弟の友人に玩具を盗まれることもあった。


 その子は他の家でも盗みを働いていて、そのうち引っ越していった。


 とにかく盗む子が、人の物に手を出す子の多い場所だという印象が強いけれど、うちに関する言いがかりが原因でもあったのだろうと、高校時代にひそひそ話されていたこと、大人になってから金でしか価値をはかれないやつの話していた内容から思うことがある。


 祖父母にお金があったのかもしれないが、うちにはひとつもきていなかった。


 従姉妹の可愛がられている家にばかりお金が使われていたからうちには何もなかった。


 父がお金のやりくりが下手だったからなのか、地域でそういう言いがかりや卑しくて浅ましい人間が多かったからか、うちにはそういうものは何もなかった。

 

 雲母をとった子はお金目当てではなく、あげたことにしたら喜ばれるし気を引けると考えていたのだろう。


「俺が拾ってきて見つけてプレゼントした」


 父親が証言したにも関わらず、そうやって自分がプレゼントしたことにしようとしていた。


 当時8歳だったこの子と、盗みをさせたヤクザのしていることは同じレベルで同じ次元の発想だ。


 他にも、学校では先生に褒められたかと思えばクラスメイトからヤジを飛ばされ、けなされ、否定され、拒絶された。


 認められることはなく、先生も疲れたのかしんどいのか見て見ぬふりだし、可愛い子の肩ばかり持っていた。


 小学二年生の時に見た夢はさほど多くはないけれど、見た夢は好きなアニメの世界を旅するものが多かった。


 好きなアニメの夢を見て、登場人物たちとは別行動、相棒のモンスターだけを連れて作品の世界を旅して遊んだ。


 そういう夢が多い中で、夢を見た覚えはないけれど、母親がいうには寝言を言っていた夜があったらしい。


 宿題に出された九九の二の段を暗記しようと頑張ったけれどなかなか覚えることができず、軽い癇癪を起こしながら寝た日のことだった。


 私はその夜夢を見た覚えがない。


 寝言を言っていた覚えもないけれど、朝起きて九九を覚える続きをしようとすると、すらすらと言うことができた。


 自分のことなのに、他人の功績のように実感がなかったけれど、昨日まで言えなかった九九がこんなにすらすら言えるのが嬉しくてビックリで跳ねそうなくらい嬉しいことだった。


 あまりに嬉しくてはしゃぎながら何度も二の段を言っていると、母も嬉しそうにこちらを見ながら、昨日の夜ぶつぶつ寝言を言っていたと教えてくれた。


 寝ながら頑張って覚えたんだと褒めてもらえもして、少し嬉しい出来事でもあった。


 次は五の段の暗記が宿題に出たけれど、コツをつかんだのか、二の段より簡単だったからかすぐに覚えることができた。


 いきなり九九と言われて掛け算と表を見せられ、それを覚えようという調子だったけれど、二の段は2ずつ足し算、五の段は5ずつ足し算で、それぞれの段は縦向きに並んでいたから、横向きに同じ列をたどってみると、9ずつや8ずつの足し算になっているのが面白いと感じられる発見でもあった。


 大人からしたら、高学年からしたら当たり前でも、掛け算を習いたてだった当時は新鮮で面白い大発見に他ならなかった。


 そういう発見の他に、覚えるときは歌やリズムのようななにか、旋律というのか、単調に唱えて覚えるよりも抑揚のようなものがついていれば覚えやすいという発見もあった。


 黙って目を通すのではなく、声に出して読むこと、映像をイメージして紐付けて覚えることも覚えやすさに通じていたのに気づいたけれど、勉強は苦手でとにかくずっと頭が痛くてしんどかった。


 班で行動する授業は特に苦手で、地図を読めていたけど、嘘をわざと言っているのか、自分が正しいと強く思い込んでいるのかわかりづらい人がいろいろ吹き込んできて自分なりの考えをいうと否定してきて鬱陶しいのだった。


 そんな学校生活を送っている中で、助けてくれた子と一緒に帰りたくて帰ろうとしていると、差別主義者がそれを見つけて否定して邪魔してくることがあった。


 本当は帰りが遅くなるのが嫌だったこと、見せられていたものは面白くなかったしずっと嫌だったこと、この子と一緒に帰りたいことや、今までのことを親に言いつけると言ったらもう付きまとってくることはなくなった。


 その代わりに、見かけるたびに恩知らずだとかなんだかんだ言ってくるようになった。


 本音をぶちまけ、助けてくれた子と一緒に帰れるのが嬉しかったのは最初だけだった。


 やけにつっかかってくる子がその子と一緒にいて、ネコはキャットなのにキャットは明るいだとか嘘を教えてきて、人前で誰々がそういうこといったというと「ネコはキャットだって知ってますー」という意地悪をしてこられたことがあった。


 他にも、ちまちました意地悪をいっぱいしてきてすごく嫌でしんどいと思った。


 だから本当のこと言ってるのか嘘を言ってるのか疑うことが多かった。


 ほとんどの人は嘘を教えていて、たまに親切に教えてくれても信用できなくて怒らせることがあった。

教えようとしたのになんて言われながら怒らせてしまい、そういう人間関係で失敗してるのを見てゲラゲラ笑いながら味方を攻撃してるなんて言われていた。


 私はやったらダメなことでも、他の子はやって良くて、何かあれば褒められていた。妙に突っかかってくる子は特にお姫様のような扱いをみんなから受けていた。




 話がそれるけれど、本当は寂しさや嫉妬やいろいろな物が原因で冤罪をかけちゃった子に意地悪や文句を言っていいのは、私を含んだ誰のこともいじめたことがない、人に嘘をついたり騙したり物をとろうとしたことがない人だけだ。


 もちろん、大人になってからのことも含まれている。


 人を差別主義者だとか、してもないこと、あることないこと言いふらし、うちの学校出身じゃないと証拠を消し、関係ないし知らない人だと言った人、信じなかったやつら含んだ全員だ。もちろんその関係者も。


 覚えがないから、心当たりがないからといって自分を正当化して恨みを晴らそうとするやつがいるかもしれないが、それは屁理屈であって、何をしてもいい理由でもなんでもない。


 つまり、誰も手出しする権利はない。


 信じていたからいじめていたという人もいるが、自分で物事を考えられなかったからだろう。


 それに、親が忙しくしていて寂しくて嘘ついちゃったことがない子なんているのだろうか。


 親に嘘をついたことがないって自信持って言える人なんていないだろう。そもそも人間というのは良くも悪くも嘘をついている人間なんだから。


 

 

 話を戻し、いろいろなことがあった小学二年生の思い出は嫌な物の山に光るものがあった。


 たくさんの嫌な思い出の中で、手を差し伸べて助けてくれた出来事はなにがあっても色あせることはないし忘れることなんてきっとないだろう。


 そこにどんな下心があったのだとしても。




 小学三年生になり、レクリエーションがとても楽しめる先生が担任になった。


 誕生日が私と、同学年の方の付きまとってくる子と同じで、すごい偶然に驚きながらはしゃいでいた覚えがある。


 助けてくれた子とは違うクラスになってしまったけれど、休み時間に話をしたり遊んだりして過ごしていた。


 体育の時間には面白い子が着替えの時に輝いていて、みんなの笑いを勝ち取ってクラスの雰囲気を良くしてくれていたように思う。


すごく楽しい日々だった。


 体を動かす遊びをたくさんして、お菓子を持ってきてくれたのをみんなで分けて、楽しいことがたくさんあった。


 すごく性悪をしてくる子がいて嫌でもあったけれど、その子が入院して帰ってきた日に、みんなでお祝いで山に登ってお菓子を食べているときに本音を言う機会があって、それからは普通に過ごせた。


「戻ってきてくれて嬉しかった人手をあげて!」と言われたときに私だけ手を挙げなかったのが本音を言うきっかけだった。


 みんなから酷いやつだの最低だの、どうしようもないクズだの、たくさんの罵倒を浴びせられて泣かされた。


 その子がいない間列が一番後ろで、朝礼とか終わった後一番前になれて調子に乗ってたからいなくなってて欲しかったんじゃないかなんて言う人もいた。


 みんながそうやってまた言葉と態度でリンチをしてくる中で、どうして手を挙げなかったのかを、先生と入院していた本人が聞いてくれたから、本音を言わせてもらうことができた。


 聞かれることがなかったら、本音なんて話す機会はなかっただろうし、また正義感に駆られた人間どもに罵詈雑言を浴びせられるだけで終わっていただろう。


 同じことの繰り返しにならずに済んだのは、ちゃんと話を聞こうと歩み寄ってくれたからだった。


 今までオラオラした口調で嫌なことたくさん言われたのがしんどかったから、入院していなくなっていてくれたのが嬉しかった。


 帰ってきてすぐ嫌なこと言われて、ずっといなかったら良かったのにと思った。


 これが包み隠さない私の当時の本音だった。


 本当のところはわからないけれど、入院していた子も私のこと嫌だったり、退院後の学校で私が心配で上目遣いにじっと目を見たのが気に食わなくて意地悪なことを言っていたのかもしれない。


 心配で見つめたときは、目の白い部分に虹彩の端から垂れるように血がついているように見えて、本当に酷い怪我をしたんだと思って、すごく心配になったのを今でも覚えている。


 今振り返っていて思うのが、鏡を見て自分の目の状態を把握していたのなら、見られるだけでも嫌だったのだろう。


 からかわれると思ったから先手を打っていたのかもしれない。今となってはわからないけれど。


 何をしても否定されて本音を言っても隠してもダメだった日々の中で、意地悪されて嫌だったからではなく、話を聞こうとしてくれたのが、どうして手を挙げなかったのか聞こうとしてくれたことが実はすごく嬉しかったからずっと覚えていた出来事だった。高校になって普通に接してくれたのも嬉しかった人との思い出でもある。


 最初は憎しみにまみれていたけれど、好きな物や様々な出来事を通して、心を開いてくれた祖父、手を差し伸べてくれた子、理解しようと歩み寄ってくれた子との思い出の中で、いろいろな事に気がついて、いろいろな大切なことを知っていくことができて心が穏やかに、心が優しい方へと育っていった大事な思い出たちだった。

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