現実(後編)

 ゆっくり目を通そうとしていると、またしても足音が響き渡った。


 廊下を歩くコツコツという音。


 本のお姉さんの時のように、座席の陰にさっと隠れて覗き見ていると、現れたのは片割れだった。


 どうしたんだろう?


 きょろきょろしながら劇場の入り口で立ち尽くしている片割れを見ていると、声を掛けてみようと思うことができた。


 そうっと顔を出して声をかけると、少し嬉しそうにしながらこちらへ手を振り、階段を駆け上がってきた。


「探してたんだ、みんなで。本のお姉さんも一緒に探してたんだけど、見なかった?」


 ついさきほど本のお姉さんが顔を出してどこかへ去ってしまったのを思い浮かべ、ゆっくりと首を縦に振った。


「呼んでくるから待っててね!」


 片割れがそうやって立ち去ろうとするのを手を掴んで止めると、驚いたような顔で振り返った。


 理由もなく呼び止めたわけではなかった。記憶の本についていろいろ話したいことがあったからだ。本のお姉さん抜きで、二人きりで。


「あのさ、お互いに記憶の本を自分で読んでみない?」


 自分の記憶の本は一体どんな風になっているのかが気になったのもあるが、自分自身でこの本を読んでみてほしいという気持ちからだった。


 片割れは首を傾げてから頷き、私の記憶の本を取り出した。


 私も記憶の本を取り出し、片割れと交換し、中身を確認してみた。内容もだけど、特にページの分厚さを念入りに。


 袋とじにはなっておらず、覚えていることがそのまま書かれていた。


 一方で、片割れは「あれ?」と首を傾げながらページをめくっている。袋とじに気づいたのかと思えばそういうわけではなかった。


「知らないことが……あれ?」


 知らないこととは?


 好奇心を抑えきれず、身を乗り出すようにして片割れのページを覗き込むと、冬の出来事を読んでいるところだった。


 え? そこ?


 何が何だかわからず混乱していると、廊下を歩く音が聞こえてきた。


 本のお姉さんかな?


 癖で座席に隠れそうになっていると、片割れも同じように隠れようとしていて、不思議と、いや、自然と目が合ってお互い笑ってしまった。


 私たちは結局同じなんだな。光だの闇だの言われても、結局同じ魂だ。


 クスクス笑っていると、本のお姉さんが劇場の出入り口に現れた。


 二人で一緒に声を掛けて手を振ると、こちらを見てにっこりと笑った後階段をゆっくり上ってきた。


「……ここにいたんだ。……探した」


 本のお姉さんはほっとしたような笑みを浮かべて一緒に腰かけた。


「……何してたの?」


 二人で一緒に記憶の本を読んでいたことを伝えると、お姉さんは記憶の本を見つめてから私たちを交互に見つめて微笑んだ。


「……聞きたいこと……ある?」


 聞きたいことなんて山ほどある。まず、片割れが混乱している知らないことの話からだ。


 片割れに話すよう促そうと考えていると目があった。


 ゆっくりうなずいてみせると、片割れは黙ってお姉さんをしばらく見つめてからおそるおそる声を出した。


「あの……知らないことが書いてあって……」


 ほんの少し声を震わせ、そのうち手も少し震え始めた。


 怖いのか、興奮しているのか、それとも他の何かか。


 少し心配に思いながら片割れの様子を観察しつつ、黙って考え込んでいる本のお姉さんの返事を待った。


「……難しい話になる。……待って」


 お姉さんはまた少し考え込むと、折り紙に使っている紙を取り出して絵を描き始めた。


「……説明。……魂と世界について少し」


 片割れと二人で覗き込むと、そこには棒人間と、真ん丸な玉と、羽の生えた棒人間とか書かれていた。書き終えると、それぞれの間にすうっと線をドーム状に引いていっている。


「……これがあっちのあなた」


 一番内側のドームの中にいる棒人間をさしてお姉さんが言って、さらに続けた。


「……これが魂」


 次は真ん丸な玉をさして口を開いた。


「……これが私たち」


 次は羽の生えた棒人間をお姉さんが指さしている。


「……世界は層で折り重なっている。……現実……物質世界にいるあなた……魂の層にいるあなた……こちらで今一緒にいるあなた……私たちは魂の層までいける……生物は夢を通して……魂の層と……私たちのいる精神世界へ来れる。……ごくわずかの生物だけ……でも……みんな魂がある……物質と魂の世界……両方に存在する……どの生き物も」


 そう言いながら私たちを見て微笑んだ。


「……こちらにいる間も……時は流れる……流れ方が違うだけ」


「ちょ、ちょっと待って」


 私はあわててお姉さんに確認したいことができた。片割れの前では話せないことだったから、片割れに手を合わせて謝るようなポーズをとり、お姉さんを少し離れたところへ連れて行ってひそひそと聞いてみた。


「もしかして、魂が真っ二つって、こっち側が真っ二つになっただけで物質世界は物質世界でもう一人存在するってことだよね?」


 自分でも何を言っているのか、頭の中で整理しながら聞いているからわけがわからなかったけれど、直感的にそんな気がして聞いてみた。頭ではまだ理解しきれていない自分の質問に困惑しながら興奮しつつ、それとなしに聞いてみただけだったけれど、お姉さんはゆっくり頷いた。


 それってつまり?


 困惑していると、お姉さんが新しく折り紙を取り出し、また絵を描いてくれた。


 真ん丸な玉の絵と、棒人間の絵。


「……これがあなた。……二つになって……片方はこちらへ……もう片方はあっちに……」


 玉を縦に線で区切り、丁寧に絵を描いて説明してくれた。


「……人はみんなそう……みんな……二つが基本……こちらをみるため……でもあなたは……片方が二つになったから……三つ」


「つまり、私たち二人がこうしてここで楽しく過ごしている間に、物質世界の体が時間を過ごしているから知らないことが記憶の本に書かれているわけだ」


 本のお姉さんはゆっくり頷いた。


「……その間の記憶は……共有……二人とも知ることができる……あなたはこちらへ……あの子はあちらへ……魂が寄った……肉体と魂は記憶を共有……」


 すごく複雑で簡単には説明できないようになっているんだ。聞いていてややこしくて理解しきれない。


「……解明しきれていない……あなたは例外……魂消えててもおかしくなかった」


 本のお姉さんも眉間にしわを寄せながら説明を切り上げた。


「……時間ありすぎて……調べるのが遅い」


 そういってやれやれと言った様子でため息をついていて思わず笑ってしまった。


 笑っていると、お姉さんもふっと微笑んだ。


「あなたが目を覚ましたのは……まだ一年生の時……」


 そういって教えながらまた絵を描いてくれている。


「一度目を覚まして……寝ている間に……時が流れた」


 そう言いながらすうっと線を引いている。


 なるほど、目が覚めた後寝ている間に体があれこれしてるのを知ってたわけか。


 難しい話はもうこれで終わりで良いかな? なんて思っていると、片割れが少し不安そうにしながらこちらを見ているのに気がついた。


 本のお姉さんは私が向けた視線の先を追ってそれに気がついたらしい。二人で一緒に片割れのところへ戻り、私が自分自身だと悟られないように、話していた内容をさっくり教えた。


「じゃあ、こっちで遊んでいる間ちゃんとあっちで起きて生活できてて、おまけになにしてたのかわかるんだ! だったらしばらくこっちで遊んでいたいな」


 少し寂しそうにそんなことを言っているので、ちょっとだけむっとした。


 あなたには素敵な先輩がいるというのに、ひとりぼっちじゃないというのに、どうしてこっちへいたいと思うのか?


 そんなことを思ったけれど、辛いもんは辛いし心の支えになっているのはたった一人だというのだから無理もないか。それに、今の私には夢のみんながいてひとりぼっちじゃないから、そんなこと言えなかった。こっちで過ごしたい気持ちもわかる。


 片割れの願いを聞き届けられたらいいけれど、そろそろ限界だった。水の被り物を維持できそうにない。


「悪いんだけど……そろそろきつい」


 きつい状態が当たり前になると感覚が麻痺してしまい、限界がきたときに一気に意識がとんでしまいそうなほどの疲労を感じた。


「こっちで暮らしていられるよう、見つけるから」


 何かいい方法を。


 あまりの眠さに意識がとび、おそらく水の被り物もなくなったのだろう。


 片割れが目の前からすうっと薄くなって消えると同時に、意識が飛んでそこから真っ暗で何もわからなくなった。


 ああ、夢衣の実験、してみたかったな。




 片割れが違う姿になればこっちで過ごせていたかもしれないなんて思っていると、パッと目が覚めた。


 どれくらいの時が流れたのだろうか。


 小屋のような丸太でできている小部屋で目を覚ますと、優しいお兄さんが傍にいてくれた。


 目を覚ましたことにすぐ気がつくと、すごく嬉しそうな顔で頭を撫で、すぐみんなを呼びにどこかへ行ってしまった。


 本のお姉さんと気さくなお兄さん、うさぽんが顔を出し、調子はどうかと尋ねてくれた。


 ゆっくり寝て起きたのと大差ないし、水の玉も出せる。何も問題はなかった。


「体が疲れ切ったように、精神力が疲れ切ったんだろうな」


 気さくなお兄さんは腕を組みながらじっとこちらをみてそういった。


 うさぽんはすごく心配そうにしながらも、普段のツンデレチックな話し方で声を掛けてくれた。


「べ、別に心配だったとかじゃないんだけどね。強い子だってわかってるから。でもさ、しばらく目を開けなかったからつい……心配かけさせないでよねっ! まったく!」


 ああ、今落ち着いてるんだろうな。


 興奮しているときのしゃべり方と全く違っていて思わず笑っていると、顔を赤くしながらむすっとしてすぐに微笑んでくれた。


 本当に心配してくれてたんだな。


 目が覚めて不意に気になり、記憶の本のページを開いてみた。もちろん、片割れの本だ。


 本のお姉さんが話していた内容に加えて気になることがあったからだ。


 ああ、やっぱり。


 本には続きが載っていた。片割れがあちらですごしている間、記憶がどんどん書き込まれていっている。


 優しいお兄さんや気さくなお兄さん、本のお姉さん、うさぽんたちは魂を見守っていないと把握できないのだろうけれど、私はそうでもないようだ。




 二年生になってから、前の席の子が少しおっちょこちょいなのか、わざとなのかわからないけれど、机の上にあるものを肘鉄でよく落としてきて困ってることから始まっていた。


 テレビのCMで見かけた気になるゲームを買ってみたくて相談して遊んでみたらとても楽しかったことが次に書いてあった。


 三部作になっていて、ある武器に特に興味を惹かれて買ったけれど、まだ使えない段階で続きがとても楽しみらしい。


 内容もとても気になるところで終わってしまっていて、どれにしたって気になって仕方がないらしかった。


 先輩にそのことを話していると、興味を持ってもらえたみたいで勇気を出して貸し出してみたらしい。


 本当は、急に態度が冷たくなってゲームが戻ってこないんじゃないかとか、貸したものを大切にしてもらえなくてボロボロになって帰ってくるんじゃないかとか、いろいろな心配事をしていたようだけれど、この人なら大丈夫だからと、ない勇気を出したようだ。


 ちゃんとディスクが全部そろっている上に、大事にしてもらえたのがうかがえる返し方をしてもらえてほっとしたし、同じ作品について話し合えてとても嬉しかったようだ。


 それに、言わなければばれなかったようなちょっとしたこと、パッケージに飛んじゃったものがあって、一生懸命拭いたけど残ってたらごめんねなんてこと正直に言ってくれて嬉しくて、少しずつでも心を開けそうになっていたことも書かれていた。


 それだけにとどまらず、先輩の好きなゲームを貸してくれて、楽しく遊ぶことができたとも書かれていた。


「いいなあ、良かったじゃん」


 他にも、先輩とある寿司屋へ一緒に食べに行ったことも書かれていた。


 保護者の同伴なしといっても、先輩の親御さんの勤めているところだったから同伴なしでも行っていいと親が許可してくれて、初めて友人同士だけで行く外食に胸を躍らせたことも書かれていた。


 先輩となら行っても良いという言い方だったことも少しうれしくもあったようだ。


 その外食で、何か面白いことしないといけないような、何かしないとつまらないっていって嫌われるような焦りを感じてわさびをモリモリにして注意されちゃったことなんかも書かれていた。


 私にもそういうところがある。


 つまらないとか、一緒にいるのがいやだとか、そういうこといって一人にされそうで怖かった記憶がある。


 一人になるのが本当に嫌だったのか? いや、そうじゃない。


 楽しくない、つまらない、そう言われるのが嫌だったんだ。楽しんでほしかっただけだった、一緒にいて不機嫌でいられるのが嫌で、気を遣っただけだった。


 それで思ってもないようなことを適当に滅茶苦茶に言ったら喜んでもらえて、どんどんエスカレートしてしまった思い出だ。


 本当に何とも思ってない、本心じゃない言葉だった。こういえば楽しんでもらえそうだと思って言った言葉。やばいこと言ってくれと言われて言った言葉。


 やっぱなんだかんだいって私は私なんだなと思いながらその出来事を読みつつ、先輩のよくできた人柄を思わせる窘め方に感心した。


 食べ物は粗末にしないようにね。美味しく食べようね。


 その言葉にはっとした片割れは、無理にわさびを盛り付けるのをやめて普通に食べていたようだった。


 そのあと家に先輩と一緒に到着し、慌てたのか、うっかりメロンクリームソーダのペットボトルを落とし、大丈夫といいながらキャップをあけると噴き出してしまったらしい。


 呆然としながら固まっていると、親に怒鳴られてしまい、震えながら拭き掃除をしたようだ。


 親がいないところで先輩はこっそり、あのいい方は良くないなんて言ってくれたけれど、私がおっちょこちょいだししばらく固まっちゃったせいだというと、それでも先輩は首を横に振ってくれた。


 なんとなくでも、すごく嬉しかった出来事のようだ。


 そんな出来事があってしばらくして、学校で無理になんか面白いことしようとしていた片割れを見た先輩は「無理しなくて大丈夫だよ、そのままで」なんて言ってくれて驚かされたらしい。


 今までそんなこと言ってくれる人はいなかったし、面白がって笑ってくれる人ばっかりだったのに、どうしてそんなことをいうのだろうか?


 そんなことを思いながら、先輩に言われた通り、驚きながらいつものように大人しくしたようだ。


「どうして無理してるって思ったの?」


 片割れはびっくりしてそんなことを聞いたみたいだったけれど、先輩は「なんでだろうね?」なんて言った後「うちと似てるところがあると思ったから。勘違いだったらごめんね」といって少しだけ笑っていた。


 片割れにはそれがどういうわけかわからなかったようだ。


 大人しくしていると、不安な気持ちがわいてきて、つまらないって言われたりほっといてどこかへ行かれたりしないか怖かったようだったけれど、先輩はそばにいてくれて、離れるときは「ちょっとごめんね、用事があって話してくるね」なんて声を掛けてくれて嬉しかったらしい。


 とても、温かい思い出で溢れていた。


 読んでいると涙が一筋、二筋流れてくるのが不思議だった。


 片割れが羨ましくてたまらなかった。私にはこっち側でみんなが傍にいて、温かく育ててくれているというのに。


 かけがえのない存在。私が欲しかった、求めてやまなかった、こうだったら良かったのにという経験を片割れが積んでいっているようだった。


「いいなあ……」


 片割れ自身は気づいていないようだったけれど、その先輩は私たちの理解者で、みんなが調子に乗っているなんて揶揄してくるような私たちのエスカレートしていく行動の本当の理由と心理をよくわかっている人だよ。


 楽しませないとひとりぼっちになる怖さと、人を楽しませるのが、人の笑顔が好きでたまらなくて、自分のことないがしろにしてまで、無茶してまで楽しませようとしちゃうところを見抜かれちゃったんだよ。


 片割れにはない記憶が私にはあるから気づけたことだった。


 先輩は絶えず私に歩み寄ろうとして、理解しようとして、たくさん言葉を交わして、私のことわかってくれる人になってくれていたんだ。


 思い込みやイメージを押し付けたりなんかしないで、私という一人の人間を理解しようとたくさん時間を一緒に過ごしてくれた本当の友達で理解者。


 やっぱり、一言だけでもいい、お話がしたくてたまらなかった。


 片割れだって、こっちで過ごしたいって言っているのだから、こないだ試し損ねた夢衣で姿を変える実験をしてみたい。

 

 先輩との思い出が書き連ねられている本のページをそっとなぞった。袋とじにも、表にも両方書いてある温かくて涙が溢れてくる大事な記憶。


 文字と挿絵で表現されているだけなのに、不思議と、ページをなぞった指も温かく感じられる。


 先輩との思い出の部分だけ、じっくり読みなおしていってみた。心が温かくて、苦しくて、羨ましくて、幸せな気持ちになれて、読むのをやめることができなかったからだ。


 先輩は、部活で手が空いているとき、手を狐に見立てて「コンにちは!」と言ってくれて、人差し指と中指で腕の上を歩かせたり、とにかくたくさんの温かい関わり方をしてくれた。


 子供扱いなのかな? なんて思いつつも、すぐに笑うからか、一緒に話していてとても楽しかった。だって、先輩も一緒にたくさん笑ってくれていたから。


 そのうち、家に遊びにおいでといってもらえて、一緒に学校で話していたゲームで遊んで、とにかくとても楽しかった思い出も書かれている。


 何度も読んでいて思うに、先輩も似たようなところがあったんじゃないだろうか?


 私と同じように、何かしていないと不安になって、黙ってどこかへ行かれるのが本当は不安だったから、温かい言葉をたくさんかけてくれて……。


「笑ってくれるから癒される。すごく嬉しい」


 先輩がくれた言葉だった。


 ああ、会って話がしたい。


 片割れがこちらで過ごせるようにするためではあるけれど、やはり先輩と話がしたくて、夢衣を使って試してみることにした。


 まずは水の被り物を作って被せてからになってしまうけれど、夢衣を試す前に先輩と話をするんだ。




 水の被り物を作るのに十分な力が回復し、片割れをこっちに招いてお願いをしてみると、あっさりと了承してくれた。


 ネトゲで、厳しいけれど真っ向から話してくれる人がいて、怖いながらも嬉しくてたくさん話をするのが楽しいなんて言いながらも、こちら側で過ごすのが好きだから快諾してくれた。


 お願いされたからといって、本当は嫌なのに断らずにやってたりしないだろうか。


 そればかりが心配だったけれど、先輩ともう一度お話をしにいくことができて嬉しくてたまらなかった。


 片割れはいろいろなことがあってしんどかったようだけれど、よく頑張ってくれたなあ。


 私の中では先輩以外のことがもはや目に入っていなかった。


 たくさんのいじめや不安、辛いことがあったらしいけれど、こちら側へ引き込んで一緒に暮らすのだからそんなこともうどうでもよかった。




 先輩と会いに行くことばかりが頭にあり、学校での日常があっという間に過ぎ去り放課後になっていた。


 先輩とニコニコしながら話をした。憧れていた先輩との会話はとても楽しかったけれど、良い子な振る舞いをするのが非常に苦痛でならなかった。


 ありのままで話がしたい。正直すごくしんどい。


 苦しくてたまらなくて、愛想良くしてるのがしんどいなんて言ってしまうと、先輩は真剣な面持ちで私にこういうのだった。


「そんなこと言ってたら誰も助けてくれなくなるよ? うちの親がよく言ってたけど、普段周りと良い関係築いていたらなにかあったとききっと助けになってくれるから大事にしないといけない。日頃から関係大事にしてるから手を貸してもらえて助けてもらえるんだよ」


 いろいろなことがあって、しんどくて、辛いことがたくさんあったけれど、先輩の言葉が深く刺さって染みわたるように思えた。先輩の言ってることは正しいと。


 片割れにもちゃんと伝わってると良いな。


 ああ、この人と話をしに来てよかった。話せてよかった。心からそう思える出来事でもあった。


 そして、この人が心から大好きだと。




 あちら側へ戻り、片割れがずっとこちらで過ごせるよう、夢衣の実験をしようとしていたときのことだった。


 ちょうど片割れが周りを取り囲まれていじめられているところだった。周りにはいつものみんなはおらず、見知らぬやつらばかりだった。


 優しいお兄さんはどこへいったんだ? あのストーカー野郎! 肝心な時に目を離すなんて!


 ふつふつと怒りが湧きつつ、片割れを取り囲んでいるやつらに事情を聞いてから喧嘩をしようと思って話しかけてみたらびっくりするようなことを言われた。


「こいつ、俺たちのこと殺そうとしやがった!」


 いじめているやつらは酷く怒った様子でそんなことを口走るのだから思わず片割れの方を驚きながらみてしまった。


 片割れはうずくまりながら呆然とした様子で抵抗せずに蹴られていたけれど、なんとか周りを宥めて止めることができた。


 話を聞いてみないことにはどうしようもないから、具体的に何があったのかを片割れと周りにいたやつらの二つにわけて聞いてみると、ただのすれ違いや勘違いだったと気づかされるような内容だった。


 話を繋げてみると、どうやら、片割れがその辺を歩いていると、周りにいるとほどよくポカポカして暖かいからという理由で集まってきた子たちだったらしい。


 みんな、暖かいと言って大喜びで、片割れもすごく嬉しかったらしい。


 嬉しくてたまらなくて、そのままでいればいいのに、もう少し暖かくしたらみんなが喜ぶ、なにかしないといけないと思ったようだった。


 しかし、片割れは自分になにができるのかなどわからない上に、不幸が重なって事件は起きた。


 毎年風邪を引いてきたからか、鼻の調子が悪いらしく、くしゃみをしてしまったらしい。


 現実でならまだしも、こちら側でくしゃみなんてするのかと驚きながら、両方の話をさらによく聞き、状況を整理した。


 かつて私がしてほしかったことをこなしていると、少しだけ羨ましい気持ちもありながら、胸の内のモヤモヤもすうっと引いてきた。こうやって、誰かに話を聞いてほしかったな。


 片割れがくしゃみをすると、周りの気温が一時的にサウナより暑い状態になり、目の前にあった木々に青い炎が灯ってしまったそうだ。


 火を消すため、お兄さんたちが総出で出掛けてしまっているからこうして一人、周りの子にいじめられていたというわけだった。


 話を聞くときと同じように、片方ずつに事情を説明した。


 悪意はなかったこと、なにができるのかわからない子だということ、私が水の被り物を作ったから遊びにこれていること……洗いざらい正直に話して納得してもらうまで謝った。


 怪我をしてないか聞いてみると、別に火傷はしていないものの、皮膚が少し赤くなっていた。


 何度も謝り、水で冷やしているとそのうち許してもらうことができた。


「べつにいいけど、怖いからもうこっちにこないでほしい」


 そういって、いじめるのはやめにしてみんな立ち去っていった。


「てめえらが勝手に寄ってきたんだろ」


 立ち去ってからぼそっと言った言葉だった。


 片割れにも、相手の事情を話したけれど、そもそも最初から自分のせいにしてへこんでいたので、納得するしないの問題ではなかった。


「わたしのせい」


 うわ言のようにずっとそういって泣いていて話を聞きもしなかった。いや、聞きたくても聞ける状態ではなかった。


 自分のこと責めるのは私もやるからわかるけれど、度を過ぎているように思えたし、そうやって自分を責めるのに夢中になっているから話を一つも聞いていない。いや、聞けていない。


 当たり前だが本当に私そっくりで、わかりやすくて……苛つく。


「うじうじすんな。一度や二度の失敗で何言ってるんだ。何度も挑戦して失敗して、より良くしていけるんだろ!」


 言ってもらいたかった言葉だった。二つになる前、そうやって窮屈さのない中たくさん挑戦してたくさん失敗して、のびのびと成長したいと思っていたから出た言葉だった。


 片割れは涙で潤んでいる目をキラキラさせながらこちらをじっと見ていた。


 言葉が届いたのかどうかはわからないけれど、片割れは嬉しかったのかもっと泣き始めてしまった。見てるとこっちまで泣いてしまいそうになるからすごく厄介だった。


 お前も、そういう言葉が欲しかったんだろうかな。


 聞いてみないことにはわからないけれど、それは今できることではないから、片割れが泣き止むのをじっと待っていた。落ち着くまで気長にじっと。そうじゃないと、話し合えないのを自分でよくわかっていたから。


 待っている間に、気さくなお兄さんと羽の人が現れた。


 羽の人の役割を気さくなお兄さんから聞いていたから身構え、片割れを自分の後ろにさっと隠していると少し困ったような顔をしていた。


「乱暴なことはしませんよ。ただ、なにがあったのか聞きに来ただけで……」


 言いながらすごく困った顔をしていた。


 無理もない。ひと工夫してこちらへ来られるようにした魂だったから、実害が出てしまってはこの世界からつまみ出されたり、羽の人になにかされてもおかしくないだろう。


 正直に話せば傷つけられるんじゃないだろうか?


 そんな不安の中、いろいろな事を考えた。どうすれば守れるのか、どうすれば逃げられるのか。


 緊張が走りながらあれこれ考えていると、気さくなお兄さんが間に割って入ってくれた。


「こんなに泣いてて話にもならないだろう。落ち着いてからもっかい聞きにくればいいんじゃね? 周りにいたやつらがいなくなってるんだから、そっちから先でもいいんじゃねえかな?」


 羽の人は少し考えるそぶりを見せた後、すぐに祭りの時に見たような笑みを見せて頷き、飛び立っていった。


 気さくなお兄さんはついていかず、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。


「まあ、そう敵意をむき出しにしなくてもいいんじゃねえかな?」


 片割れの前に立っていた私に優しく微笑みかけながらそんなことを言ってくれて、少しだけ気が緩んでくるのがわかった。


「大丈夫だよ。なるようになるから」


 そういって肩をポンと叩いた気さくなお兄さんの手はとても温かく、一気に力が抜けてきた。そうして初めて、全身に力が入っていたことに気づきながら地面に膝をついた。


 気さくなお兄さんが片割れの方へ声を掛けているのを背中で聞きながら、肩にそっと手を伸ばした。


 あたたかくて、柔らかくて、落ち着ける手の温もりに想いを馳せていると、気さくなお兄さんの優しい声で更に落ち着くことができた。


「怖かったな。大丈夫、大丈夫だ。まだお前は赤ちゃんみたいなもんなんだ。これからだよ。こっちで遊んでいる間、片割れと一緒にいろいろ勉強してみないか?」


 優しい声、優しい言葉に片割れはもっと激しく泣きながら頷いているようだった。


「今はちょっといろいろあって難しいから、また今度になっちまうけどな。今度遊びに来たらみんなで出迎えるからな」


 そういって優しく頭を撫でているのを見ていると、なんだか本当の兄妹のようで和んでくるのだった。


 少し羨ましく思っていると、本のお姉さんが現れ、気づいて振り返ると、私の頭をそっと優しく撫でてくれた。


 べ、別に羨ましいとか思って見てないんだけどな。


 うさぽんが言いそうなことを頭に思い浮かべながら、とても心地よい感覚に身をゆだねていた。


 幸せな時間はあっという間に過ぎ、片割れは気さくなお兄さんとお話を少ししたかと思えば、あちら側へと戻ってしまった。


 結局夢衣の実験はまたできなかった。


 片割れが帰ってすぐ、気さくなお兄さんに両方から聞いた話をしてみた。


「お前、しっかり話を聞いてくれてたんだな。えらいな。まとめてくれたのはありがたいが、やはり本人と直接話をしないことには……だからさっき聞いてみてたんだ」


 そう言いながら、頭をそっと撫でてくれた。


 自分がずっとしてもらいたかったことをしただけだった。こうだったら良かったのにということを。


 それでもやはり、褒められて嬉しかった。褒められるためにしたことではなくとも、やっぱり認められた気がして、自分の考えも行動も肯定してもらえたみたいで、それが目的だったわけではなくとも嬉しいもんは嬉しい!


 それに、気さくなお兄さんの対処もとても大人びているように思えて好きだった。


 見た目だけが格好良かったなら、こんなに好感をもてはしなかっただろうな。


そんなことを思いながら、浮かれた気分で話を聞いていると気さくなお兄さんは少し眉間にしわを寄せながら考え事をしているようだった。


 どうしたんだろう?


 気にしていると、こちらを見てきたので驚かされた。


「お前の片割れ、こっち側での記憶をあっちに持っていけてないみたいだぞ」


 重々しい雰囲気をまといながら口を開いたお兄さんの言葉に驚きで目を見開いた。


 どういうことだろうか?


 固まったまま動かないで、意味を理解してはいるけれど、なぜ? がわからなくてあれこれ考えていると、お兄さんは続けてこういった。


「こっちにまた遊びに来た時には記憶が蘇るらしいが、あっちへ戻った時には楽しい夢を見たくらいしか覚えていないらしい」


 そんなこと、私にも言ってくれていなかったのに。


 思わず浮かんできた自分の気持ちにそっと蓋をし、お兄さんの言葉を反芻した。


 じゃあ、どれだけこっちで楽しい思いをさせても、楽しい夢を見た程度にしか認識されないってことは……虚しくなったりしないだろうか?


 すごく心配になるような出来事に頭を悩ませていると、お兄さんも頭を悩ませているのか辛そうに考え込んでしまった。


「そういや、あの漫画の主人公みたいになりたいって言ってたな。俺はおすすめしないし応援できない」


 そうして不意に、前にみんなに読んでもらった漫画のことを話し始めて驚かされた。


「なんで今その話を?」


 わけがわからずに聞いてみると、お兄さんはじっとこちらを見つめながら目を細めた。


「何で言われたか自分の胸に手を当ててよく考えてみるんだな」


 考えてもわからなかった。何かそういう心配されるようなことをしそうだったってことだろうか?


 いろいろ考えていると、気さくなお兄さんは鼻で笑って頭を撫でてくれた。


 わけがわからないまま、片割れがこっちで過ごせるよう、ちょくちょく入れ替わる計画を心の中で練り始めた出来事でもあった。


 きっと、自分のできることをコントロールできたらこっちにだって居場所はできるから。


 それが自分なりの考えだった。


 


 あれからも片割れはおっちょこちょいなりに頑張って生きていた。


 馬跳び失敗してみぞおちをうったときに気絶し、こちら側へ不意に遊びにこれたことがあった。


 水の被り物なしで現れたから驚かされたけれど、現れたのは一瞬だけですぐにあちらへ戻ってしまった。


 みぞおちをうってこっちへきたと知ったのは、現れた後に本を開いて読んでみたからだったけれど、あれからあっち側でたくさん頑張っていたのも一緒に読んだ。


 先輩と金の魚を釣る子供の話の演劇を楽しんだこと、指がいつの間にか切れていたときにカマイタチの話をしたこと、演劇部が廃部になって、副顧問の先生が居場所を作るために手芸部をたててくれたこと、テディベアを縫ったり、縫ったハンドバッグにステンシルをしたり、編み物をしたりしたこと、手芸部になってからも先輩は顔を出して遊びに来てくれたこと。


 もう一度話したいと思ったけれど、先輩は片割れの大事な唯一無二の宝だから、もう一緒に過ごす時間を奪うわけにはいかない。


 なので、次は会えないとき、もしくは片割れがしんどくてたまらないときに入れ替わろうと決意した。


 それに気になる記憶もあった。


 帰り道、本当は優しいのかもしれないと思った部活の先輩が、自転車に乗っているのをみかけて挨拶したら死ねと言ってきた記憶だった。それも、満面の笑みで。


 次に見かけた時も、満面の笑みで死ねと叫ぶように言ってきたことも書かれていた。


 いつか、その言葉が、優しいのかもしれないと信じかけていたのに踏みにじられた片割れの心の痛みが、そいつの首を絞める日がくるようにと心から願わずにいられない出来事だった。


 ま、見る目がなかっただけともいえるけどな、闇の片割れの……。


 そうは思いつつ、片割れに同情せざるを得ない出来事だった。


 相手の親切や好意を純粋に受け取っていた片割れを哀れに思いつつ、次はいつ入れ替わるかを考えているうちに先輩は卒業していった。


 本当は、もう一度だけでいいから話がしたかった。温かくて、優しくて、もっと仲良くなりたいと思えた人……。




 そうして片割れは三年生になったけれど、新学期早々腹を痛め、大腸炎で寝込むことになった。


 三年生の学校初日はなんとか掃除をこなして苦しみながら下校まで耐えたけれど、家に帰ってすぐに炬燵で丸まりながら苦しんだようだ。


 寒くてたまらなくて、お腹が何よりも痛かったらしい。


 それを見た父親は熱を上げるためにわざと炬燵で丸まってるなんていったけれど、そういうわけではなかった。


 今まで酷い風邪を引いても、熱は39度になることなんてなかったのに、このとき初めて39度まで熱が上がった。頭がガンガン痛み、寒くて寒くて仕方がなかったらしい。


 片割れは、そのうち治るなんて言って病院へ行こうとしなかったけれど、母親が病院へ連れて行ってくれて、点滴を打ってもらい、みるみるうちに体調が良くなっていった。


 しかし、一日では熱が下がりきらず、次の日学校を休んだ。


 体調が完璧によくなり、学校へ行ってみると、職場体験の行先が知らないうちに決まってしまっていた。


 今までずっと希望を出し続けていた場所とは全く違う場所で肩を落としたし、先生からは言い訳がましいことを言われた。その時が初めてではなく、何度もそういう扱いを受けてきたのを我慢していただけで、このときの扱いは本当に悲しかったらしい。


 内心、私になら何しても良いと思ってるし、我慢させても良いと思ってるんだろうな、なんて思っていたようだった。




 そんなある日のこと。


 放課後、部活動にいそしんでいる時間帯に、廊下で走りながら、友達だと思っている助けてくれた子の名前を出して笑っていた男の子の机と、その前の机が掃除の時間の間に運ばれずに残されていることに気がついた。


 いくら嫌なやつでも、友達のことを笑ったからといっても、小学生の時に運ばれずに残っていた自分の机を見て悲しかったことがあったから良くないことだと思ったようだ。


 前の机を運ぼうとして持ち上げると、どういうわけか後ろのその男の子の机が持ち上がってしまい、パニックを起こしてしまったらしい。


 状況が理解できないまま、友達のことを笑った子の机の中身が床へ落ちてしまった。


 片割れは前の机が後ろの机の下に潜り込んでいたことに気づいたようだったけれど、いろいろな意味での不器用さが災いして良い方へ向かうことがなかった。


 一緒に落ちた机の中身を拾ってくれた人にお礼を言ったけれど、怒った様子だった上に無視されてショックだっただけでなく、机の持ち主が戻ってきてからすごい剣幕で怒っていて、自分のことだと気づいたようだったけれど、直接言い合いになったわけではないし、遠くから話しにいっても取り合ってもらえないだろうという諦めがあった。


 だって、一緒に中身を拾ったとき無視されたのだから。


 大腸炎になったせいなのか、そういうことがあったからなのか、お腹がゴロゴロと音を立てるようになった。


 別に、このときはガスを我慢していたわけでもなく、お腹が空いていたわけでもなかった。


 あまりにゴロゴロ音がなるので、家で毎朝ヨーグルトを食べ始めてみると、お腹の調子は良くなるどころか悪くなる一方で、ヨーグルトを食べ始めてからお腹のガスに悩まされるようになった。


 一生懸命我慢すればもっと酷く音がなるし、苦しくて仕方がなくて、学校なんていきたくなかった。


 周りの人の態度があからさまに冷たくなり、視線も冷たくてすごく居心地が悪いし、ぼそっと悪口を言われているのが聞こえてきて嫌だった。


 机を運ぶ前にどうして気が付かなかったのか、まずは自分を責めた。


 そうして次に、人に優しくなんかしなければよかったと後悔した。


 後悔して、悔しくて、悲しくて、寂しくて、今までずっと人に優しくし続けてきたのに、たった一度失敗しちゃっただけで、上手にできなかっただけでこんなにみんなから冷たくされて、今までしてきたことはなんだったのか。いい人だと思われたくてしてきたわけじゃなかったのに、無意味だったという現実を叩きつけられて耐えきれなくなりそうなくらい辛かった。


 そのうち、諦めた。


 誤解を解くのを、誰かと仲良くなれるのを。


 一人のほうが気楽でいい。


 思えば、今までずっと一人だった。


 振り返って思い返せば、今まで優しくしてきたところで仲良くなれた人なんていなかったし、利用されていただけだよ。ただの道具、ただの奴隷、ただの……。


 自分への罵詈雑言が止まらなくなりそうだったけれど、先輩のことを思い浮かべたら、諦めきれない気持ちになれた。


 これはきっとだめな考えなんだ。


 先輩の言葉と、ネトゲで知り合った子の自閉症というやつを治す約束のために、くじけたり折れたりするわけにはいかなかった。


 きっと、この学校の誰も優しくするに値しなかっただけなんだ。だから、優しくすべき人と場所を見つけて、その時優しくしたら良いんだよ。


 ネトゲで知り合った人たちを思い浮かべた。


 きっとそういう相手と場所がある。いまは冬の真っ只中なだけで、まだその時と場所じゃないんだ。


 今は眠り、旅立つ春を待つだけだ。


 そうやって、片割れは心を凍りつかせて残りの学校生活を頑張ったようだ。


 そんな生活の中で、ある子が本を貸してくれて、あることに気がつき、風呂場である場所へ手を伸ばし、今まで男子たちが言っていた下ネタの意味を理解したことが書かれていた。


 中学三年生にして初めて知った、気づいたこと。


 言われているようなほど穴ではなく、壁に隙間があるようなそれに気がつき、相当ショックだったらしい。


 タイミングが悪いのか、そうやって触って調べて知ったことを気づかれたのかと勘違いしちゃうようなことを授業で言っている先生がいて恥ずかしくて顔を赤くしたこともあったようだ。


 先生に悪気はないし、タイミングが悪かっただけさ。


 優しくするんじゃなかったと後悔したやつが隣の席になり、関わりたくないのに関わらせようとされたときは心底嫌だったようだけれど、本を読み続けて、心を凍りつかせながら中学最後の長く感じられる一年を乗り越えたらしい。


 よく頑張ったな。交替しようと思ったけれど、最後まで一生懸命頑張って偉いと心から思えた。


 受験時期に差し掛かると、毎年風邪を引いてきたから、マスクを二重にして過ごしたり、夜寝るときは段ボールの棺桶を作って中に布団を敷いて温かくして寝ていたようだ。


 ネトゲも楽しみたいから、弟と遊ぶ時間が被らないよう早朝の時間帯で遊んでいたらしい。


 自分なりに工夫して対策して高校も合格して安心していてこちらも安心できた。社会に不安があったようだったけれど、なんとかなったようだ。




 お兄さんやお姉さんたちは、その様子を怒りながら、悲しみながら、喜びながらずうっと見守っていた。私への修行はそっちのけになっていた。気さくなお兄さんと本のお姉さんの二人を除いて。


 私はというと、自分の様子を見守っているのがなんだか恥ずかしかったから、みんなと離れて記憶の本を開いて様子を見ていた。もちろん、修行がない間に。


 修行が減った理由は、なにも片割れにトラブルがあったからだけではない。


 優しかったお兄さんがいうには、呪いやおまじないには強い感情がいるけれど、私にはそういった感情の起伏があまりなく、言葉や態度が良くないだけで終始穏やかなのだそう。


 だから、教えても使えるようにはなれないから、本だけでもプレゼントしてあげるとのことで修行はなくなった。


 うさぽんからはあっさりと免許皆伝がもらえてしまった。もっと絵のこと生物のこと教えてくれても良かったのに。


 口を尖らせていると、教わるまでもなく君は幼い頃から生き物に夢中で興味関心がとてもあったから必要ないと思ったなんて言われてしまった。


 つまらなく思いつつも、二人が片割れの事が心配なことくらいわかっていたし、自分自身興味がないわけでもなかったからなんとも思わなかった。


 その代わりなのか、セラピストのお兄ちゃん? が楽器のことを教えてくれるようになった。


 片割れがリコーダーを楽しそうに吹いていたから、なんとなく口笛でも吹いたり、草笛でも吹こうとしていたけれど、音が全く出ないのを見て声をかけてくれたのがきっかけだった。


 あんまり関わりたくなさそうにしつつも、優しそうな話し方と雰囲気で話しかけやすく、あっという間に仲良しになれた。


 片割れがこっちに来たら、この人と仲良くなれるかな?


 そんなことを思いながら、片割れの新しい学校生活までをみんなと離れたところから見守った。

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