯水槽部分もちゃんと用意しているからシャワーが出るようにしてある。ちゃんとお湯の状態で。


 湯舟は最初から水の塊で作ってある。


 わざわざ新しく水を入れずとも、足を踏み入れればゆっくり肩までつかれる設計だ。


 汚れた水は地面に掘った穴に排水される。その辺を汚さない秘密の工夫もしてある特別な排水路。


 足りなくなった水分は空気中や地中から補充する。


 見覚えのない植物と乾燥したへちまが置いてあるけれど、これはお兄ちゃんが用意してくれたのかな?


 昔見た植物図鑑で、ヘチマをボディタオル代わりに使えるような内容を見た覚えがある。


 こっちの植物はねばねばした液体を出しているし、こすれば泡が立つ。石鹸だろうか?


 お兄ちゃんの気遣いに感謝しながら、風呂場の天井を見上げてみた。


 葉っぱ越しに星空が見えて、なんてロマンチックで気分が良くなる風呂場なのだろうか。


 二人で協力して建てた簡易的な家だ。このままずっと住めるんじゃないかと思えるくらい快適な家。それでも、ここにはずっと住んだりしないけれどね。


 少し惜しいけれど、出発するときには解体しちゃう。そしたらまた違った良いテント作ればいいだけさ。


 風呂場の外からはお兄ちゃんの奏でる弦楽器の音色が流れてくる。天にも昇るような心地になる優しい音色。


 ここってもしかして極楽かな?


 気分よく体を綺麗にし終えてから大事なことに気がついた。


 着替えがないぞ!

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