小さな春
さんざんな目に遭ったけれど、ようやく学年が変わることに安堵していた。
もし次も同じような地獄だったらどうしようか。
そんな不安を抱えながらも、このクラスから解放されることに心から安堵した。
笑えない冗談で「もう一度担任する」なんて言われて笑顔がどっかに家出することもあったけれど、やっと、やっとゆっくり休めるんだ。
なんだかキラキラしていて明るい気分、まさしく春の日差しのような柔らかな光を感じながら春休みに入った。
水底から空を見上げた時に差し込む光のように、優しくゆらゆら揺れながら光る輝きが心のうちに宿っていた。
春休みの間は思いっきり遊んだ。
今まで耐えてきた分の反動か、とてつもない解放感と心の軽さだった。
日の光が暖かくて心地よい。水が心地良い音を立てながら流れているような柔らかなで清らかな心地。
心の芯まで凍りついていたのが、少しずつ溶けてきているかのよう。
山へ遊びにいき、川沿いへ向かい、家に引き込もってゲームをしたり、とにかく心が自由なのがこの上なく気持ちが良いのだった。
そういえば、嫌な学年だったけれど、フナと魚をラッキーゲットした年でもあったな。
川沿いへ遊びにいったときにふと思い返す。
みんな魚を捕まえたがっていたけれど、私ほどの大物をとった人はいなかった。
たまたま足を滑らせて池で尻餅をついたとき、網にかかったフナと川魚を周りのみんなが羨ましそうにみていた。
3年の時に殴り合いの、私にとってはじゃれあいの遊びをしていた子が頻繁に羨ましそうに見ていたことを思い返す。
昔、近所にいた子が私が運よく手に入れたミュウツーのメンコをサンダーと交換だといって、サンダースと間違えた! なんていいながら、約束は約束だと言ってやや強引に手に入れていたことを思い返す。
そんな風に、無理に魚をとろうとされなかったのは嬉しかった。
人は誰しも良い面と悪い面を持っている生き物だ。そこが殴り合いの遊びをした子の美徳で良いところだったと思っている。
蟻の巣に水を流し込んで「水責めじゃ!」なんて言いながら遊んでいると、蟻が手足に噛みついてきた。
痛いのと、自分も家をいきなり攻撃されたら確かに嫌だなという気持ちとがわいてきて、水責め遊びは途中で切り上げて帰ったけれど、帰ってからも蟻がどこかにしがみついていたかなにかで何度もチクチク噛まれまくった。
2年くらい前にも同じことがあったっけ。
これが地味に痛いのなんの。
蚊に刺された感覚をもう少し強くしたような痛みに、地味に長引くヒリヒリした痛みがそこにはあった。
それからは蟻に優しくしようと思わされた。
だって自分も同じ目に遭ったら嫌だし、一生懸命なのを邪魔されたら噛みつかれて当然だ。それに、こんなにしつこく噛んでくるのだからそこまで一生懸命だったのだろうと思うと悪いことをしたなという気分になってきたためでもある。
思えばいろいろなことがあった。辛かったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと、もちろん楽しかったことも。
春休み中、助けてくれた子や近所の男の子と遊ぶとき、とても穏やかに笑っているのを見てほっとされた。
私自身もあんなクラスとおさらばできるかもしれないことがすごく嬉しかったからほっとしているところだったけれど、春休みの終わりが近づくにつれて憂鬱で不安な気持ちに見舞われていくのだった。
またあんなクラスだったら、担任が変わっていなかったらどうしよう。
春休みの終わりごろには不安が強すぎて憂鬱だったけれど、不思議と今までのような頭痛は感じられなかった。
新学期、新しいクラスでも助けてくれた子と同じだったのを喜んだことが懐かしい。
9割の不安と1割の希望を胸に抱きながら教室へ向かう。
助けてくれた子に頻繁に担任が同じだったらどうしようなんて言っていると、心配しなくても大丈夫だからと言い聞かせるように宥めてもらえたけれど、あんまり頻繁に不安がってるからかちょっとだけ強めの口調になっていたように感じた。私の精神状態が良くなくてそう聞こえただけかもしれないけれど。
そわそわしながら担任の先生が教室へ入ってくるのを待っていると、廊下で見かけたことのある女の先生だった。
それからはよくわからない話をしていた。
「今までしてきたことを謝ろう」
「先にそっちがやってきた」
「やってなかったらどうするの? 他人の人生の責任をとれるの? ほら見て、何の話かわかってないじゃん。それに、もう怖い人はいないんだよ」
先生と一部の生徒が言い合いをしているのを私はきょとんとしながら眺めていた。
今までどうして私がいじめられていたのかについてだと知ったのは大人になってからのことだった。
この問答がこんなに重要な意味を持っていたなんて知らずに私はただ困惑しながら聞いていたのだった。
助けてくれた子も先生に怒られていて、私はどうしてなのかちっともわからなかった。
ある子は、私が悪いことしていないのを知ってたなんて、ちょっと自慢そうな、得意気な感じで話していたけれど、それがなんなのかもわからなかった。
ただ、その子は先生や他の人からすごく冷たくされるようになっていた。
それからというもの、みんなが急に謝り、優しく接してくれるようになった。
私は何の話かわからなかったけれど、もう意地悪されないことに安堵しながら、表面上だけだったって後で知ったけれど、仲良くしてもらえるのが心から嬉しいと思いながら学生生活を送った。
それは家より学校にいたいと思えるような日々だった。
他のみんなは学校より家が良いようだったから、そんなことを言っていると変な目で見られたりした。
図画工作で絵を描くときはいつもみんなより完成が遅かったから自主的に居残りするようになった。
絵を描くのが楽しくて、居残りもそんなに嫌な気がしなかった。
逆に家に帰るのが憂鬱だったし、ゲームもそんなにしなくなっていった。
弟と弟の友達が家で遊んでいて、意地悪されるのが嫌だったからでもあるし、親の不仲もそのうちの理由に入っている。
担任の先生は私を特別扱いはしなかった。
他のみんなと同じように扱ってくれて、私が人より下の扱いを受けないように配慮して、指導してくれていただけだった。
そういうところが大好きだった。
すぐ諦めちゃったときには叱咤して、とりあえずやってみることを諦めないように背中を押してくれていた。
嬉しかった。
今まで諦めるよう、心が折れるよう、ずっと否定され続けてきたから。
頑張り方、資料の調べ方、いろいろなところで動きが鈍く、いろいろなところで諦めてしまっていた私の尻を蹴飛ばしてくれて、少しずつ頑張れるようになってくる実感があって、なにより嬉しい出来事だった。
少しずつ頭が良くなってくる実感もあった。
覚えるのが苦手だった漢字が覚えられるようになって、去年あんなに意地悪だという印象のあった女王様な子から褒められてすごく嬉しかった。
もしかしたらこの子もそんなに悪い子じゃなかったのに、環境が悪かったからあんなに意地悪だったんじゃないかと思わされた。
その子から意地悪されたのは結局、小4のあの時だけでそれ以来何か意地悪をされることはなかった。
記憶力も、興味関心の幅も広がってくるのを感じた。
春の日差しを受けた大地から芽が出て伸びてゆくように、なんとも心地よく爽快な心地だった。
私という木が空高く伸びて豊かに葉を繁らせていくような、そんな豊かさが心に感じられた。
絵のことは普通に褒めてもらえたし、廊下に飾ってもらえてうれしかった。
自転車の絵も褒めてもらえて、運動会で土台をするときも乗りやすいよう配慮していたら褒めてもらえた。
今まで気遣いをしていても、何をしても無駄だったのに。
先生が担任で良かった。
何度か死にたいと思ったことがあったけれど、生きていて良かったと心から思えていた。
春の柔らかい日差しのように、穏やかに流れる水のように、穏やかに燃える焚火のように、優しく流れる風のように、柔らかな緑を芽吹かせる大地のように、闇夜を照らす月の光のように、優しく穏やかでささやかな幸せを嚙みしめることができていた。
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